原発は東京都だけで決める政策課題ではない=官房長官 1月14日、菅官房長官は、細川元首相が「脱原発」を主張して東京都知事選への立候補を表明したことについて、「原発は国全体で取り組むべき問題であり、東京都だけで決める政策課題ではない」との考えを示した。都内で昨年9月代表撮影(2014年 ロイター) これでは「臭いものに蓋」ではないか。「脱原発」を唱える細川・小泉タッグが手ごわいと見るや、上記のようなコメントをするなんて。 言うまでもなく東京都は最大の電力消費地域でありながら、都内に原発は無い。生産せず消費するだけの都民が、原発についてどのように考えるか、これからの電力/エネルギー問題をどうすればよいか考え、それを示すことは、いたって当然のことに思う。 官房長官のこのような考え方こそ、国政と地方行政を縦割りして分断し、国の政策に余計な口を挟むなと言っているに等しい。 とはいえ、ポスト・リタイア組の真意が掴めない上、劇場型の知事選というよりジジ選模様で国のエネルギー以前にご本人のエネルギー切れにならなければよいが。 旋風好き小泉氏は自ら出馬しないで、自分より年上の細川氏を担ぎ出したのはなぜだろう。ハシゴを用意し、ハシゴを昇らせ、ハシゴを外す、なんてことはしないよね?
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2014年01月14日
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年末に映画『ハンナ・アーレント』 http://www.cetera.co.jp/h_arendt/ を観て以来、「悪の凡庸さ」について頭から離れない。アイヒマンを捕えてみれば、悪の権化のイメージとはかけ離れた、あまりにも小粒のどこにでもいそうな小市民であった。すなわち、ユダヤ民族撲滅を図った史上最悪の罪業といえども、それを引き起こしてしまったのは一人の特異の極悪人(ヒットラー)がいたからではなく、それを支えた無数の普通の人々がいたからだとする考え方である。 裁判にかけられたアイヒマンは言う、自分は上官の命令に従っただけだ。たとえば自分が命令に従わなかったとしても、代わりの誰かがそれを遂行したであろう。それだけのことだ、、、。 そのありふれた開き直りを聞いて、「それは通常の上司の命令とは問題のレベルが違いすぎる話だろう」と簡単に捨てておけるであろうか。いったいどこまでが通常の命令で、どこからが尋常ではないと判断できるのか。それに尋常ではないとわかっていて、人はどこまで上司の命令に背くことができるだろうか。しかも戦時であればなおさらのこと。 また「悪の凡庸さ」と関連して考えてしまうのは「無関心ゆえの加害」である。 いったい私は無関心であってはならないことに対して無関心であるがゆえの加害者に、どれほどなっているだろうか―。 「無関心であってはならない事」は時々に変わるかもしれないし、人それぞれで大きく異なることではあろうが、それにしても「悪の凡庸さ」と関連して「無関心ゆえの加害」を考えてしまうのは、目の前のどんな社会状況にも思考停止で無関心になってしまうことの恐ろしさを自戒を込めて思うばかりである。 もう少し具体的な話をするなら、昨年12月6日にあのように強引に秘密保護法を成立させてしまったこと。また沖縄の基地問題で、あるいは福島原発被災地で、多くの人の苦悩をよそに、それをどこ吹く風で暮らしている現在の日本の多数派。(私ももちろんその一人なのだが、、。) そのような現状を見て、今の「思考停止」が「凡庸の悪」と重なるところ、重ならないところ、など考えると無能の頭ではますますもやもやしてしまうのだ。 身近な引き合いを出すと、私は選挙のたびに自分の子供などに投票を促し、その理由も簡単に説明している。秘密保護法案審議の時も注意喚起した。 しかし私よりもっともっと将来影響を受けるはずの世代者であるのに、関心は薄く、のれんに腕押し状態だ。ただし明らかなのは、彼らは毎日の生活で精一杯だということ。それ以前に考えることをしないのも確かではあるが。 それとも鈍重な無関心層はどこまで行っても無関心を通して、息苦しさにも無感覚でいられるのだろうか。そのような人間は馬鹿なのか、小利口なのか、幸せなのか、不幸せなのか、、、 2月9日には都知事選が待っている。
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