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25日に明大リバティタワーで開かれた「村山談話を継承し発展させる会」主催の村山富市元首相・特別講演会に参加した。 会場は混雑が予想されますとのことだったので早めに会場をめざすと、リバティタワー正面の表通りは村山談話を否定したい街宣車のスピーカー騒音がガンガン流れる中、機動隊員が詰めていて例によって物々しい雰囲気だった。 しかしいったん会場内に入れば、満場の入りであったが、熱気に包まれた緊張感もなくどちらかといえば和やかな雰囲気で集会が始まり、村山さんを囲む同窓会的なトーンで終始一貫していた。 村山政権の1995年から20年立とうとする今、村山さんは御年90歳になられるそうな。 しかしあの当時のままの風貌をたたえてお元気な姿で演壇に立つと、村山談話成立当時の状況から今年の訪韓時の話に渡るまで、これまでの政治活動の話を走馬燈のように廻らせた。20年たった今、こんな形で再び注目を集めるとは思わなかったが、良いきっかけになってほしいと話した。 また、現政権は村山談話を個人の談話として軽視したいようだが、とんでもない、当時の政権メンバーが連名で署名している承認書のコピーが示された。 村山談話を継承し発展させる会の共同代表には錚々たる方々が名前を連ねているが、村山さんの講演の後に、会場に駆けつけていた共同代表の方々からは次々にメッセージが発信された。 私は不勉強だし、95年当時の様子もあまり覚えていないから、断定的なことは言えないのだが、村山談話が発表された当時、その内容が生ぬるいということで革新系の間では必ずしも満点評価ではなく、むしろ至らない点などを取り上げて(たとえば慰安婦問題で謝罪の代わりに女性基金設立にすり替えなど)、批判する向きも多かったような気がする。 ところが今日の共同代表らの発言は過去の細かい辻褄合わせなどは時効であり、長老がお出ましになるだけでレジェンドみたいな、内輪っぽい雰囲気があった。そんな雰囲気がいたたまれないと言うように、居合わせた女性数名が「おべんちゃらばっかりでダメだ。反省するところは反省しないと、、」と辛口言を多少大き目の声で言いあっていたが、会場全体の広さの前にその声もかき消されてしまった。 そう言えば誰だったか共同代表の話の中に、村山首相が誕生した時、いったいどんな政変事態が起こるか戦々恐々としていた向きもあったが、村山さんは意外にも絶大なリーダーシップを発揮され政権をまとめた、、のような発言があったが、むむっ、このリーダーシップとは決してゴリゴリでない村山さんのお人柄を讃えつつ、遠まわしの皮肉な表現だったのかもしれない?? 集会が終わって外に出ると、もはや街宣カーは立ち去り、スピーカー音もなく、機動隊員御用達のブルーカーだけが静かに停まっていた。
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憲法9条は私たちの宝
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「特定秘密保護法案」を何が何でも今国会会期中に成立させなければならぬ、と必死の安倍政権が見据える近い将来図にはいったいどのような絵柄が見えるだろう。 先の石破幹事長の「(デモ活動で)単なる絶叫戦術はテロ行為と変わらない」とする発言はもとより、その後の場当たり的撤回・訂正を聞くにつけ、石破氏の言う「本来あるべき民主主義の手法とは異なる」という弁解をそっくりそのまま今「特定秘密保護法案」を無理やり成立させようとする石破氏始め現安倍政権にお返ししたい。 先日、ドキュメンタリー映画『レーン・宮沢事件』がよみがえる〜国家秘密体制の爪痕〜を見て、国家が国民を凌駕する社会の恐ろしさを改めて感じた。 http://mainichi.jp/select/news/20131118k0000m040127000c.html これは72年前に秘密漏えいの疑いでスパイ疑惑をかけられた北海道帝国大(現北海道大)学生、宮沢弘幸さんが逮捕された冤罪事件だ。太平洋戦争開戦の当日(1941年12月8日)に逮捕された宮沢さんは戦後になって釈放されたものの、長期投獄という極悪環境は体を蝕み、1947年にわずか27歳で亡くなった。言論の自由が憲法で保証される戦後社会になっても宮沢さんの死後長い間、ご遺族を初め関係者の多くは、この事件について固く口を閉ざしていた。一度貼られた「非国民」のレッテルは、もがき、あがくほど毒薬が体中に回るような苦しみを伴うものなのだろう。しかしこの事件を忘れてはならないと執念を燃やした方々(上田誠吉弁護士ら)がいたおかげで、この映画や本が世の中に出ることになったし、宮沢さんの実の妹さんは今では積極的に冤罪の危険性を訴える活動などなさっているようだ。 この事件が今注目を浴びているのはいうまでもなく、今般の「特定秘密保護法案」の危険性からだ。自民党の町村元官房長官は戦前の「軍機保護法」と類似しているとの懸念について「日本を戦前のようにするんじゃないかと、どうして極端な話が出てくるのか。全く理解できない」と批判したそうだが、本当に「全く理解できない」にしても、理解できないふりをしているにしても、このように想像力が欠如した政治家、政権が作った「特定秘密保護法案」など恐ろしいの一言に尽きる。だって人間の本質なんてそんなに変わるものではないからだ。 「国益のため」なら問答無用で納得していいのか? 「国益のため」なのに反対したら非国民になるのか? しかし「国益」=「国民の益」では無いような気がする。 それは一部の、富を持つ国民にとってはますます益となる「国益」であるかもしれないが、そのために多くの国民は目耳口を封じられたまま、ひたすら「国益」を生み出す道具にされる。 特定秘密保護法案は廃案に!!
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平成25年長崎平和宣言 長崎原爆の日:68回目 被爆国の原点に返れ 政府の核政策、批判 毎日新聞 2013年08月09日 西部夕刊 長崎は9日、68回目の「原爆の日」を迎えた。長崎市の平和公園で平和祈念式典が開かれ、田上富久・長崎市長は平和宣言で、核兵器の不使用を求める各国の共同声明に署名しなかった政府の核兵器廃絶に対する姿勢や、海外への原発輸出政策を批判。憲法前文を引用し、2度にわたって「政府に被爆国としての原点に返ることを求める」と訴え、被爆地から政府の姿勢をただした。 長崎 宣言文の中の言葉 核兵器のない世界の実現を、国のリーダーだけにまかせるのではなく、市民社会を構成する私たち一人 ひとりにもできることがあります。 「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という日本国憲法前文には、平和 を希求するという日本国民の固い決意がこめられています。
福島の原発事故処理の道筋もまだまだ見えない中、各地の原発再稼働へ向けた諸般の動きを見ても、「被爆国の原点に返れ」との指摘は的を得ている。
以下のサイトに宣言文全文が出ている。 宣言に賛同できる方は以下のページの最後をクリックしてください。
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参院選は明後日が投票日。憲法の行方が一番気になるので、このところいくつか関連の集会に参加している。 そのうち「宗教と平和―今、この危機を乗り越える」―今なぜ宗教間対話なのか(日本宗教ネットワーク懇談会主催)というシンポジウム時の印象を交えて自分の考えを整理してみる。 このシンポジウムの案内には、「領土問題で武力衝突が発生したり徴兵制が導入されて召集礼状が来たという深刻な事態などを想定して、私たちの取るべき道を議論します。」とあったので、宗教関連の職業に就いている方がどのような意見を述べるのかという興味もあって参加した。 件の挑発的なテーマについて皆一様に口にしたのは「そもそもそういうことにならないように、その前にできることをやらなければ、、、」ということで一致していたように思う。 はい、私もそう思います。しかし、その後がどうも納得できない意見が多かった。 「もし他国の軍が〇〇島を占領したらどうするか」の挑発の問いに対してすんなり 「自衛隊出動が当然でしょう」と断言する宗教家とそれに賛同する意見。 あるいはまた徴兵制が敷かれて貴方の家族に赤紙が来たらどうするの問いかけにも 「自分としては良心的兵役拒否してほしいが、本人の意志を尊重したい」とか 「侵略戦争でなくて、本当に国を守るための戦争なら行かせる」とか、 「模範」的な答えがイイ大人たちから返ってきて、私はうすら寒くなった。 まだ今だからこんなこと言っているのか、それともどこまでも本気なのか、、、、。 いいですか、だいたい赤紙が来るという時点で「侵略戦争か否か」の判断なんて通用すると思うのか。 仮説にしろ赤紙が来る事態というのは問答無用の世の中ということだろうに。 百歩譲っても、今どき正面切って「侵略戦争」なんてどこの国の誰が言うというのか。 これからの戦争、紛争なんてみな正義の仮面をかぶった「利権のせめぎ合い」に違いないのに。 またこんな意見もあった。「徴兵制で今時の若者集めたって使い物にならない。 これからの兵隊はプロフェッショナルな兵隊でないと通用しないから徴兵制なんて考えられない。」,、、 そうだろうか? 今の若者が兵隊に不適というのはまさに平和憲法のおかげだからではないのか。 若者の肉体や精神なんて、訓練や強制でいくらでも変えられる。少しの時間はかかるかもしれないが。 そう、まず手始めは小中学生の無料/格安の楽しいサマーキャンプ、などはいかがだろう。 そもそもそういうことにならないように、その前にできることをやらなければ、、、 と私もあなたもそう思っているけれど、では「その前」とはいつで、何をする?
はじめの一歩は明後日の選挙で、憲法を変えようとしている政党に投票しないこと!!
また東京新聞2013年7月16日のこんな記事はどうだろうか?(上の写真参照)平和憲法に真っ向背反 石破幹事長の「軍法会議設置」発言
自民党は同党の改憲草案で、憲法九条を変更して自衛隊を「国防軍」にすることを掲げた。それに伴い、国防軍に「審判所」という現行憲法では禁じられている軍法会議(軍事法廷)の設置を盛り込んでいる。防衛相の経験もある同党の石破茂幹事長は四月に出演したテレビ番組で、審判所設置に強い意気込みを見せた。「死刑」「懲役三百年」など不穏な単語も飛び出した石破氏の発言とは−
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「憲政・白熱教室」
憲法改正の是非をめぐって討論する「憲政・白熱教室」が20日、東京・永田町で開かれた。 対話形式の政治哲学講義で知られる米ハーバード大のマイケル・サンデル教授の手法に倣い、 参加者同士が9条や、憲法改正の要件を定めた96条の改正をめぐって熱い議論を交わした。 尾崎行雄記念財団主催で、サンデル教授と交流が深い小林正弥千葉大大学院教授(政治哲学)が司会進行役。 自衛隊を「国防軍」と改め、集団的自衛権の行使を容認するほか、改正発議の要件を衆参両院で 3分の2以上の賛成から過半数の賛成に緩和するとした自民党の改正案を軸に、参加者約80人が話し合った。 9条については「軍事的に米国に世話になっている限り、弱いポジションに置かれる。 軍隊を持つことの意味は考えるべきだ」と前向きに受け止める意見があった一方で 「国防軍は結局、米国の手下になって外国に行くんじゃないか」と懸念する声も出た。 (産経ニュース) 上記白熱教室に参加した。参加者の考えを大雑把に掴むためか、最初に憲法改正賛成/反対、さらに改憲賛成者の中で自民党の改正案に賛成/反対、を挙手で意思表示した。その結果は改憲賛成1:反対2ぐらいであったが、賛成者で自民党案にも賛成の人は1人2人しかいなかった。その後それぞれについてなぜそう考えるか、自分の意見を発表したい人が次々に挙手して意見を述べた。 参加者は男3:女1ぐらいで、年代は20代後半から60代後半の感じ。そのうち30代と60代が2極を成しているように見えた。 当日資料として自民党の憲法改正草案(現行憲法対照付き)、日本維新の会の綱領などが配布された。 私は改憲反対、自民党草案は大反対だ。だから改憲賛成の意見に納得できないのは当然なのだが、とはいえ次のような「建設的」な意見を聞くと、また違った隔たりを感じてならなかった。すなわち ――護憲派・改憲派の対立を超えて民主主義をもっと成熟させるために、人民主権を行使して憲法について活発に議論すべきである。その中で改正した方が良いとなれば、それについては改正すればよい――、のようなごもっともな意見である。 だが私はそれにも反対、というかそういうことに疑心暗鬼になる。 市民に信頼がおけないから? いやそれ以上に、大きな力によって市民の議論が悪用、濫用、誘導されかねないと危惧するからだ。 9条改正を当然折り込んで96条を改正しようとしている現政権にとって、「議論」にしろ改憲のテーブルに国民を着かせることは、ゴールが見えてきたことになると思うのだ。 自民党草案を読めば、これは憲法改正ではなくて、誰やらが言った「現憲法をぶっこわす」に近いものに思える。為政者の暴走から国民を守るものであった憲法が、国民の義務ばかりが明文化された改正になっている。また道徳観をそのまま押し付けるような行動規範が相乗りしている。(道徳型の憲法は、いわゆる西側先進国にはあまり見られないらしい。こういう点を以て、日本固有とか独自とか言っているのだろうか?) 自民党草案が「天皇を元首とする」と言い切っていることはわかりやすく、混乱することがなくなってよいという意見があった。60代後半と思しき発言者は、その年代でありながらそこまでナイーブに、楽観的にどうしてなれるのか、私にはまったく理解できない。 歴史から学びとる事柄が、私とは恐らく真逆なのだろう。 閣僚の靖国神社参拝を批判された安倍首相が、国のために尊い命を捧げたかたがたに敬意を払うことは当然で、それは誰からも阻止されるようなものではない、というような国会答弁をした。しかし再び「国のため」が枕詞になり、あらゆるものに優先され、「滅私奉公」が社会に浸透していくような危惧を、その答弁一つからも感じるのだ。 憲法改正がなされたら、言論の自由が脅かされ、息苦しく、風通しの悪い世の中になっていくだろうと、私は恐れる。
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