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多摩の鉄道沿線 古今御案内 本屋で、本の方から私を探している、というような本に時々対面することがあるが、この本もそうだ。 きれいな表紙じゃありませんか。これは京王電車沿線名所図絵(東京より多摩御陵)昭和6年とある。 しかし魅かれたのは表紙じゃなくてもちろん中身。 一言で言えば多摩地域の鉄道の歴史を、古地図を見ながら語っている本なのだけど、 なんだかよくわからない古地図も、本を読みながら見るといろんなことがわかってきてとてもおもしろい。 本の目次を見てまず注目したのが 府中の鉄道史は「砂利鉄」に始まったという項目 これはまさに「下河原鉄道」のことだ! 下河原鉄道跡の緑道は先日ぶらりポタリングしたところで、 ブログともだちのたまりヴァさんに教えてもらった緑道なのだ。 この下河原線と京王線がどのように交差していたのかと疑問を持たれていたが、 以下の古地図が本の中にあった。 「武蔵府中」昭和44年修正 これを見ると確かに下河原線は京王線と交差しているのがはっきりわかり、しかもやはり立体交差のように見えるのだ。もちろん京王線が上。(京王線がここまで延長されたのは1925年) でも南武線との立体交差は、南武線が下にもぐっているように見える。(南武線開通は1929年) 元々は下河原貨物線といって、中央線国分寺駅から南下、府中市街西側を経て多摩川原までの7.1キロを多摩川の砂利運搬のために敷設したという。(1910年、明治43年) 昭和44年の地図にまだ現役で走っていた下河原線を見つけて驚いた。 いったいいつまで現役だったのか? 答えは、昭和48年。本には次のようなくだりがある。 「武蔵野線の開通に合わせて一部がその敷地に提供され、国分寺駅付近と東京競馬場までの支線が廃止、下河原までの貨物線もまもなく廃止となった。しかしそれ以前にこの貨物線は、昭和39年に多摩川の砂利採取が禁止されてからは存在意義をほとんど失っていたが。」 私にとっての昭和48年なんて、はっきり肌感覚の残っている近過去だから。 しかし当時は西武線沿線住民だった私は、この下河原貨物線のことはなんにも知らなかった。 この「砂利鉄」の項だけでも、興味深い記述がいくつもあって、たとえば 多摩鉄道(現在の西武多摩川線)も砂利採取目的の鉄道だったが、 多摩川競艇場はその砂利採取跡の大穴を利用したものだという。 「現在の西武多摩川線は砂利ではなく、大穴を狙う客を乗せて走っている。」、、、確かに。 また別の項は 「大栗川はこんなに蛇行していた!」というのもある。 こちらもぶらりポタリングコースだ。 うーん、どの項も、身近なところの至近の歴史がわかりそうだ。
じっくり読むことにしよう。 |
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2009年12月23日
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