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憲法の解釈改憲、それを閣議決定しようなんて、、「憲法ハイジャック」「憲法クーデター」「壊憲」等々、過激な言葉も飛び交っているのに、立憲民主主義が根底から崩される危機だというのに、ナメられた国民の反応がなんともニブイのに苛立つ。 今日は久しぶりに水島朝穂先生の講演を聞く機会があったが、90分の講演は情報満載で聞きごたえ充分だった。 『知的であること、誠実であること、ナチス的であることは決して三つ同時には成立しない』。これはドイツ第三帝国時代のジョークとして伝えられているものである。知的なナチスは誠実ではなく、ナチスに誠実な人は知的ではなく、知的で誠実な人はナチスにはならない」(『世界』2014年7月号拙稿[=水島先生]の冒頭の一文) 「ナチス的」というのをさしずめ「安倍イスト」とでも置き換えてみて、冥く笑っていても仕方ないか。 で、上記の水島先生のHPのサイトから6月13日の報道ステーションの一部がリンクしていて、聞き手記者は相手の本音をうまく引き出したのが聞き取れる。これを聞いて何も感じないなら、感じない方にも責任があると思う。 集団的自衛権を巡る攻防、今週が運命の分かれ道になるのだろうか、、、。
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先入観で人を判断してはいけない、、とわかっていてもとかく人間は過去に集めたデータを意識的、無意識的に駆使して、この人はおそらくこんな人じゃないだろうかと第一印象を得るのではないだろうか。 それにしても初めからこういう人だと決めてかかるのは良くない、はずだ。 それはそれとしても、このところテレビ画面を賑わした「時のひと」たちの面差しのなんと個性的であることか、と、ここまで言えば十中八九みな同じ顔を思い出すのではなかろうか。 そう、あのパソコン遠隔操作の真犯人。最初「いかにも」の顔だなあと思いながら、いやいや、見た目で人を決めてかかってはいけない、と自分に言い聞かせていた。 ところがやはり真犯人だったわけで、「いかにも」は正解だった。 話は変わって、あの世界初のスタップ細胞を発見したという女性科学者を始めてみた時、「らしくない」顔だなあと思いながら、いやいや、見た目で人を決めてかかってはいけない、と自分に言い聞かせていた。 ところが「ウソ」発見されてしまったわけで、「らしくない」はやはり正解だった。 話しはまた少し遡って、あの聴覚障害者を装った偽作曲家とそのゴーストライターを見た時、この二人はなんとそれぞれの役回りにピッタリの「いかにも」の顔をしているんだろうと感心した。 今年これまでのところの時の人たちは優劣つけがたいほどに個性的な面立ちで、カリカチュアなど一切不要で、そのまま絵になる人たちだ。ついでに言えば赤塚不二夫マンガのキャラクターになれると、私は思っている。 これほどまでに先入観が裏切られない=わかりやすすぎる、背景には何かあるのだろうか? 「わかりやすい顔」と言えば、片手を上げながら足早に歩き去る姿が毎日のようにテレビ画面に出て来るあの人。
世論調査で「人柄が信頼できそうだから」支持すると答える人もいるくらいだから、ここは大きく判断が分かれるようだ。先入観も見る人さまざまということか。 |
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25日に明大リバティタワーで開かれた「村山談話を継承し発展させる会」主催の村山富市元首相・特別講演会に参加した。 会場は混雑が予想されますとのことだったので早めに会場をめざすと、リバティタワー正面の表通りは村山談話を否定したい街宣車のスピーカー騒音がガンガン流れる中、機動隊員が詰めていて例によって物々しい雰囲気だった。 しかしいったん会場内に入れば、満場の入りであったが、熱気に包まれた緊張感もなくどちらかといえば和やかな雰囲気で集会が始まり、村山さんを囲む同窓会的なトーンで終始一貫していた。 村山政権の1995年から20年立とうとする今、村山さんは御年90歳になられるそうな。 しかしあの当時のままの風貌をたたえてお元気な姿で演壇に立つと、村山談話成立当時の状況から今年の訪韓時の話に渡るまで、これまでの政治活動の話を走馬燈のように廻らせた。20年たった今、こんな形で再び注目を集めるとは思わなかったが、良いきっかけになってほしいと話した。 また、現政権は村山談話を個人の談話として軽視したいようだが、とんでもない、当時の政権メンバーが連名で署名している承認書のコピーが示された。 村山談話を継承し発展させる会の共同代表には錚々たる方々が名前を連ねているが、村山さんの講演の後に、会場に駆けつけていた共同代表の方々からは次々にメッセージが発信された。 私は不勉強だし、95年当時の様子もあまり覚えていないから、断定的なことは言えないのだが、村山談話が発表された当時、その内容が生ぬるいということで革新系の間では必ずしも満点評価ではなく、むしろ至らない点などを取り上げて(たとえば慰安婦問題で謝罪の代わりに女性基金設立にすり替えなど)、批判する向きも多かったような気がする。 ところが今日の共同代表らの発言は過去の細かい辻褄合わせなどは時効であり、長老がお出ましになるだけでレジェンドみたいな、内輪っぽい雰囲気があった。そんな雰囲気がいたたまれないと言うように、居合わせた女性数名が「おべんちゃらばっかりでダメだ。反省するところは反省しないと、、」と辛口言を多少大き目の声で言いあっていたが、会場全体の広さの前にその声もかき消されてしまった。 そう言えば誰だったか共同代表の話の中に、村山首相が誕生した時、いったいどんな政変事態が起こるか戦々恐々としていた向きもあったが、村山さんは意外にも絶大なリーダーシップを発揮され政権をまとめた、、のような発言があったが、むむっ、このリーダーシップとは決してゴリゴリでない村山さんのお人柄を讃えつつ、遠まわしの皮肉な表現だったのかもしれない?? 集会が終わって外に出ると、もはや街宣カーは立ち去り、スピーカー音もなく、機動隊員御用達のブルーカーだけが静かに停まっていた。
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さくらが咲くとどうして風が吹くのだろう 『春は気が滅入る』というようなタイトルのこの1曲 この曲は散りゆく桜を惜しむ歌ではないが、季節の移ろいの妙味を前にした心模様というか、心の揺れに共感する 先週土曜日は少し早いお花見日和だった。 哲学堂公園のさくらを見歩きながら貴女は言いましたね。 ―ことしもまた桜が咲くんだなあと思うと気が重かった。 桜の季節を乗り越えられるかな、と辛かった― 彼女にこの曲Spring Can Really Hang You Up The Most をプレゼントしよう。 日曜日(30日)は春の嵐に見舞われた1日だった。風雨の中、咲き始めたサクラの様子を見に散歩に出かけると、1本の桜の木の根元で、折れて落ちた小枝が雨に濡れていた。まだ固いつぼみがたくさん付いていた。 これは雨中の散歩のプレゼントだと思って、そのまま小枝を持ち帰ると、それから2日とたたないうちに、小枝は部屋の中で、これこのとおり満開に開いてくれた。
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中央本線の電車が高尾駅を過ぎて小仏トンネルへ向かう頃、線路と平行して走る道を見るたびに、あれはきっと小仏峠に通じる道なのだろう、ママチャリでどこまで行かれるものかと思うのが常だったが、先日高尾梅郷祭りのチラシを見て、道伝いに梅林のあることが分かった。梅林を開放する3月いっぱいは程よい人出もありそうだし、チャリで紛れ込むにはちょうど良いだろうと考えた。 久しぶりに多摩川サイクリングロードを上り、府中四谷橋で折れて浅川に入り、そのまま流れに沿って高尾まで上って行った。このコースは10年程前に良く通っていたが、懐かしい風景がほぼ変わらない状態で迎えてくれた。 甲州街道は高尾駅を過ぎた途端に道幅が狭くなって急に鄙びた感じになるのがおもしろい。中央線のガード下をくぐってから右へ曲がり、そのまま道なりに進む。散策を楽しむ人の姿もちらほらあり、車も遠慮しながら走ってくれるので自転車も走りやすかった。上り基調の道ながら、思ったほど傾斜もきつくない。 小仏関所跡あたりまで来ると行く手の頭上に中央道と圏央道が交差するコンクリートの巨大リングがのどかな山間の風景をぶち壊すようにそびえて見える。うっとおしいものだ。 蛇滝口バス停に通りかかると、湯の花トンネル列車銃撃事件の慰霊碑入り口の案内板が見えた。慰霊碑を探しに脇道に入ったが、草むらに阻まれてどちらに行ってよいやらわからず諦めた。 さらに緩やかな坂道を上り、開放中の木下沢(こげさわ)梅林まで辿り着くと、思ったより高いところまで上って来たようで、高尾駅方面がはるかに見渡せた。景色を縦断して中央線の線路が走り、JRの宣伝ポスターになるような見晴らしだった。 梅林内は三々五々の梅見客で賑わっていた。残念なのはすぐ脇を通る中央道の往来の音が絶えず耳に入り興ざめであった。帰りしなに、出入口に詰めていたスタッフのおじさんにそう伝えたら、そもそもこの梅林は中央道建設時に捨てた土石の山に植林されたものだと言われた。それじゃあしかたないのか。ところで、ここのおじさんから青梅の吉野梅林が原因不明の病気のために全て今年中に伐採されるというショッキングな話を聞いた。なんで!!!しかし本当の話だった。 http://mainichi.jp/select/news/20140322k0000e040194000c.html 木下沢梅林を出てからなお道を上り、小仏バス停を過ぎても道は続いていたので、もう少し先の寶珠寺まで行って、納得して引き返してきた。
甲州街道に戻るまでの下り道は快適そのものだった。 途中のスタンドで直野菜を買って、お昼ごはんは観光客で混雑する高尾山口駅付近で高尾山冬そばキャンペーン中の蕎麦屋でとろろそばを食べ、少し物足りなかったので、参道の店先でお饅頭と野沢菜おやきを食べてから、再び浅川遊歩道に戻って帰ってきた。 またまた多摩川沿いの京王閣前を通りかかったら、レース開催中だったので、よくばり根性を出して入ったが、3レース見たもののみんな外れてしまった。 それでも充分満足した小仏梅見行であった。 |


