気まぐれ日記

気まぐれグランピーの世相やぶにらみ

観る (映画・展覧会・TV))

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 (上の説明文は朝日マリオンからの抜粋です。)


 ベン・シャーンの絵はいつ見ても心に響く。シンプルな線画ほどぞくぞくする。

 初期の頃の作品だと1930年代前後なのに、
 時代を超えていつもモダンで、コンテンポラリーな感じがする。

 8月8日までMarunouchi Gallery で開かれている展覧会は、
 嬉しい事に数多くの作品が一度に見られる。
 いままで私はあまり見たことがなかったカラーの作品(油絵、水彩画)も展示されていて、
 これがまたいい。色合いがなんともいえない。
 
 もちろん、目を魅かれて離れがたい線画もたくさんある。



 
 以前の記事で紹介したように被爆した第五福竜丸の絵を描いたのもベン・シャーンだったが
 「社会派」であるのはもちろんだが、それだけでは括れない深い魅力を秘めた作家だと思う。
 

 ギャラリーのスタッフも気軽に説明してくれるし(絶対に絵を買うお客じゃないけど)
 丸の内界隈のお散歩がてら、ぜひお運びください。

 

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コーヒーがなかったら一日が始まらない、一日が終わらない。
かといって豆にうるさいわけでもないが、スタバの味は好きじゃない。
頭で好きじゃないのではなくて、味そのものが好きじゃない。
好みのコーヒーは、軽くて甘い香りの強いの、、、
そういうコーヒーなら何杯でもいける
寝しなに飲んでも眠れる、、

そういうわけだから「おいしいコーヒーの真実」という映画のタイトルを見るなり観たくなって
先日観てきた。


コーヒーに限ったことではなくて、たとえばカカオ栽培の重労働に駆り出される現地の子どもたちの口にチョコレートは入らないとか、その種の矛盾や搾取は世界中にたくさんある。
つい先日もNHKのクロースアップ現代だったか、アグリビジネス会社に騙されて読めない契約書にめくら判を押して不利な条件で燃料作物を栽培しなくてはならないアフリカの農民の姿を見た。
搾取するのはいつも先進国と言われる国の国民で、搾取されるのはいつも途上国の国民。
経済援助などといえば聞こえがいいが、援助したはずのお金がまた自国の企業の懐に戻ってくる仕組みだったりするのは毎度のこと。

もういいかげんうんざりするが、この映画のテーマもまさにそれだ。

でも現地の生々しさがあまり伝わってこなかった。
実際にコーヒーを栽培している労働者の声が生き生き伝わってこなかった。
実体の暴き方が今ひとつ緩慢で、重心の足をどこに置いてドキュメンタリー撮ってんのか、
少し物足りなさがあった。

映画の解説にあるように、
「エチオピアの74000人以上のコーヒー農家を束ねるオロミア州コーヒー農協連合会の代表、
タデッセ・メスケラは、農民たちが国際市場で高品質で取り引きされるコーヒー豆の収穫のために
奮闘するかたわら、公正な取引(フェアトレード)を求めて世界中を飛び回る。」
その姿を追っているが、このおじさんの心象があまりよくない。

農民のために奮闘していると、自分でも言っていたが、なんだかあやしい、
要するに運動ではなくて仕事でやってる感じなのだ。それも一つのビジネスに見える。

生産現場の農民と一体になっていないで何が奮闘なのかと思う。
農民が求めているのは単にコーヒー豆の取引値を上げろということではなくて、
値上げを可能にする仕組みづくりに立ち入る変革、改革だと思うが、
そういうところの視点が足りなかった。

コーヒーを愛飲する先進国の映画制作者の目線の映画、、

そういう私も映画を見た後も見る前と同じように
無意識に一日何杯もコーヒーを飲んでいるが、、、

つぐない

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 舞台は1935年のイングランド。貴族のお城のような古めかしくて威厳のある館に住んでいるのは政府官僚の一家。姉のセシリアはケンブリッジを卒業したものの身の振り方いまだ定まらず広い屋敷内で身をもてあまし気味の日を送っている。一方、作家志望で日がな一日タイプライターに向っているのは妹のブライオニー。才気溢れる多感な13歳だ。

 広い敷地内には使用人の家族が住む家もあって、使用人の息子ロビーは姉妹と幼馴染のように育った。雇用主の援助を受けてケンブリッジを卒業後、さらに医学部を目指している。
 
 子供の頃から近しいセシリアとロビーは身分が違うこともあり、お互い特別な感情を持つことなど考えられなかった。しかし理性とは裏腹に知らず知らずのうちに感情が動き出すところが人間の常である。

 映画はそのカミングアウトの心模様を、心拍のようなタイプライターの打音に乗せて、時に激しく時に危なげに、またミステリアスに表現している。

 湧き上がる感情に自ら目をつぶって来た姉とは違って、妹は感情に素直だった。おませなブライオニーはロビーが気になって仕方ない。13歳という微妙な年齢をこの映画は上手に描いているし演じている。

 映画の構成は前半と後半で大きく違うのだが、一日の出来事を細かく追った前半が特に良かった。
 歴然とした階級社会の中で暮らすことを実感するのはむずかしいことだが、1シーン1シーンにこの時代の富裕層の暮らしぶりが伝わってきた。小道具も効いている。

 1935年というのは大量生産以前の時代なので、金持ちといえど家の中はモノで溢れかえっているわけではなく、オール電化でもなく、自然の風が屋敷を吹き抜けているようすがわかる。
あれは何月だったのか、初夏といったところか、季節の割には蒸し暑い一日という設定のようだったが、
汗ばむほどの日当たりの良い屋外であっても、屋敷内の奥まったライブラリーまでは外気も熱気も光も届かずに、ひんやりした空気に包まれている。
その場の温度感が伝わってくるような映像だった。

 一転、後半は戦争映画になる。13歳の半ば無意識の嘘によってセシリアとロビーは引き裂かれるわけだが、戦争もこの映画では大きな要因になっている。反戦映画と言ってもよいくらいだと思う。

 大きな感動はないのだが、後からじわじわ感動が染み出てくるような映画だった。

 時間のあるお方はご覧になるといいのではないでしょうか。







アメリカを売った男

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20年以上もアメリカの国家機密をソ連のKGBに売り渡していた実在のFBI捜査官のスパイ事件を映画化したポリティカル・サスペンス。国も組織も巧妙に裏切り続けた犯人を逮捕するまでの2か月間を追う。『ボーン・アイデンティティ』などの名優、クリス・クーパーがわるがしこい捜査官を怪演。『クラッシュ』のライアン・フィリップとの演技合戦のほか、人間の深い心の闇に踏み込んで行く思いもよらないストーリー展開に興奮する

,,,,という触れ込みの映画を見たが、ストーリーが平淡であまりおもしろくなかった。
実在したというこのスパイ捜査官も、追い込んだ若手捜査員のことも知らなかったけれど、ましてFBIの事も知らないのだけれど、それでも言わせてもらえば、この映画シナリオは荒すぎるのじゃないかな。
見る人の多くは私のように何もわからない素人なんだろうが、素人だましの映画のような気がした。

このスパイは20年以上もアメリカを食い物にしてから逮捕されたようだが、そもそもなぜ20年以上もスパイ活動できていたのか、この映画から全く推測できない。この映画の状況だったらこのスパイはすぐにでも足が出て逮捕されてしまうだろう。だって少しもスパイらしくないのだもの。
自分の車のトランクに拳銃を大量に乗せていたり、おとりとして送り込まれた部下に対して無用心だし、
ポルノフィルム入り封筒を簡単に託すし、、、。名優クーパーも隠居捜査官にしか見えなかった。


設定は2001年初頭のはずだが、その当時のFBI内部のパソコンってあんな旧型だったのかなと、不思議に思うほど後ろに出っ張った古いタイプのものだった。それにポケベルだったし。

BGMに出て来たアンドリュースシスターズのこと、若い捜査員エリックはもちろん名前も知らなくて、

「誰ですか、それ?」と聞く。「ボスが子供の頃流行ったんですか?」
「いいや、わたしのおやじが子供の頃流行ったヤツさ。」

映画の中では "Near You"がかかっていた。懐かしい曲だけど、私はこのAndrews sistersは好みでもない。私が子供の頃にはラジオから流れていたこともあったけれど、歌い方とか曲風は好みから外れる。

結局、ポリティカル・サスペンス、のキャッチコピーに騙されてしまった感じだなあ〜。

そうそう、シャンテ・シネで見たのだけれど、同時上映の「ラスト・コーション」は満席だったみたい。そっちの方がおもしろかったかも。
先週1月22日に開かれた「カルラのリスト」上映会とそれに続くトークイベントに参加した。


 「カルラのリスト」上映+トークイベント「正義とは何か?」
 ゲスト:雨宮処凛、寺中誠(アムネスティ日本事務局長、学生パネリスト5人
カルラ・デル・ポンテ氏は 「旧ユーゴ国際刑事法廷」の国連検察官。
'95年のボスニア内戦で起きた集団虐殺事件の戦犯を追い、スイス軍の専用ジェット機で世界中を飛び回る。犯罪者の逮捕は当該国の協力が必須で、そのためにカルラは各国の首脳に会っては情報交換や、逮捕協力依頼を繰り返し要請する。しかしほとんどの国が非協力的であるのは、さまざまな政治的思惑が絡み、戦犯逮捕より自国や自民族の利益優先だからだという。

カルラのような国連検察官もまたある意味雲上人なので、その任務についてもまるで知らなかった。
国際社会で法の支配を実現するためには恒常的な機関が必要で、2002年、オランダのハーグに国際刑事裁判所(ICC)が設立されました。日本はようやく105番目の締約国として加盟しました。この映画は、これに合わせて公開されることになりました。今改めて国際社会における法の支配を考えるのに良い機会です。法学館憲法研究所のHPより抜粋

映画では集団虐殺で家族を失った被害者の証言が続き、その訴えを聞くカルラの姿が映し出された。
カルラは誠実に一途に「正義」の実現のため、奪われた「正義」を取り戻すために日夜闘っているが、
被害当事者ではない。カルラは偉大な代理人で、被害者の全権大使である。
人類にとってプラスの権力には違いないが、カルラもまた権力を与えられた者だ。
マイナスの権力に立ち向かうには健全なプラスの権力で対峙しないと、拮抗が取れないということだろう。チャータージェット機での移動も、ブランド品を身に付けるのも、シャンパンも、正義遂行のための小道具に過ぎないのだろう。

だから、もっと大勢のカルラに世界を股にかけた活躍をしてほしい。
しかし、映画を見て感じたのは、カルラの任務は激務であるかもしれないが、各国首脳にとったら
織り込み済みの内容なのではないだろうか。
こんな比較は的外れかもしれないが、カルラの姿に「国連親善大使」がダブった。

カルラの任務は恐らく誰もいちゃもんが付けられないほど高貴なものだと思う。
それはそれでいい。全く文句はない。

でも、カルラだけに任せるのもよくない。
そしてまた名指しされた戦争犯罪人だけに戦争の罪を押し付けて、法廷で裁くというのも良くないのではないか。

いつの戦争、内戦でも、被害当事者はいつも置いてきぼりの感じがする。当事者の頭ごなしに政治は動く。当事者の痛みをもっと一般化して共感するためには、いろんなレベルのカルラがいろんな活動をすることが必要なのではないかと思った。

実はこのような考えも、上映に続くトーク集会で、雨宮さん、寺中さん、それに5人の学生諸君の発言を聞いて、彼らにその力を感じて思ったのだ。

今時の若い者は大したもんだ。私は素直に嬉しかった。
5人の誰の言葉だったか、「カルラのように、国の上に立つ権力を与えられた者が活躍するのも大切だが、カルラの任務はあくまで後処理だ。大量虐殺や戦争の後処理でなく、予防するためには、国の下にいる市民のレベルで未然に防ぐことをしなければいけないのではないか。」

「私はノンポリだから、政治は関係ない。政治とは一切無関係な活動です。などと言って、あたかも政治がいかにも胡散臭いものとして敬遠する傾向があるが、政治に目をつぶることが、政権に加担することであることを意識しなければならない。黙っている事は権力者に都合良く解釈されてしまうのだ。」

「地球温暖化のような環境問題だと興味を持って積極的に取り組む学生も多いのに、環境問題と深く根が繋がっている、たとえばイラク戦争反対の活動となると、とたんに身を引く人が多い。それはなぜだろう。環境問題一つとっても突き詰めていけば政治問題に突き当たる。無関心でいられるはずはない。」

雨宮処凛さんが来る会場には若い人がたくさん来る。この日も100人ほどの会場を埋め尽くしていたのは8割がた若者だった。私の世代が少数しかいない集会に私が出席するのはあまりないことなので、
その意味でも出席して満足した集会だった。

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