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All Reviewsというサイトがあるのを知った。 「書評アーカイブ」を目指しているらしい。サイトの紹介には以下のような説明がある。 ―日本を代表する書評家が新聞・雑誌・書籍で発表した書評を持って、WEBサイト: All Reviewsに個人の資格で参加すると言う形式。コミケ会場のような巨大なWEBドームに、それぞれの書評家が書評した本を持ち寄って個人のWEBブースを開店したようなイメージ。閲覧はすべて無料。ー 書評の対象となった本を読みたくなれば、次のステップで購入方法が表示される。でもその中に「カーリル」=全国図書館の蔵書検索も入っていたので、図書館でまず借りて見ようと思う人には便利だと思う。 そして、カーリルでお気に入りの地域の図書館をあらかじめ設定しておけば、本を検索すると瞬時にその時点で貸出可能な図書館が表示される。これは便利。 これからたびたび利用させてもらおうと思う。
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読む (本)
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東海大学出版会が出版している月刊誌『望星』を1冊初めて手にして読んだ。今までは掲載されたエッセイを取り出したものをコピーで読んだことはあったのだが、武蔵野市の図書館「武蔵野プレイスに」に所蔵されていることを知って、実物を見ることができた。 バックナンバーも一度に見られるので重宝だが、これが総じて充実した内容だった。 例えば最新号1月号の主な目次は、http://www.tokaiedu.co.jp/bosei/ から見ることができるが、この中で なぜ「不都合な歴史」と向き合うのか と題したインタビュー記事は、2013年に長野県阿智村にオープンした満蒙開拓平和記念館の専務理事(ご両親が開拓団員)に、「本当の開拓」ではなかった満蒙開拓について聞いている。 この記事はネット上の目次でさわりを立ち読みできる。 国策で行われた満蒙開拓だから、国や県で記念館を造ってほしいと要望したそうだが、それは適わず結局民間団体で建設したという。その記事の最後の数行に目が留まった。今年11月17日に天皇皇后夫妻がこの記念館を来訪されたという。地元紙ではこれを報じたhttp://megalodon.jp/2016-1117-1827-59/www.shinmai.co.jp/news/nagano/20161117/KT161117ASI000004000.php が、全国紙ではほとんど掲載されていないとあった。天皇ご夫妻は「不都合な歴史」に向き合うことに徹しておられるのか、「山の中のマイナーなテーマの小さな記念館」訪問を選ばれたのは、どのような経緯であったのだろう。 また12月号には映画から歴史を読み直すという、池内紀、川本三郎の対談記事があり、ここではヒトラーを描いた様々なドイツ映画について興味深い話が展開していた。記事中に紹介されていた池内紀氏のweb遊歩人というブログで取り上げていた、ヒトラーの時代「小市民について」が、とてもおもしろい。 http://www.bungenko.jp/yhj/blog/tag/%e3%83%92%e3%83%88%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%81%ae%e6%99%82%e4%bb%a3%e3%80%80%e6%b1%a0%e5%86%85%e3%80%80%e7%b4%80/ さらに遡って8月号では、わが子は戦場へ行くのか いたたまれずに声を挙げた自衛隊の家族、の記事も読みごたえがあった。自衛隊員の息子を持つ父親が、母親が、同じ境遇の自衛隊員の家族に向かって自衛隊の海外派遣の違法性を全国行脚して訴える様子は心に重く響く。 毎号チェックする雑誌にこれからは『望星』も加えようと思う。
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のっけから私的な話で恐縮だが、先日娘に男児が生まれて私も晴れておばあちゃんになった。 赤ん坊というものは何度見てもいつもとても神秘的だ。神業と言う言葉がぴったりの産物ではないか。 その赤ん坊におっぱいを飲ませるしぐさもまた、いつ見てもとても感動的だ。 いつの時代も赤ん坊に乳を飲ませている女の姿は、そのまま一枚の絵になると思う。 というのも、そんな母子の姿を集めた絵画本がある。 編者は窪島誠一郎となれば、また一味違う。 熊谷守一「母子像」 窪島さんは周知のように、2歳少しで他家に預けられ養父母に育てられた。 実父母と劇的な再会を果たしたのは35歳の時だというが、この本は 「今は亡き二人の母に向けた一通の恋文」ともいえるものだという。 確かにこの本に紹介されている母子像は、授乳中の絵を始めとしてどれも母子の固い絆、交わりが伝わってくるもので、母親に育てられた記憶のない人にとってみたら、それは「羨望」の一言では片付けられない感情が沸き立つかもしれない。 この本に紹介されている36枚の絵にはそれぞれ窪島さんのエッセイが綴られているが、文面には繰り返し窪島さんの羨望ともひがみとも読み取れる言葉が出ている。まるで幼い日の窪島さんが「おかーちゃん、おかーちゃん!」と母親を求めているようにも聞こえる。 と言ったら、暖かい光あふれる母子の至福のひと時を描いた絵が思い浮かぶであろう。 もちろんこの本には、文句なしに幸せがいっぱいに広がって、見る者の心まで幸せにしてしまうような絵もたくさんあるが、しかしそれだけではない絵もそれ以上に紹介されている。 つまり戦時や被災時、非常時、困窮時にある母子の姿である。 生命の危機が迫る中、あるいは明日の希望もない中、絶望、恐怖、不安、緊張などの感情に包まれた中での、それでも何物にも代えがたい、犯しがたい母子の絆を現した絵である。 その際たる絵は丸木位里、俊の「自然壕(ガマ)」の絵だ。 ガマで自決を余儀なくされた母子たちの、決行直前の極限図なのだが、”そうした絶望の淵にあってなおを一縷の生を紡いでいた「母と子」の群像図”である。 赤ん坊に乳を含ませている母親がいて、母親に寄り添う幼子がいて、人の営みがしっかりある。 悲惨な、卑劣な、惨い、壮絶な、、と出来合いの形容詞を使っていくら戦争を形容しても、実体験のない我々には共感共苦できないところがある。 しかしたとえば丸木夫妻のガマの絵を見れば、自分事として戦争が伝わってくる。 ここに紹介されている日本人画家が描いた36枚の絵にはそれぞれ物語りが感じられ、また窪島さんの程よいエッセイがハーモニーを奏でている。 どの絵も一度見たら忘れないような印象的な絵である。 取り上げられている絵のいくつか 丸岡比呂史「母と子」 菱田春草「寡婦と孤児」 石垣栄太郎「逃避」
福田豊四郎「秋田のマリア」 大森運夫「国境」 古茂田守介「母子」 東郷青児「渇」 香月泰男「母と子」 斉藤真一「初旅」 中村萬平「霜子」 |
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多摩の鉄道沿線 古今御案内 本屋で、本の方から私を探している、というような本に時々対面することがあるが、この本もそうだ。 きれいな表紙じゃありませんか。これは京王電車沿線名所図絵(東京より多摩御陵)昭和6年とある。 しかし魅かれたのは表紙じゃなくてもちろん中身。 一言で言えば多摩地域の鉄道の歴史を、古地図を見ながら語っている本なのだけど、 なんだかよくわからない古地図も、本を読みながら見るといろんなことがわかってきてとてもおもしろい。 本の目次を見てまず注目したのが 府中の鉄道史は「砂利鉄」に始まったという項目 これはまさに「下河原鉄道」のことだ! 下河原鉄道跡の緑道は先日ぶらりポタリングしたところで、 ブログともだちのたまりヴァさんに教えてもらった緑道なのだ。 この下河原線と京王線がどのように交差していたのかと疑問を持たれていたが、 以下の古地図が本の中にあった。 「武蔵府中」昭和44年修正 これを見ると確かに下河原線は京王線と交差しているのがはっきりわかり、しかもやはり立体交差のように見えるのだ。もちろん京王線が上。(京王線がここまで延長されたのは1925年) でも南武線との立体交差は、南武線が下にもぐっているように見える。(南武線開通は1929年) 元々は下河原貨物線といって、中央線国分寺駅から南下、府中市街西側を経て多摩川原までの7.1キロを多摩川の砂利運搬のために敷設したという。(1910年、明治43年) 昭和44年の地図にまだ現役で走っていた下河原線を見つけて驚いた。 いったいいつまで現役だったのか? 答えは、昭和48年。本には次のようなくだりがある。 「武蔵野線の開通に合わせて一部がその敷地に提供され、国分寺駅付近と東京競馬場までの支線が廃止、下河原までの貨物線もまもなく廃止となった。しかしそれ以前にこの貨物線は、昭和39年に多摩川の砂利採取が禁止されてからは存在意義をほとんど失っていたが。」 私にとっての昭和48年なんて、はっきり肌感覚の残っている近過去だから。 しかし当時は西武線沿線住民だった私は、この下河原貨物線のことはなんにも知らなかった。 この「砂利鉄」の項だけでも、興味深い記述がいくつもあって、たとえば 多摩鉄道(現在の西武多摩川線)も砂利採取目的の鉄道だったが、 多摩川競艇場はその砂利採取跡の大穴を利用したものだという。 「現在の西武多摩川線は砂利ではなく、大穴を狙う客を乗せて走っている。」、、、確かに。 また別の項は 「大栗川はこんなに蛇行していた!」というのもある。 こちらもぶらりポタリングコースだ。 うーん、どの項も、身近なところの至近の歴史がわかりそうだ。
じっくり読むことにしよう。 |
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『小田急線 沿線の1世紀』という大判の本を店頭で見て、手元に置きたいけれど値段が4000円だし、かさばるし、、、で、ともかく図書館で借りてきた。 特に小田急のファンというわけでもないのだが、、 でも今は小田急線沿線に住んでいるし、なにより子供時代へのノスタルジアが大きい。 新幹線に憧れは感じなくても、ロマンスカーには憧れがあり、今でも郷愁を感じる。 小田急(小田原急行鉄道小田原線)の開業は昭和2年4月1日だというから、 昭和とともに発展してきた鉄道そのものだ。 社名の『小田急』も、昭和の流行り歌『東京行進曲』の歌詞で使われたのが先行して、 後の社名変更になったという。 開業前後のエピソードを初めとする、小田急線ストーリーはさらりと流され、 各駅ごとの開業当時の様子やその土地の特徴などを丁寧に紹介している。 車両や駅舎の写真だけでなく、沿線風景などさまざまな昔の写真が数多く載っているのも興味深い。 今でも向ヶ丘遊園の駅舎に、かろうじてその面影が残っているのが、マンサードと呼ばれる形式だというのを、この本で初めて知った。 開業当時、主要5駅が、この二重傾斜構造のしゃれた駅舎構えでお目見えした。 今私が住んでいる、百合ヶ丘、新百合ヶ丘一帯は、急な坂道がいたるところにあり、 山を削って削って、宅地開発を進めてきたことがすぐにわかるが、 山に沿って大きく迂回していた小田急線の線路を、なんと山をそっくり削り取って直線化して、 新百合ヶ丘の駅を開設したというから驚いた。 複々線地下化に向けて、現在、工事が着々と進められている下北沢駅が見違えるように生まれ変わってしまう日も、間違いなくまもなくやってくる。時の流れとともに、それはいたし方のないことではあるが、 味わい深い特徴のある駅舎がまた一つなくなっていくのを目撃するのは淋しいことだ。 この本には、駅の数だけ、そのような今昔物語がたくさん入っている。 借りてきて一度見ただけでは味わいきれないので、そのうち買い求めようと思う。
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