気まぐれ日記

気まぐれグランピーの世相やぶにらみ

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12チャンネルで放映されている、『空から日本を見てみよう』については以前も採りあげたが、「くもじい」のわざとらしいナレーションにも最近は慣らされてしまって、あまり気にならなくなってしまった。
番組の構成が自分と反りが合うのか、時間帯に居合わせればだいたい見てしまう。ワンシーンごとに切り替わるくらいに短く挿まれるBGMも、何で?と思うようなスタンダードナンバーが混じっているのもあなどれないのだ。

先日の番組も横浜から熱海までの海沿いの景色で、オーこれは箱根駅伝コースにも重なる大好きなエリアだと見入ってしまった。

さて小田原で箱根方面と別れて、真鶴、湯河原、熱海の温泉卿へと辿っていったときのシーンで思うことがあった。


小田原から始まる伊豆半島の海岸線に沿って有数のリゾート地が続き、それを確実にしているのは、誰も異議ないであろう美しい海を見渡せる景色なのだが、その絶景を『我が物』に取り込んでしまった物件と、そこで暮らしている「羨望の的」のような人がちゃんと顔まで出して出てきたのだ。
我が家のリビングから好きな時に絶景を眺め飽かすことのできる贅沢は、確かに誰でもできる話ではない。私だってうっとりと、見とれてしまった。

だが、それはプライベートの物件の内側から見ている場合に限る話であって、この番組の主なモチーフである「空から」この物件を見ると、俄然話は変わってくる。
 
コンクリートの異様な建物群が、いかに町の景観を壊してしまっていることか!

それは恐らく、昔から住んできたその土地の住人には許し難い暴挙ではないかと思えるほどの、金本意による殴りこみである。

いえいえ、それはここで私が目の仇にしている真鶴や熱海の特定の物件だけじゃないでしょう、景観を壊しているのは。

もちろんどこまでが許容でき、どこからがまんできないか判断するのは人それぞれであろうが、「絶景」を手に入れることと引き換えの環境負荷を、もう少し真摯に考えてほしいものだと、ひがみ半分に思ってしまったのだ。

それとは対照的に、絶景を独り占めしている文句なしに羨ましい人も出ていた。

それは海岸沿いの山の斜面に沿ってみかんを栽培している果樹農家の人だ。

高低のある斜面での作業の強力な味方として、収穫したみかんをコンテナに乗せて運ぶ「みかんモノレール」が紹介された。

その農家のおじさんは、みかんの木々の間を縫って走るそのモノレールに、コンテナと一緒に乗っかって斜面を上り下りするのだが、目の前には穏やかな伊豆の海がパノラマのように広がっている。

遊園地のアトラクションの何倍も素晴らしい乗り物ではないか!!

おんなじ「絶景の独り占め」でも、こちら(みかんの木々)は風景を壊すどころか風景に文字通り花を添えている。

絶景を挟んで、極端に違う二つのものを見て思ったのでした。

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今年も箱根駅伝

あけまして 箱根駅伝で ございます 


ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心なく 駅伝観るランラン


今年も箱根駅伝、楽しませていただきました。

私にとって駅伝応援は、どこの初詣よりご利益ありそうなので、今年も復路の蒲田あたりまで行ってきました。

デジカメ忘れて、ケイタイで写真を撮ろうとしたのですが、シャッターが反応する頃にはもうランナーは走り去っていて、失敗ばかり。写真に気を取られているヒマはないので、諦めました。

国道1号の近くまで来ると、自転車に乗った「それらしい」おじさんや親子連れが同じ方向に走って行きます。私ももちろんその中に混じって走ります。
国道に出ると沿道はすでに人垣ができあがっていて、2列目になってしまいそう。
何とか1列目に入れるところを見つけて、ひたすらランナーを待ちます。

車道の交通規制は、毎回思いますが最少最短の規制に留めているのがよくわかります。
その分沿道には2〜3メートルおきぐらいに、おまわりさんが立って、車と応援の人たちを視ています。

主催者読売新聞の露払いの車が「応援ありがとうございます。もうすぐここを通ります。」とスピーカーから呼びかけながら通っていくと、いやがうえにも気持ちが高まります。

関係者の車が何台か通ったあと、白バイが見えたと思ったら、トップを切る早稲田のランナーが音もなく一瞬で走り去っていきました。 続いて東洋大学。 思ったより距離が開いていて、それぞれマイペースできれいな走り姿でした。

3位との間はさらに開きがあって、その後は次々にランナーが駆け抜けて行きました。
その都度、応援の人たちは、手にした小旗を振り振り、くちぐちに「がんばって〜」などと声をかけます。私も「ガンバレ〜!」と声を張り上げました。
それは自分への激励でもあるのです。
目標に向かってひたすら走っている、現人神さまのような選手のみなさんの姿を見て、
その力を、自らの身体の中に取り込もうと、神社の鈴を鳴らすように旗を振り、応援するのです。

選手の皆さん、ありがとう。 今年も元気をもらいました。


今年の駅伝で印象に残ったシーンの一つは、6区山下り途中の早稲田の選手の転倒と、ゴール直前の国学院選手のコース間違いがありました。この両当事者の選手は、結果的に「吉」となりました。
そこで思ったのが、転んだり、コース間違えたりした本人があわてるのはもちろんですが、そこにいた他の選手も同時に気が散るのだろう。それもマイナスに反応して、走りがにぶり、結果的に転んだ/間違った選手を助けてしまうのだろうということでした。
転んだ一瞬、それっ!と東洋の選手が猛烈にダッシュできたら、早稲田の選手も追いつけなかったかもしれない。 城西の選手も、それっ!と反応したら国学院の選手を交わせたかもしれない。
でも、それができないで、一瞬「あれっ?」と気が散ってしまうのがプロではない、アマチュアの学生選手の良いところではないでしょうか。

ところで早稲田の渡辺康幸監督は、指導者として大成されたみたいですね。
箱根を走っていた頃、またその後の現役時代のインタビューなど見ていた限りでは、
素質に恵まれた、苦労知らずでヒーローとなった人のようにお見受けしていました。
それにしても3冠達成はすごいです。

つけたしになりますが、箱根駅伝の今のテーマ曲は久石譲作曲らしいですが、私は以前の曲のほうがずっと好きです。 ヒタヒタとランナーが向こうのほうから走ってきて、走り去っていく広がりを感じさせる勇壮な曲想でしたから。 あれは誰の作った曲で、なんで変わってしまったんだろう。
そう思ってYou Tubeで探してみたら、ちゃんとあるんですね。

川崎市宮前区といえばベッドタウンとして高度経済成長期に人口が急増した地域の代表格であり、その代償で里山の自然環境は人工的な無数の人間の棲家に姿を変えてしまった地域でもある。
ところが、今となっては多数派の新住民に埋没されずに、脈々と従来からの暮らしの営みをつづけている地元民が、ここにもちゃんといた。

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この映画、「うつし世の静寂に」は、民間信仰ともいえる「念仏講」「巡り地蔵」「獅子舞」を通じて、そこに暮らす人々が描き出されている。


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映画の内容は公式サイトに任せるとして、http://www.sasala-pro.com/shijima/shijima.html
印象に残ったことなど紹介してみたい。

今日は映画上映に続いて、この映画の監督(由井英氏)、製作者(小倉美恵子氏)それに法大教授の江戸学者の田中優子氏を交えたトークショーがあって、映画が多角的に鑑賞できてよかった。

実は映画の最初からマイッタのだった。
年齢的に私と同世代か若干年上と思しき女性が、丹精込めて畑仕事をしている場でのインタビューで映画は始まるのだが、かのひとは「農家の嫁になるのが子供の頃からの夢だった。野菜作りの仕事ができてとても幸せに思う。」と、それは聞き手の悦びそうな答えを選んでとか、そんな不純さなど微塵もなくて、本心そのものであることが誰にもわかるような、さわやかな笑顔と確信と自信に溢れた美しい表情の中で、そう語った。土地に根ざしていて、揺るぎない帰属基盤から来る豊かさと大らかさが見えた。
自分を引き合いに出すのは気が引けるが、むしろそのような帰属に価値を見出せず、回避してきた私には全く相入れない人としてその女性は写った。しかし「恐れ入りました」という気分になった。
自分の持ち場をしっかりこなして、次に繋いでいく。「まっとう」という言葉がぴったりの女性。

そんな真っ当な人々が寄り集まって「講」や「お地蔵様の信仰」や「伝統行事の獅子舞」を行う様子は、まるで「少数民族」の伝統行事を見ているようだった。
彼らの結びつきが強いことは明らかにわかるのだが、それをうっとおしく思う人はここには出てこないのだ。そういうこともあるだろうが、あくまでこの映画のテーマはそんなことは無関係と切り捨てている。

「念仏講」で寄り集まった人の座卓には、手作りのご馳走が並んでいる。それもれっきとした食文化の継承なのだが、それを大がま、大なべで作ったのは恐らく女だけであろうという、性差による明確な役割分担が見て取れる。しかしそういうことに疑問を持つ人のことも、この映画のテーマから外れるので論外になっている。

それは論外にしなければ、映画がぼやけてしまう。
しかしどうしてもそのような視点から見てしまうのも、これも自分としてはどうにもならない。

(伝統行事など)営々と続いてきた地域の慣わしの意味や理屈など考えないで、守り通すことのほうが良いのだろうか、とトークの中で田中優子さんも自問していた。

妙な理屈は不要なのかもしれない。
私にしたってそもそもなぜこの映画を見ようと思ったのか、
いくら頭で否定しても、八百万の神々を信仰する心が三つ子の魂で残っているのかもしれない。
自然に則した、持続可能な暮らしぶりを見て、人々の表情を見て、静かな興奮が沸き立ってきた。

この映画には最初から最後まで一貫して鼻につくようなわざとらしさがない。
背景の音楽も出しゃばらずに、効果的だったし、製作者の小倉さんのナレーションがとても良かった。
聞けば小倉さんのルーツはこの地域にあり、土地への愛着から端を発した映画作りであっただけに、その想いが静かに、しかし確信を持って伝わってきた。


素直に、穏やかに感動できる異色の作品だと思った。
 NHK eTV特集 「死刑裁判」の現場 ― ある検事と死刑囚の44年
   http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html

 表題のテレビ番組を見た。
死刑制度に対して日ごろ確とした意見を持っているわけではない。
理不尽で極悪卑劣(と自分が感じる)犯罪が起きれば、犯人は死刑も当然と思ったりするが
つい先ごろの鳩山法相時代のように、ベルトコンベア状態で死刑囚が刑場へ送られたニュースを聞けば
本能的に恐ろしさを感じ、死刑容認派が85%とのアンケート結果に、ちょっと待ってよ、、と、
異論を挟みたくもなる。

裁判員制度が始まって早や1年。市民裁判員自らが死刑を下す裁判も、今後ありうるという。
そうした中、この番組は観念論の「死刑」でなく、実際の「死刑」とはどんなものなのかを、
考えるきっかけを与えてくれた。

いわば「血の通った」生身の死刑囚と、彼を取り巻く担当検事、弁護人(家族)など関係者を登場させ、
視聴者が感情移入しやすい構成になっていた。しかし安っぽいお涙頂戴の話ではなく、
関係者の述懐も極めて冷静沈着で、事実からなるべくバイアスがかからないような配慮が伺われた。
(被害者については敢えて一切触れていなかった。焦点が2つになることを恐れたのだろう。
 その手法でよかったと思う。)

この事件の犯人の「死刑」が妥当な判決であったのか、なかったのか、
それにはどこまでいっても正解はない。
しかし正解ではなくても、いろいろな「比較」はできる。
また、死刑を回避できたとしたら、それに足りなかったいくつかの点を、番組では明らかにしていた。

裁くのも裁かれるのも人間なのだから、感情や先入観など、さまざまな不確定要素で判決が左右されていく、などと私は素人だから、簡単に言ってしまうけれど、法曹専門家は、そんなことは言えないだろう。
だからこそ、この番組の中心的登場人物であった最高検察庁元検事、土本武司氏の苦悩は大きいのだ。
彼の中の「検事」と「人間」―ふたつの人格が心の中で葛藤を続けていた。

「鬼(検事)にはなれなかったのですよ。」と言葉少なに語る元検事はとても人間的に見えた。
彼は死刑囚を救おうと身を挺して闘ったヒーローなどではなく、
ある時は組織の中の個人として、またある時は法治国家の番人として、心が揺れ動くままであった。

死刑に立ち会うことも検事の任務の一つだというが、それを避けたがる検事が多いのが事実だという。
別の死刑の立会いを志願したことがある土本氏だが、その時の証言を基に、スタジオに刑場が再現され、死刑の手順がなまなましく伝えられた。
死刑判決を下した裁判官、執行命令を下した法務大臣、死刑を容認するマジョリティ市民、は、刑場の空気(音やにおい)をどれほど理解しているのだろう。
実際に立会い、何らかの係わりを義務とする職業の人(読経僧、検死する医師、看守、刑務官など)との温度差はどれほどだろう。

番組を見ているうちに、人間は犯罪の被害者にも加害者にもなりうるものだ、
なりたくなくてもなりうるものだ、当たり前のことを思った。


死刑について、他人事として軽はずみな考えを持ってはならない、と考えさせる番組であった。
世田谷美術館では川上澄生の版画展を開催中だが、先週の土曜日に「川上澄生の作品と生涯」と題した講演会(講師は竹山博彦氏:美術史家、実践女子大学非常勤講師)があったので、それに合わせて出かけた。

 川上澄生は有名な「初夏の風」ぐらいしかはっきりと作品を知らないのに、知っていたその1枚の印象はかなり強烈だった。だから展覧会に行く気になったのだけれど、初夏の風のイメージから、川上澄生は霞を食べて生きているような上流階級の芸術家なんだろうと勝手に思っていたので、特に思い入れはなかった。

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 ところがその生涯は全くの予想外だった。
1895年の生まれは横浜で、現在の神奈川新聞の主筆を務めた記者を父として、青山学院中高等科に学び、卒業後は1年間の外遊生活を送るなど、確かに恵まれた境遇であったようだが、恵まれていたのは子供時代のことであって、大人になってからは本来の姿が現れたのか生活は一変する。

東京での一人暮らしでは何をやっても長続きせず、26歳の時(1921年)宇都宮中学校(現宇都宮高等学校)の英語教師となって赴任して以来、戦時中の一時期を除いてほぼ50年間、宇都宮で教鞭を取り続けた愚直な版画家であった。実際に川上澄生が有名な版画家であることなど知らない人の方が多かったという。学校では野球部の顧問でもあり、甲子園出場も果たしたほどで、むしろ野球の川上先生、英語の川上先生で有名であったようだ。

川上澄生にとって版画は自分の分身ではあるものの、金額で計れるものではなく、まして騰貴の対象ではなく、自分にとって好ましい、自分が楽しむための作品を終生作り続けた。
作品の山に埋もれていても生活は質素そのもので、トタン屋根の家は風雪にさらされるままの姿をむき出しにしていた。

それでもあばら家で作り続けた版画作品の数々のなんと、飄々として、鮮やかで晴れやかで、気品があって、遊び心満載なことか。きっと生活のための作品ではないからなのだろう。

川上は恐らく表現の自由、心の自由をどこまでも追求した作家なのだと思う。
1942年には日増しに軍国化する校風に馴染めず、宇都宮中学を退職して困窮生活を余儀なくされたが、北海道へ疎開するなどして戦時を凌いだ。

24日の講演会の会場には、宇都宮中学時代の教え子の男性(85歳)や、宇都宮高女時代の教え子だったという女性の姿もあり、当時の川上先生のエピソードを披露してくれた。

初夏の風から受け取った第一印象のイメージは結局当たっていたのかもしれない。

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