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人騒がせの選挙が終わって、それぞれのポスト選挙が始まった。 目先にどんなおいしそうな公約がぶら下がていても私の第一義は命と自由なので、引き続き崖っぷち状態が続くが、希望の党の出現、民進党分裂、野党共闘ぶっ壊しの時点では、もはやこれまでかと諦めかけた時に比べれば、選挙前の状態にはなんとか戻った感じがする。 私が邪推する解散の狙いは、安倍政権にとって邪魔な議員たちを落選させるためだったのではないかと思うのだが、辻本さんも山尾さんも戻ってきてくれた! 希望の風が吹いたままで大挙当選して自民党を席巻する勢いになったとしても、いざ改憲軸で動き出せば、それは一大改憲翼賛勢力になったかもしれないことを思えばまだましではないか。 選挙戦で全国各地を精力的に駆け巡って、まっとうな政治への回帰を訴えていらした中野晃一先が私の住む町にも来て、選挙直前の野党巻き返しの最新情報など話してくれた。 中野晃一先生を私はひそかにジャイアン先生と呼んでいる。キャラクターは似ていないけれど、愛嬌があるといっては甚だ失礼だがその風貌から、ジャイアン先生のファンだ。 いわゆる反安倍の学者先生はあまたあれ、中でも私が中野先生が好きなのは、講演・スピーチの中に滲み出てくるプライベート部分のお人柄に魅かれているからだ。プライベートの話などほとんど皆無の講演の中で、言葉の一端を捕まえて私が勝手に想像しているだけなのだが。 中野先生のツイッターも毎日何度も見ているが、先生の軽いノリのツイートにしばしば笑っている。 今日もコイケ知事が鉄の天井云云かんぬんと言えば、それを受けて、ドリフのアルミのたらいが頭上に落ちてきただけだよと茶化す。中野少年もあの「8時だよ全員集合」を見ていたんだわ〜! さて地元の講演では、選挙戦の後半にうねりが広がるように盛り上がっていった立憲民主党の選挙運動を支える際立ったボランティアたちの話の一部を紹介してくれた。 投票前日あたりから開票後にかけて、テレビ各局、あるいはネット上では、立憲民主党の街頭演説会の場の設定、演出の効果の見事さを取り上げて、それを称えるものが目立ったが、講演会ではまさにその優れた裏方たちの貢献ぶりを話してくれた。立憲民主党のロゴの「民」の字が頭一つ抜けているデザインも、360度全方位正面の立ち位置も、爆発的なフォロワー数を達成したのも、それぞれの分野に突出したボランティアたちの影の功績という。 それでもの選挙結果、またしてもの選挙結果、 我々の市民運動の力はこの程度なんだと認識しなければならない、としながらも、 でもなぜ改憲発議に必要な2/3の議員勢力を確保しながら、ここまでもたつかせているのか、 それも間違いなく我々市民運動の力なのだ、と中野先生は話の締めくくりに勇気づけてくれた。 写真は10月8日の新橋駅前SL広場。市民連合主催の3野党合同街宣があったが、直後はこんなものだった。 最終日の大群衆とは大違い。 |
憲法9条は私たちの宝
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先日、夕暮れ時に自宅アパートに戻ってくると、建物の反対側から制服姿のおまわりさんらしき人と鉢合わせになった。まさか私に用はあるまいと思ったのに声をかけられた。結構物柔らかな感じで、このアパートにお住まいですかと聞かれたので、そういうあなたはどなたですかと返すと、警視庁の者です、と制服上のワッペンを示しながら、その人は言った。 「ここで何かあったのですか?」と尋ねてみた。まずはそう思うではないか。いるはずのない人がいるのだもの。ドロボー?不審者? すると、えーっ!と驚く答えが返ってきた。 「いま一軒一軒訪ねまわって、住人の方に何か緊急事態が起きたとき、すぐにご家族などに連絡が付けられるよう、緊急時の連絡先をお尋ねして回っているのです。よろしければ、この用紙に記入していただきたいのですが、、、。」 「?!。。。。」 「お一人でお住まいの方は日頃から緊急時のことなど気がかりだと思いますが、そういう事態の時もすぐ知らせるべき方に連絡が付きます。住民の安全のために協力いただけませんか?もちろん警察以外で情報を使用することは絶対にありませんから、心配はいりません。」 一軒一軒というけれど、対象となっているのは恐らく安アパートだけだろう。ボロアパートに誰が住んでいるのか、その上そいつが誰とつながりがあるか、そんな調査を始めているようであった。それにしてもアプローチの何と酷い、まずい、へたくそな話。 「その用紙見せてくれますか?」 「書いていただけますか?」 「見てから考えます。」 「じゃあ、少し待ちますから、部屋の中でゆっくり書いてください。」 「いえ、あの待っていただかなくても。今日は書きませんから。」 書かない、と耳にした途端、そのおまわりさんは渡しかけていた用紙をヒラリとファイルにしまいこみ、柔らかさの消えた声で、何号室の住人かと私を問い詰めた。 「この部屋ですけど。では失礼します。」 そう答えるとさすがにおまわりさんは私の脇から離れて、背中を向けたが、それでも私が言ったとおりの部屋に入るのを見届けたようであった。 共謀罪法案が通る前から、その先を見越した準備段階はとっくに始まっているのだろう。
それにしても話を鵜呑みにして、自ら情報を書く人はどれほどいるのだろうか、、。 |
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「戦争が廊下の奥に立っていた」という俳句。
普段の日常の暮らしの中に、いつのまにか非日常の戦争が 忍び寄ってきていたというおそろしい様子を謳っています。 「廊下の奥に」なので、暮らしに中にすでに深く入り込んでしまって いて、もはや後戻りできない状況ということなのでしょう。 作家の中島京子が「平和な日常は必ずしも戦争の非日常性と相反する ものではなく、気味悪くも同居してしまえる」と語っています。 政治家や軍人、官僚など、歴史を動かす決断をした人たちではなく、 一般の人々にとって、あの時代はどういう時代だったのか、なぜ戦争 に向かっていったのか? 当時の記録に触れると、文化的には円熟期であり、都会の市民層には 教養もあり、分別もあり、平和主義的な傾向すらあったように見える。 しかし、歴史の教科書が教えるように、軍国主義が力を持ち、他国を 侵略し、おびただしい犠牲者を出した時代だ。その明るくて文化的な 時代と、暗くて恐ろしい残酷な時代がどう共存していたのか、 どこで反転したのか? 私は当時書かれた小説、映画、雑誌、新聞、当時の人々の日記などを 読んだ。出来るだけ当時の考え方、価値観がわかるものを調べた。 するとだんだんわかってきた。そこには、恋愛も、親子の情も、友情も 美しい風景も音楽も美術も文学も、すべてのものがあった。 いまを生きる私たちによく似た人たちが、毎日を丁寧に生きる暮らしが あった。 一方で、そこからは、人々の無知と無関心、批判力のなさ、一方的な 宣伝に簡単に騙されてしまう主体性のなさも、浮かび上がってきた。 豊かな都市文化を享受する人たちにとって、戦争はどこか遠い何処か で行われている他人事のようだった。 廬溝橋で戦火が上がり(1937年)日中戦争が始まると、東京は好景気 に沸いてしまう。都心ではデパートが連日の大賑わい。調子に乗って 外地の兵士に送るための「慰問袋」を売ったりする。おしゃれな奥様 たちは、「じゃ、3円のを送っといて頂戴」なんて、デパートから戦地 へ「直送」してもらっていたようだ。戦闘の事実は市井の人々から遠か った。これは1939年の「朝日新聞」の記事から読み取れる。 廬溝橋事件からは2年が経過している。しかし、この後、戦況は願った ような展開を見せず、煮詰まり、泥沼になってきて、それを打開する ためにと言って、さらに2年後に日本は太平洋戦争を始める。 また勝って景気がよくなるのだと人々は期待する。 しかしそうはならない。坂を転げ落ちるように敗戦までの日々が流れる。 人々の無関心を一方的に責めるわけにはいかない。戦争が始まれば、 情報は隠され、統制され、一般市民の耳には入らなくなった。 恐いのは、市井の人々が、毒にちょっとずつ慣らされるように、 思想統制や言論弾圧にも慣れていってしまったことだ。 現代の視点で見れば、さすがにどんどんどんどんおかしくなっていっ ているとわかる状況も、人々は受け入れていく。当時流行していた言葉 「非常時」は、日常の中にすんなりと同居していってしまう。 日常の中に入り込んでくる戦争の予兆とは、人々の慢性的な無関心、 報道の怠惰あるいは自粛、そして法整備などによる権力からの抑圧の 3つが作用して、「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿状態が作られ ることに始まるのではないだろうか。その状態が準備されたところに 本当の戦争がやってきたら、後戻りすることはほんとうに難しくなる。 平和な日常は必ずしも戦争の非日常性と相反するものではなく、 気味悪くも同居してしまえるのだと、歴史は教えている。 (2014年8月8日 朝日新聞より抜粋)
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熱帯びる武器輸出 横浜で国内初商談会
各国の軍需産業が会し国内初開催となった武器商談会が13〜15日の3日間、横浜市西区のパシフィコ横浜で開かれた。原則禁じられてきた武器輸出は昨年4月の「防衛装備移転三原則」の閣議決定で解禁となった。海上防衛関連の装備や機器を集めた展示会には世界40カ国の政府や軍関係者ら3300人が参加。日本企業約20社も出展し、時代の転換を映し出した。 「JAPAN」と書かれた看板の下、三菱重工業、IHI、NEC、新明和工業と、防衛産業を手掛ける国内の主要企業のブースが構えられていた。 <中略> 会場には展示会の開催をニュースで知り、抗議の声を上げる人の姿も。都内在住の杉原浩司さん(49)は「武器輸出やめろ」というボードを会場で掲げ、警備員に退出させられるまで「企業は武器を売ってもうけるのをやめろ。人殺しの兵器でもうけるな」と抗議の意思をアピールした。 今回の展覧会は外務、防衛、経済産業省が後援した。会見の最後、森本氏は念押しするように強調した。「政府の説明する努力により、新しい技術、産業の育成に有益な方法であるということに気が付く国民は増えていると思う」 (神奈川新聞) 2015年05月16日 【参考】 [ニュース動画]世界が注目!なぜいま?日本初の武器商談会 (5月13日、テレビ東京「アンサー」) http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/newsanswer/newsl/post_89837/ 友人が知らせてくれるまで、日本初武器商談会が開かれていたことを知らなかった。 「おもて」の戦争法案の方に気を取られている間に、「うら」の戦争準備をこんなに露骨に進めているのだ。これこそ安倍政権が猪突猛進している一連の戦後レジームからの脱却なのだろう。 表裏一体の戦争準備でありながら、平和安全法制なんだそうだ。 「戦争法案などと無責任なレッテル貼り」をするなというが、オオカミの戦争法案に小麦粉まぶしてヤギにして平和法制と呼んでいるとしか思えない。 どの道オオカミはバレル。 ただしヤギが食べられた後かもしれない。 先日の記者会見で、自衛隊員の命に係わるリスクが高まるのではないかと聞かれた安倍首相の返答を聞いて、モノ扱いぶりに腹が立ってならなかった。一語一句おんなじではないが、次のように言ったのだ。 「自衛隊員の方たちはもともと、命の危険も顧みず世のため人のために進んで困難な仕事をしてくれている人たちです。これからもこれまでどおり一生懸命任務を果たしてくれるでしょう。」 この視線はキケン業務専門のロボットを見る目つきだ。(キケンな仕事だから、私のような高尚な人間は机上で法制は作るけど、実働はぜったいしませんよ。) 自衛隊もまた老齢化が進んでいるという。若い隊員数は年々減っていくだろう。
必要な実働部隊の隊員数が確保できなくなったときは、どうするのだろう? いきなり徴兵制が始まるのだろうか? まさか! 少なくとも「徴兵制」なんて言うダイレクトなネーミングは絶対使わないに決まっている。 どんな目くらましネーミングで「わが軍」の歩兵を確保しようとするだろう。 そんなことにならなければいいのだが。 |
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憲法の解釈改憲、それを閣議決定しようなんて、、「憲法ハイジャック」「憲法クーデター」「壊憲」等々、過激な言葉も飛び交っているのに、立憲民主主義が根底から崩される危機だというのに、ナメられた国民の反応がなんともニブイのに苛立つ。 今日は久しぶりに水島朝穂先生の講演を聞く機会があったが、90分の講演は情報満載で聞きごたえ充分だった。 『知的であること、誠実であること、ナチス的であることは決して三つ同時には成立しない』。これはドイツ第三帝国時代のジョークとして伝えられているものである。知的なナチスは誠実ではなく、ナチスに誠実な人は知的ではなく、知的で誠実な人はナチスにはならない」(『世界』2014年7月号拙稿[=水島先生]の冒頭の一文) 「ナチス的」というのをさしずめ「安倍イスト」とでも置き換えてみて、冥く笑っていても仕方ないか。 で、上記の水島先生のHPのサイトから6月13日の報道ステーションの一部がリンクしていて、聞き手記者は相手の本音をうまく引き出したのが聞き取れる。これを聞いて何も感じないなら、感じない方にも責任があると思う。 集団的自衛権を巡る攻防、今週が運命の分かれ道になるのだろうか、、、。
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