気まぐれ日記

気まぐれグランピーの世相やぶにらみ

聴く (音楽)

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ | 次のページ ]

Oscar Peterson Remembered

オスカーピーターソンが82歳で亡くなった。

Jazz great and native Montrealer Oscar Peterson died today (Dec 24 2007) at the age of 82.

Oscar Peterson was one of the biggest international stars to ever come out of Montreal, a jazz great who performed alongside the likes of Louis Armstrong, Duke Ellington, and Count Basie.

His career began at the Negro Community Centre in Little Burgundy.

His family taught Oscar the basics, but soon the prodigy was impressing his teachers. "I didn't know what I was doing," said Peterson in an NFB documentary. "I just knew I could do this."

Some said that Peterson sounded like two people playing. But despite his talent, he encountered his share of racists in his drive to the top. "I remember we were due to play the Ritz Carlton, and they weren't going to have this," said Peterson.

Eventually people came around and lined up to see Oscar.

Even after a stroke in 1993 disabled his left hand, he could still play. His last Montreal performance was in 2004 at the jazz festival, where he celebrated his 79th birthday.

His name now adorns Concordia's school of music, and his legend has inspired many children at that same community centre where he learnt to play.



開く トラックバック(1)

MANHATTANに集う

イメージ 1

私の唯一の贅沢はジャズライブを聴くこと。
でもどうせならイデオロギーでも共感できるアーチストの演奏がいい。
以前にもこのブログでふれた高橋聡さんは、お見かけしているぶんには
至って穏やかなお方だが、とても頑固そうな気骨あるジャズピアニストだ。

 http://satior.ld.infoseek.co.jp/
 
つい先夜も高橋さんのジャズが聴きたくてMANHATTANに出かけた。
MANHATTANはお客が10人入れば満員、15人だと席無し、というくらいの広さだが、
そんな狭い空間で対面で演奏が聴ける、まさに貸切状態だ。

マスターはかなり年配の方でいずれ劣らぬ、この道を究めるという雰囲気を漂わせながら、
でも優しそうな面差しで店を切り盛りなさっている。

それにMANHATTANに集うお客たちはみんながみんな大人しい。どの人も常連さんっぽいのに
我が物顔する人がいない。みんな静かに話をしている。大きな笑い声も立てない。
とても上品。

なにより嬉しいのは高橋さんの演奏が始まると、みんな一心に聴き入る事だ。
演奏中はだれもおしゃべりしない。まったく演奏会状態。それが気に入っている。

場所によっては演奏はBGMみたいで、かまわず話に夢中になっている人ばかりでうるさいところもあるが、ここは違う。だからまた行きたくなる。

私はスタンダードジャズが好きなだけで、音楽の詳しい説明やら理論など全くわからない。
要するに気分だけで聴いているのだが、高橋さんのアレンジには心揺さぶられる。
こんな気分になれる自分もシアワセだと思う。

この日もトリオプラス1(ヴォーカル)で、いつものメンバーだからか、あうんの呼吸だった。
女性ヴォーカリストも声が気に入っている。

選曲もちょうど良い。”Speak low”は独特のアレンジで、いつ聴いても不思議な感じになる。
         
ジャズライブはひととき現実を忘れて、非日常を味わえる、

夢から覚めても、明日からまたがんばって働こうという気持ちになる

私にとっての魔法の杖です。
               

イメージ 1

イメージ 1

日がな一日オスカー・ピーターソンが弾くコール・ポーター曲を聴いている。音量はほどほどにして、心に染み入るままにしている。ピーターソンのピアノは、そばにいるけどお構いなくね、といった感じがいい。だから飽きない。

 "Just one of those things." も好きな曲だ。この曲のいわれは知らないけれど、話の接ぎ穂に言うときは「どうせそんなものさ」とか「よくあることさ」といった感じで、諦め半分達観半分に言う言葉ではないかと思う。

 思い出すのが、数年前、入学式で日の丸君が代強制ムードに素朴な疑問を呈したために校長から恣意的に辞任させられたPTA会長さんのことだ。彼が周囲から徐々に孤立させられていった様子を伝える新聞記事もあった。東京都教委から見れば優良マークの校長なんだろうが、件の校長はなんと私の高校の同期生だったというおまけつきの話でもある。

 そんな事もあって成り行きに注目していたら、そのPTA会長はプロのジャズミュージシャンということがわかり、ある時ある集会にゲスト出演してくれるというので、出かけてみた。
 その時大勢の東京都教員の前で演奏してくれたのがこの曲だった。

 ところが"Just one of those things."はスタンダードだけど、誰かれなく知っているという曲ではなしノリにくいのか、インストルメントもどちらかというと静かな基調だったためか、その場の反応はイマイチで、ちょっと残念だった。それで休憩時間に近寄って「いい曲を演奏してくださってありがとうございました。あの曲好きです。」と話しかけたら、冷静沈着な彼の表情が一瞬和らいだ。

 もしかしたらあの選曲は「既存の運動体には同調しないよ。」というサインだったのかなとも思える。それ以後、私の知る限り集会などで彼を見かけることはないし、噂も聞かない。いまごろどうしていらっしゃるかな、と物静かなただずまいでいらした、クビになったミュージシャン氏をこの曲と共に思い出している。

    http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=77064

jazz-bird に紛れ込んだ夜

イメージ 1

4月某日
 ある人に誘われたてまつりて、、というノリではないのだけれど、来ない?と気軽に声をかけられて、いなかのねずみが都会の夜のジャズパーティに紛れ込んだ。知る人ぞ知るベテランジャズピアニスト池野成秋さんを囲んだお仲間の集まりだ。
 池野さんはまさに歩くジャズ図鑑。人間コンピュータライズド・マルチ・タレンテッド・ピアニストと言ってみたくなるほど、深奥な雰囲気をかもし出していらっしゃる。人あたりはどこまでも柔らかい。恐れを知らぬ田舎人の私が次々にリクエストすると、はいはいと気軽に応じてくださる。しかし表面に現れている穏やかな外向きの面差しとは違った厳しさ、激しさの片鱗が窺える時がある。とうてい私などにわかるようなお方ではない。
 池野さんのピアノの凄さの一つは、歌い手のキーに即座に合わせて打ち合わせなしにいきなり伴奏してくれること。この夜もいろんな人がそれぞれのオハコといった曲を歌ったが、主役は歌手に譲って盛り立て役に徹しておられた。

 jazz-birdに集まった面々は某大学同窓生が多いようだったが、男性はおおかた熟年層で、これは感心したのだけれど、みんなジャズ大好きおじさんには違いないけれど、押し付けがましいところがなく、自分が楽しいのだけれど相手の楽しみをぶち壊すなんてことはなく、一つにまとまった品のいい空間だった。

 某大某クラブ卒業というオーナーの女性もまた外見も含めて素敵なヒトで、池野さんがピアノを弾きながら"I can't give you anything but love."を歌いだすと、私が弾くわと言って寄り添うなり、音をとぎらすことなく続きを弾き始めた。まさにお見事。お金持ちのお嬢さんしかピアノが持てなかった世代の私には、その光景がまぶしかった。

 どういう方なのか知る由もないが、"These foolish things."をクラリネットで演奏してくれた男性。帰りしなに、次の機会には「センチになって」を演奏してくださいとリクエストすると、「トミー・ドーシーのテーマでしょう、いいですよ。」と答えてくれた。果たして次のときまで覚えていてくれるかな。

 来る者は拒まず、去る者は追わず、の緩やかな連帯。自由自尊の雰囲気。こうでなくちゃね。

黄昏のビギン

 ビギン・ザ・ビギン(Begin the Beguine)と言えばコール・ポーターの名曲だが、「黄昏のビギン」という曲があることはつい先日、NHKBSちあきなおみ特集を見るまで知らなかった。音楽こそ理屈抜きで、いいなあと感じる曲はすぐいいなあと感じる。

 この曲はもともと永六輔、中村八大コンビが1959年に水原弘のために書いた曲だと知って、そうだったのか、とちょっと嬉しくなった。というのも物心づいて以来私は日本のポピュラーソング嫌いで、ついでにカラオケほど嫌いなものはないのだが、それでも例外があって、水原弘の歌には魅かれる物がある。
 もう一つついでに言うと、永六輔はあんまり好きでもないかな。だから「黄昏のビギン」もメロディがいいのであって、歌詞はちょっと引ける。My kind ではない。だからメロディ限定の話にしてほしい。

 それでこのメロディにいざなわれるようにして思い出したのが、遥か昔のワンシーンだった。1959年より前の話である。

 私は子どもの頃、東京はO町というところに住んでいた。駅前には阪急デパートがあって、正面玄関右手にはガラス張りの喫茶店があった。ある時、幼児の私は父母に連れられてその喫茶店に入った。それ自体が珍しいことだった。なぜなら私の育った家では、祖母、母はいつも留守番。私は祖父に連れられて外出するのが常だったから。
 なぜ父母と出かけたのかは覚えていない。ただ覚えているのはその時、喫茶店で母が注文したモノだ。私はいつものようにたぶん三ツ矢サイダーだった。父はどうせコーヒーだったのだろう、覚えていない。でも母の注文したものは、それまで見たこともないものだった。ウエイトレスが母の目の前に差し出したモノは、背高グラスの中に泡立つ赤い飲み物、おまけにポンとアイスクリームが上に乗っかっていた。

 クリームソーダという名前を私はその時初めて覚えた。その時の赤い色が今でも強く印象に残っている。
狭い家に3世代同居で、嫁だった母が一時、「個」を取り戻した時間だったのだろうと、今になってみればよくわかる。その時の赤は母の情熱の色だったかもしれない。

 ・・・・そんな情景が自然によみがえってきたのが「黄昏のビギン」のメロディなのでした。

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ | 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事