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発達障害者支援法ができるまで

「発達障害」は、身近にあるけれども、社会の中で十分に知られていない障害でした。
また、「発達障害」のある人は、特性に応じた支援を受けることができれば十分に力を発揮できる可能性がありますが、従来はその支援体制が十分ではありませんでした。
このような背景を踏まえ、発達障害について社会全体で理解して支援を行っていくために、平成17年4月から「発達障害者支援法」が施行されています。

発達障害ってどんな障害?

発達障害者支援法において、「発達障害」は「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能障害であってその症状が通常低年齢において発現するもの」と定義されています。
○様々な発達障害のタイプ
※ 以下の例は発達障害の症状における特性の一例であり、他にも様々なタイプの特性があります。また、これらの特性だけをもって断定されるものではありません。
≪自閉症の人の例≫
急に予定が変わったり、初めての場所に行くと不安になり動けなくなることがよくあります。そんな時、周りの人が促すと余計に不安が高くなって突然大声を出してしまうことがあります。周りの人には、「どうしてそんなに不安になるのか分からないので、何をしてあげたらよいかわからない」と言われてしまいます。
でも、よく慣れた場所では誰よりも一生懸命、活動に取り組むことができます。
≪アスペルガー症候群の人の例≫
他の人と話している時に自分のことばかり話してしまって、相手の人にはっきりと「もう終わりにしてください」と言われないと、止まらないことがよくあります。周りの人には、「相手の気持ちがわからない、自分勝手でわがままな子」と言われてしまいます。
でも、大好きな電車のことになると、博士と言われるぐらい専門家顔負けの知識を持っていて、お友達に感心されます。
≪学習障害(LD)の人の例≫
会議で大事なことを忘れまいとメモをとるのだけれど、本当は書くことが苦手なので、書くことに集中しようと気を取られて、かえって会議の内容が分からなくなることがあります。後で会議の内容を周りの人に聞くので、頑張っているのに周りの人には、「もっと要領良く、メモを取ればいいのに」と言われてしまいます。
でも、苦手なことを少しでも楽にできるように、ボイスレコーダーを使いこなしたり、他の方法を取り入れる工夫をすることができます。
≪注意欠陥多動性障害(AD/HD)の人の例≫
大切な仕事の予定をよく忘れたり、大切な書類を置き忘れたりしてしまいます。周りの人にはあきれられ、「何回言っても忘れてしまう人」と言われてしまいます。
でも、気配り名人で、困っている人がいれば誰よりも早く気づいて手助けすることができます。
≪その他の発達障害≫
上の3つのタイプの他にも、トゥレット症候群のようにまばたき・顔しかめ・首振りのような運動性チック症状や、咳払い・鼻すすり・叫び声のような音声チックを主症状とするタイプのものも、発達障害者の定義には含まれています。
○様々なタイプを踏まえて
これらのタイプのうちどれにあたるのか、実際には障害の種類を明確に分けて診断することは大変難しいとされています。障害ごとの特徴が、それぞれ少しずつ重なり合っている場合も多いからです。また、年齢や環境により目立つ症状が違ってくるので、診断された時期により、診断名が異なることもあります。
大事なことは、その人がどんなことができて、何が苦手なのか、どんな魅力があるのかといった「その人」に目を向けることです。そして、その人その人に合った支援があれば、だれもが自分らしく、生きていけるのです。

みなさんにわかってほしいこと

発達障害について、よくみられる誤解をまとめてみました。
○診断名に対する誤解
「軽度発達障害は、軽い障害である」
「知的障害を伴う自閉症は、発達障害には含まれない」
「広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害だけが発達障害だ」
・ 以前は、知的な遅れを伴わない高機能自閉症、アスペルガー症候群、学習障害(LD)、注意欠陥多動性障害(AD/HD)などを「知的障害が軽度である」という意味で「軽度発達障害」と称することがありました。しかし、知的な遅れがない人の中にも、その他の部分で重篤な困難さをもっているケースがあります。ですから、「障害そのものが軽度」と誤解される可能性を危惧して、最近では「軽度発達障害」という言葉は、あまり使われなくなってきています。(平成19年3月に文部科学省から「軽度発達障害」という表現を、原則として使用しない旨の通達が出されました)
・ 発達障害は、知的な遅れを伴う場合から知的な遅れのない人まで広い範囲を含んでいます。知的障害を伴っていても、自閉症としての理解に基づいた支援が必要である場合も多いことに留意すべきです。また、発達障害者支援法は、「その他の障害」について詳しく障害名をあげていませんが、「トゥレット症候群」といった障害も対象に含まれています。
○障害の予後についての誤解
「発達障害は能力が欠如しているから、ずっと発達しない」
「発達障害は一つの個性なので、配慮しないままでもそのうち何とかなる」
・ 発達障害は「先天的なハンディキャップなので、ずっと発達しない」のではなく、発達のしかたに生まれつき凸凹がある障害です。人間は、時代背景、その国の文化、社会状況、家庭環境、教育など、多様な外的要因に影響を受けながら、一生かけて発達していく生物であり、発達障害の人も同様であると考えていいでしょう。つまり、成長とともに改善されていく課題もあり、必ずしも不変的なハンディキャップとは言い切れないのです。もちろん個人差はありますが、「障害だから治らない」という先入観は、成長の可能性を狭めてしまいます。周囲が彼らの凸凹のある発達のしかたを理解しサポートすることにより、「ハンディキャップになるのを防ぐ可能性がある」という視点をもつことは重要です。
・ 一方で、発達障害は一つの個性だから配慮は必要がないと考えるのも行き過ぎです。現在では、成人になった発達障害者が、小さい頃から配慮が受けられず困難な環境の中で苦労して成長してきたことを教えてくれる本なども出版されてきています。
○支援方法についての誤解
「自主性尊重が大事で、大人があれこれ手を出すのは良くない」
「有名な訓練方法を取り入れれば、それだけで治る」
・ 発達障害の人の中には、本人任せにされるよりも、実は「きちんと教えて貰うこと」「きちんと止めて貰うこと」が必要な場合が多くあります。もちろん、一律的なやり方ではダメで、その人に合ったやり方を工夫しなければなりません。その反対に、良かれと思って一方的に有名な訓練方法を取り入れても、本人が何に困っているのかきちんと把握しないままでは、本人にとっては迷惑な話かもしれません。
・ 支援者の中には「自分が培ってきたノウハウが、そのまま新しく支援対象として位置づけられた発達障害者の支援にも良いはずだ」という思いこみをもってしまうことがあります。しかし、ノウハウのどの部分が目の前にいる発達障害者に適切で、どの部分が不適当なのかあらためて点検する必要があります。
○まちの中で見られる行動への誤解
「キーキー声を出すこどもやパニックは迷惑だから、外出させない方がよい」
「発達障害の子がパニックを起こしたら、大勢で協力して止めにいくのがよい」
・ 発達障害の子も、家の中に閉じこもっているだけではなく、町の中で様々な行動のしかたやルールを学んでいきます。しかし、発達障害のこどもが騒いだり、パニックを起こしたりしているときに「何で親は厳しく叱からないんだ」と周囲をイライラさせてしまう場合があるかもしれません。しかし、発達障害の子の中には、少しの時間待ってあげる方が、無理に叱るよりもずっと早く混乱から抜け出すことができることもあります。
・ 道路で寝ころんでしまったときなどは、移動させるのを手伝って貰うと家族は助かりますが、沢山の人が一斉に近づくことは逆に興奮させてしまうこともあります。上手に発達障害の子の混乱に対応できなくても、「あれは発達障害の子のパニックだ。そのうち落ち着くだろう」と知識を持っていてくれるだけで、本人も家族もずいぶん楽になるのです。

「発達障害」の相談窓口

≪発達障害者支援センター≫
各都道府県等で、発達障害者の日常生活(行動やコミュニケーション等)についての相談支援や発達支援、就労支援(必要に応じて公共職業安定所、地域障害者職業センター及び障害者就業・生活支援センター等と連携)、普及啓発及び研修を行っています。
また、障害の特性とライフステージにあわせた支援を提供するために、医療、保健、福祉、教育及び労働等の各関係機関と連携を図ります。
○全国の発達障害者支援センターの一覧(PDF:99KB)
掲載している内容についての詳細は「発達障害情報センターホームページ(発達障害情報サービス)」(http://www.rehab.go.jp/ddis/index.html)及び「発達障害の理解のために」(パンフレット)(1ページ(PDF:227KB)、2ページ(PDF:423KB)、3〜4ページ(PDF:324KB)、全体版(PDF:729KB))をご覧ください。
 
 発達障害の人が強み、特性を活かした仕事に就き、活躍することを応援するプロフェッショナルファーム「Kaien」(東京都港区)の取り組みだ。同社の鈴木慶太社長は、元NHKアナウンサーでもある。
スピード化とともに置き去りに…
日本の人口より多い世界の発達障害者
 鈴木社長の元にはここ最近、福祉関係や企業の障害者関係以外に、大学からの講演依頼が増えてきたという。
 「大学を出て、就職できない人たちは、発達障害と傾向があったり、診断を受けたりする人たちが多いんです。いまの社会は、そういう人たちを置き去りにすることによって、生産性を担保しているんですね。これからより大きな問題になると感じています」
 スピード化とともに、グローバルで臨機応変さやコミュニケーション力が求められる社会。私たちはこれまで、引きこもりや虐待、フリーターといった現象面ばかり追いかけてきた。
 ところが、その「原因の多くに発達障害が隠されている」と言われ始めたのは、最近のこと。「そこにアプローチしていくことによって、社会課題の解決に向け、1つのきっかけになるのではないか」と、鈴木社長は指摘する。
 発達障害といっても、ADHD(注意欠陥・多動性障害)、アスペルガー、自閉症スペクトラムの違いが、実はわかりにくいと言われている。とくに日本では定義が曖昧で、それらが重複している人が多いという指摘もある。
 日本は課題先進国。発達障害も、いわば米国の手法を輸入してきた。
 「エール大学の調査によると、人口の2.3〜2.6%の人が、発達障害の自閉症スペクトラムと推計されています。僕の目標は、こうした世界で見ると日本の人口より多い人たちに、メソッドをきちんと世界に発信していくこと。ビジネスというよりも、ノウハウを日本から発信できることへの面白さがあるから頑張っています」

得意を伸ばす就業支援や塾を開設
ビジネス界が発達障害者を支援する意義
 同社のスタッフは、フルタイム4人。パート4人。パートは、アクティブシニアの元NECのエンジニアに依頼しているという。
 「福祉よりもビジネスの世界のほうがコミュニケーションの構造化、定量化がうまい。福祉の世界の人に任せるよりも、はるかに上手にできるから(彼らに任せているの)です」
 また、アクティブシニアの人たちは、元々、多くの人間に接してきていて、人間力がある。しかも、構造化されたコミュニケーションを獲得してきている。だから、彼らに任せたほうが適しているというわけだ。
 「教わる側からすると、同い年の人たちとのコミュニケーションが取りにくい。例えば、小さい頃からいじめられた経験があると、圧倒的に歳の離れた子どもや親の世代のほうがやりやすい。コストも安く済む。彼らも喜んで引き受けてくれる。少なくとも、IT業界の構造化されたコミュニケーションは合っているのです」
 同社の利用者は、診断名や障害者手帳を持たない人たちのほうが多い。そこで、紹介事業のほかに、企業からの出資を受けて、人材紹介や内定塾などの就業支援事業を行っている。
 また、10代向けの部活や塾などの事業、TEENS(ティーンズ)も、特徴の1つ。 
 「発達障害の人は、一般の塾では自分の課題を伝えられないし、友人もほとんどいない。部活でも周囲と交流が少ない。元々弱いコミュニケーション力や社会性がなくなって、ますます就職できなくなるのです。場がないと成長できないから、場を作ります。多くの場合、若者支援の場は自然の中に作られますが、そういう子たちではない。うちは、3Dのアニメーションを作ったり、iPhone向けのアプリを作ったり、尖ったところを強引に伸ばして、得意な分野で人と関連する。そこをうちの稼ぎ頭にしたいと思っているのです」
 これは、親にもうれしい事業だろう。コミュニケーション不全で引きこもってしまうような人たちを生まないよう、発達にでこぼこのある人たちが好きなことをやりながら学べるコミュニケーション塾といえる。
 「多くの発達障害の子どもたちは、閉じこもってビデオ見て、親が“うちの子はパソコンできるのではないか”と思う。でも、仕事のパソコンとビデオを見るのとは違う。そういう親の期待のズレや本人の社会性のなさが、いきなり大学卒業の時に出てきて“就職できません”となるのです」
 
同時並行力が弱いのは集中力が高いから!
発達障害者の“弱点”は“強み”でもある
 そして、同社がもっとも力を入れているのが、国から職業訓練を受託して、発達障害向けに行っていることだ。
 「小さい頃は、発達障害という診断でもADHDやLD的な症状が顕在化しやすい。しかし、大人になるにつれて、必要なコミュニケーションが複雑になり、アスペルガーや自閉症スペクトラムの弱さが発達障害者の苦しみの原因に移ります。
 ただし、これまで発達障害というと、(1)社会性や言語コミュニケーションが弱い、(2)特定の分野にこだわって、他の分野への関心が向きにくいなど、生活面での特性が主に取り上げられてきました。しかし家庭や学校ではなく、職場でどのような課題が目立つかという点については、医療や福祉の関係者は、これまであまり研究して来なかったようです」
 では、発達障害者はオフィスでどういう弱さが出ているのか?鈴木社長が同社の卒業生に聞き取りしたところによると、大体、以下にあてはまるという。
①勤怠
②同時並行作業力が弱い
③創造が苦手なため、新しい環境や物事を怖がって適応しにくい
④聴覚のワーキングメモリーが弱く、耳から聞き取った情報が抜け落ちやすい
⑤柔軟性がないとよく言われる
⑥物事がどう進んでいるのかを理解していないため、段取ることができない
⑦失敗の経験や不安感から、決断や判断が遅くなる
 しかし、裏を返せば、これらは逆に強みでもあると、鈴木社長は説明する。
 例えば、②の同時並行作業力の弱さは、集中力の表れでもある。③の場合、帰属意識があるため、ハマれば組織に対して忠誠力を発揮する。④は視覚優位なので、物事の変化に強い。⑤については、自己論理と他者論理が一緒であれば、こだわりや深みになる。⑦は逆に、慎重に物事を進めることもできる。
 ただ、勤怠や段取りについては、小さい頃から、トレーニングしていくしかない。
 「これらは、彼らにとってのアキレス腱でもあります。つまり、鍛えてもしょうがない。やり方としては、アキレス腱をできる限り使わないような、適した職種を探すことです。また、アキレス腱を守るプロテクターをつくる。またどのように就職活動すればいいのか段取りができない人も多い。自分の弱みがどこにあるかといった客観視も弱い。そういったことまで考えてナビゲートする必要がある。ただ非常に真面目でルールにはきちんと従うので、プロテクターをきちんとはめてあげれば、そこからは走り始めるという部分が当社のノウハウです」

 たとえば、大学の学者であっても、これまでのように研究してればいい時代ではなくなった。いまはマルチタスクを求められるので、対応するのが難しい。
 「最初は、“猿の惑星”づくりを目指そうと思っていました。ただ、少し前までの社会なら、宗教やイデオロギーが支えになっていたけど、いまは資本主義を支えに世界が動いている。そんな中で、そこの部分だけ新しい村をつくっても、基本的には浸食されてしまう。資本主義に組み込まれた働き方を探していかないと、結局失敗するんですね。だから、いまは多数派という資本主義の論理を譲れない部分として伝えています」
発達障害予備軍も含めた職業訓練を開始
“弱み”を目立たなくする訓練とは
 同社は昨年8月から、全国初の国のモデル事業として、「発達障害者や発達障害の疑いを含む」人たちのために、職業訓練を無料で始めた。この「発達障害の疑いを含む」という点が、とても重要なポイントだ。
 「発達障害と診断されれば、既存の社会福祉のインフラが使いやすくなります。ただ、そうではないうっすらとした特性のある人たちがすごく困っているので、彼らに自分をきちんと認識してもらう場を作らないといけないのです」
 これはインターンシップのような状況をつくることによって、職場でのコミュニケーションを学ばせようという場だ。
 「彼らは、勉強すればできる人たち。しかし、仕事になると、なぜ離脱するかといえば、仕事上のコミュニケーションが苦手。受信する力とそれをタスクに分解できる力、アクションする力、さらに、そのプロセスを報告、連絡、相談、質問する発信力も弱い。そこで、とにかく報・連・相ができるように徹底する。報・連・相をするには、職場に近い状況をつくらないと、生きた場面に出会わない。だから、座学はほぼゼロ。ずっと働いているイメージです」
 横浜市の訓練所で行っているのは、古着のオンライン店舗。仕入、交渉、品質管理、パソコン上のマーケティング、発送などを通して、自分が得意なことや、自分ができないことを学ぶ。
 仕事に就いてからの作業を体験することによって、内定前の戦略を立てて、就職活動に臨む。就職後は、報・連・相を学んでいるので、ズレたときに補正できる仕組みだ。
 「陥りやすい罠としては、資本主義と民主主義をはき違えていて、職場では人は平等ではないことがわからない。また、段取りや質問、相談を省いても勉強できてしまうので、仕事に行ったときに弱みが一気に噴出します。さらに、真理を追い求めるあまり、事実の多面性を理解できずにスレ違う。自分のズレを他人に押し付ける。自分の考えを話せる人が多いのに受信ができない。理解できたのに実行できない。段取りの悪さから寝る時間が短くなって、職場で眠気に襲われるケースが多い。そして、仕事さえできれば人間関係はできるものなのに、仕事より人間関係ばかり築こうとするのです」
 
 つまり、仕事ができるというのは、作業指示を受けて把握する。ところが、多くの場合、組織や文化の慣習を理解しながら、その場の状況をなんとなく察知することや、把握した後、タスクリストに優先順位を付けるのが弱い。
 また、タスクリストに起こしたものを判断、決断して、アクションを起こす。この際、世の中はズレが生じるので、絶えず指示者に報告・連絡・相談して確認していかなければいけない部分が弱い。だから、ズレてもすぐ元に戻れるようにしておくことが必要だという。
 「他の職業訓練は、アクションだけを教えていることです。そこが、うちと違う部分。実は、アクション以外の部分が、コミュニケーション力や仕事力と言われる部分。当社は、彼らに足りないもの、得意なところを伸ばして弱みを目立たなくすることだけを考えていたら、従来のアクション型ではなく、コミュニケーション型の訓練に必然的になったんです」

 では、弱みが目立たなくて、強みが生きる職場とは、どんなところがあるのか。
 たとえば、ビルを建てるとき、土地の分析、ニーズを探り、入居者のイメージを描いて、関係者や行政を説得。ビルを設計して建設してもらい、基準通りになっているかを確認、保守、点検していく。
 最初の工程は、彼らの苦手なコミュニケーションが多くなる。ところが、後ろの工程は、書類に落ちやすく、変化しにくいため、仕事や職場として適している。だから、確認、管理、保守、点検、品質などが適したキーワードになる。つまり、IT以外でも、活躍する場はいくつもある。
 ただ、構造化され、定量化された「後工程」の分野は、コストの安い海外に持っていきやすい。こうした職場が日本のどこで残っているかを探して、開拓していくのが、同社の仕事だという。
 「“福祉の先進”は、“ビジネスの常識”です。作業、計画の定量化、目的目標の明確化は、すでにビジネスでやっていることなんです。ただ、企業の側でも、これまでこうした当たり前の価値観に十分取り組んでこなかったのではないか」
 このスキームは、発達障害の疑いがあるかどうかにかかわらない。不安を解消させるために、上司はゴールを設定して道筋を敷き、いま自分たちがどこにいるのかを指し示してあげることが、実はいまの日本に求められている。

心でつながる親子:/5 手をつなぐ、巣立つ日まで

 ◇戸籍に入らない里子 手当、研修…支援手厚く

 リビングにおでんの温かいにおいが広がる。菱山優美さん(34)がお鍋の中を混ぜていると、折り紙で遊んでいた女児(4)が「お母さん、緑の紙ちょうだい」とかけ寄った。「ただいま」。仕事から帰った夫・佑輔さん(35)の声が響いた。
 10歳と6歳の男児も席に着き、家族5人のにぎやかな夕食が始まる。菱山さんは東京都の養育里親をしており3人はみな里子だ。夕食後、10歳の男児が、ソファに寝そべって漫画を読んでいた。佑輔さんは「くすっと笑う表情がかわいい。どのページで笑ってるのかな」とほほえむ。
 20代前半に結婚したが子どもに恵まれなかった。不妊治療に疲れ果てていたとき、病院帰りのバスで優美さんは里親募集の広告を見た。「あなたを必要としている子どもがいます」という言葉が響いた。「妊婦になる自分より、子どもと遊んでいる方が想像しやすかった。神様が導いてくれたと思いました」
 養子縁組を前提とした里親か、籍に入らない里子を育てる養育里親か−−。登録のとき、東京都ではどちらかを選ぶ。佑輔さんは初め、「菱山の名前も残るし、養子縁組の方がいいかな」と思った。しかし養子縁組は対象となる子どもが少なく、何年待つか分からない。優美さんは「いっぱい育てられる方がいい」。2人は養育家庭に登録した。
 男児(6)は乳児院で最初に会った1歳のころ、柵にごんごん頭をぶつけていた。気持ちが表現できず、おでこは青かった。でも「縁があるのだろう」と預かった。自宅に迎えた後も泣いてばかりだったが、いつの間にか能面のような表情が柔らかくなった。子どもは確実に成長している、と感じる。
 養育里親は里親同士のつながりがあり、研修会も多い。養子縁組里親は、子どもを実子とした後は支援が少なくなる。優美さんは「困ったとき相談できるので、養育里親でよかった」と話す。
   ◇  ◇  ◇
 児童養護施設の玄関。その男の子は目を合わせるなり、椿晴夫さん(59)の胸に飛び込んできた。「よその子を育てられるのだろうか……」という迷いは吹き飛んだ。
 八王子市に住む晴夫さんと恭子さん(56)夫妻は8年前、この男児(11)を、つづいて女児(9)を里子として迎えた。養子縁組里親も考えたが、都の年齢制限で子どもを迎えられない可能性を考え、養育里親を選んだ。女児は人なつこく明るいが、知らない場所にどんどん歩いていったり、落ち着きがないところがあった。
 恭子さんは小学校の特別支援学級まで毎日、片道15分の坂道を送り迎えしている。お迎えのときは女児が駆け寄って手を握り、学校での出来事を話し続けてくれる。家に迎えて5年、穏やかになった。何かしてあげると必ず「ありがとう」という。男児と並んで、恭子さんが作った和菓子を食べる姿を見るとうれしい。2人に会うために、子どもができなかったのかと思う。
 しかし、里子はいつまでも里親の元にいるとは限らない。児童相談所はできる限り里子が家庭復帰できるよう支援しており、実親が子育て可能になった時、元の家庭に戻ることもある。
 椿さん宅の男児は、児相のプログラムの一環で、実母と交流がある。共に出かけ、ぬいぐるみを買って持たせてくれることもある。「やっぱりかわいいんだな」。恭子さんは複雑な気持ちになる。
 片道2時間かけて高齢者施設に通勤していた晴夫さんは、長く子どもと過ごすため転職し、近くの障害者施設で働いている。
 甘えん坊の男児は毎朝、出勤する晴夫さんに抱きついて見送ってくれる。晴夫さんはいう。「実親の元に戻るかもしれないと思うとつらい。でもそれが養育里親。一緒の間は満足できるようにしてあげたい」
   ◇  ◇  ◇
 町田市の秋子さん(55)=仮名=は、夫婦の間に生まれた長女(18)と里子2人の家族5人で暮らす。休日はみんなでステーキの食べ放題へ。「お父さん食べ過ぎ」「これおいしい」。苦しくなるほど食べ「体に悪いね」と笑い合う。「里子の手を放さないでよかった。やっとトンネルの外の光が見えてきました」
 長女を37歳で出産したが、2人目が授からない。「養育里親としてきょうだいを作ってあげたい」と、4歳年下の女児を迎えた。
 しかし、長女は小学校高学年で登校を渋り家にこもるようになった。慎重で優しく、明朗な里子の妹(13)と対照的。妹に気を使い我慢が重なったのだろう、と秋子さんは思っている。仲良しだった妹のランドセルを投げ、「てめえなんて怖くない」と秋子さんにすごんだこともある。
 里子の妹を家族の中で育てていいのか迷った秋子さんは、児童相談所に相談。妹は、一枚の絵を描いた。両親が見守る中、妹が歌を歌っている。傍らに立った長女が花に水をあげているほのぼのとした構図だった。「里子は家族の一員になっている。家族で乗り越えてください」と言われた。
 長女が里子に「出ていって」と言い、相談機関で「里親をやめたら」と言われたこともある。しかし秋子さんは踏ん張った。「長女は優しい子。里子を手放したら自分のせいだと思い、一番傷つくのはあの子」
 流れは昨年変わった。アイドルグループのファンの友達ができ、コンサートに行き電話で盛り上がるうち、長女は外に出られるようになった。バイトも始めた。秋子さんは昨秋、気になっていたことを尋ねた。
 「里親をしてすごく迷惑をかけたけど、これからもやっていい? 返事するの難しいかな?」。長女は笑顔で答えた。「私、返事できる。やっていいよ。きょうだいが増えて、ずっと楽しかったから」【榊真理子】=つづく
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心でつながる親子:/6止 本気で叱られ、愛された

 ◇育ての親に感謝、尊敬の念 実母との距離感はかれず

 「お母さんから生まれたんじゃなくて、他の人から生まれたんだよ」。大阪府の会社員、ひかりさん(24)は5歳のとき、母から真実を聞いた。驚いて泣き続け、一緒にベッドに入っていた母が背中をさすってくれたのを覚えている。寒い冬の夜だった。
 翌朝、母に「今の家に来てよかった」と言った。悲しませたくないと、幼心に考えた。乳児院にいて、生後6カ月のとき、両親の元に迎えられたと聞いている。産んでくれた人のことは気になった。「そういう話は他の人に言っちゃだめよ」と母に言われるのが嫌で、話題にできなかった。小学校5年生ぐらいのとき、保険証が入っている缶の中に母子手帳を見つけた。実母の名前や出生時の体重などが書いてある。
 「産んでくれた人の元にあって、私のところにきたのは母子手帳だけ」。缶が目に入ると、取り出しては見つめた。
 高校2年生のとき、パスポートを作る手続きで実母の本籍を知った。大学時代にグーグルマップで調べ、最寄り駅もわかった。大学に通う4年間は駅を通過するだけで、降りなかった。「産んでくれた人の顔が見たい。会ってみたい」。でも「冷たくされたら嫌だし、喜んでくれるとは限らない」とも思う。
 昨年末、夫と一緒についに家の前まで行った。表札を見て「ここなんだ」と思った。ベルを押す勇気はなくたたずんで帰ったが、一歩前に進めた気がする。
 父は大学卒業の直前に62歳で亡くなった。高校生になっても、2人で買い物に行く仲良し父子だった。いま実家には母が1人で暮らす。「絶対さみしいだろうし心配だから」、その日のことや来週の予定など、メールや電話で毎日連絡する。
 「産んだわけじゃないのに、育ててくれてありがたい」。自分の親は、育ててくれた両親だと思う。一つだけ、母にお願いしたいことがある。「産んでくれなかったら、お母さんにも出会えなかった。私と同じように、産んだ人に感謝してくれたらうれしい」
  ◇  ◇  ◇
 大学卒業の直前、東京都の会社員、剛さん(26)=仮名=は初めて実母に会った。中部地方の駅のロータリー。「どうも初めまして」。顔を合わせた瞬間のことは、緊張しすぎて覚えていない。実母の家に向かう車の中でも、ほとんどしゃべらなかった。家でお昼を食べ2人で近所を散歩した。「どんな会社に就職するの?」「不動産関係だよ」。ぎくしゃくした会話が続いた。
 玄関先で車に乗り、「体に気をつけて」と別れた。他人行儀のままで、親とは思えなかった。プレハブのような家を見て「経済的に育てられなかったのかな」と感じた。連絡先は聞かなかった。
 育ての母は、姉と剛さんを養子に迎えた後、男の子を2人産んだ。小学校低学年の頃、自分と姉が養子だと両親から聞いた。中学校に入ってから、剛さんは親を困らせるようになった。隣の中学に殴り込みをかけ、たばこを吸った。中学2年生のとき、近所の河原で父親から「(養子の)認識はあるよな。でも、愛情は一緒、育て方も同じ」と言われた。ぐれたことと生い立ちが関係あると父は思ったのかもしれないが、単に格好をつけたかっただけだ。このとき「将来、結婚式に実の親を呼びたいか」と聞かれ、初めて「親が2人いる」と認識した。
 門限を破ったり、酔って帰ったり。でも両親は、まじめなきょうだいと比べることもなく、見守ってくれた。大学は親の勧めで北海道へ。このときも父は、「1人で大丈夫なやつだから」と送り出してくれた。「どんなにぐれても俺を信用してくれた。ずっと愛されてると感じていた」
 尊敬する人を聞かれると迷わず「おやじ」と答える。
  ◇  ◇  ◇
 結婚を控え、妻の実家にあいさつに行った日の夜。東京都の会社員、正さん(28)=同=は、ホテルで妻と向き合った。「俺は血液型B型だけど両親はO型だよ」。それを聞いた妻は、「あなた養子?」と気づいた。続いて「話してくれてありがとう。だからって何も変わらないよ」と言ってくれた。
 いつ告知されたのか覚えていないが、正さんは物心ついたころから、親しい友人にも一切話してこなかった。結婚するとき、妻にだけは話そうと決めていた。実家に伝えるかどうかは妻に任せた。妻は「あなたに対する気持ちを一ミリも変えてほしくない」と、今のところは話していない。
 乳児の頃の写真もあるし実家以外で暮らした記憶はない。親から生まれたと錯覚するくらいだ。小学校の生い立ちの授業では、適当に書いて提出した。実母のことも、自分が今の両親に迎えられた経緯にも興味はなく、親に「話そうか」と言われても断った。生みの親が気にならないのは、「知りたくない、知るのが怖いからだろうか」とも考える。
 両親は厳しかった。母と電車に乗っていた小学4年生のときのこと。正さんがドアの前にいたので後ろの高齢者が降りにくそうにしていた。母に注意され「知らない」と反抗すると、ほおをビンタされた。「養子だと気にしていたら怒れないはず。僕のことを本気で考えてくれた」
 家庭を築く正さんに父は「子どもを3人つくれ」という。子どもといるのが楽しいらしく、冗談なのか本気なのか「子育てしたいから3人目はよこせ」ともいう。
 もし、養子を迎えるかどうか悩んでいる人がいたら、正さんは背中を押したいと思う。「親が気にしなければ、子も気にしない。本気でぶつかれば大丈夫」【榊真理子】=おわり

 ◇真実告知「親子関係を確実にするため」

 家庭養護促進協会(大阪市)が、98年から6年間に協会から子どもを迎えた92家庭に調査したところ(有効回答80家庭)、42家庭が「子どもに真実告知をした」、34家庭が「するつもり」と答えた。告知した年齢は3歳が15家庭と多く、5歳までに84%が告知していた。「今度告知するつもり」と答えた34家庭も含め、理由を尋ねると「親子関係をより確実にするため」が26家庭でトップだった。
 10年前(88〜94年に子を迎えた140家庭)の調査で告知した33家庭の場合、「いずれわかることだから」が13家庭でトップで、親子関係をあげたのはわずか1家庭。岩崎美枝子理事は「病気やがんなど『知る権利』が浸透し、伝えることで信頼が深まると考える人が増えた」と話す。

心でつながる親子:/3 乳児院で「お見合い」

 ◇児童相談所が仲介 対象少なく、養子縁組は狭き門

 「お見合い」の日、もうすぐ3歳になる女児は保育士に抱かれ、目をパチパチさせていた。晴美さん(47)=仮名=が長女となる女児と出会ったのは神奈川県内の乳児院。児童相談所(児相)から紹介された。毎日のように乳児院に通った。すぐ「お母さん」と呼んでくれた。仲良く滑り台をして、砂場でプリンの形を作って遊んだ。「近いうちに親子3人で暮らせるかな」と思えた。
 しかし1週間後に態度が一変。保育士から離れようとしない。友だちとばかり遊んで、晴美さんの方を見なくなった。今まで手伝ってあげた着替えも「一人でやる」と言わんばかり。「順調にはいかないな」と感じた。
 晴美さんは29歳で結婚したが3年間子どもが授からず、不妊治療を始めた。顕微授精にもチャレンジしたが、子宮外妊娠に至った。病院のベッドで晴美さんは、妊娠ではなく子どもを育てたいのだと気づく。夫婦でそれぞれの父母から同意をもらい、養子を迎えるため児相に登録した。
 児相では、育ての親に子どもを託す前に乳児院に通ってもらい、子どもと触れ合う「交流」期間を設けている。親の愛情を知らない子は、ぐずったり突き放したりの「試し行動」をとることもある。
 そのころ、晴美さん夫婦の新しい家が完成した。引っ越しで忙しく、1週間ぶりに乳児院に向かった。「なついてないから大丈夫かな」。しかし、うれしい変化が起きていた。いつも通りに遊び晴美さんが帰ろうとすると、「一緒に帰りたい」と泣き出したのだ。「びっくりしたけれど、ほっとしました」
 交流を3カ月続け、女児を我が家に迎えた。約3年後、同じく児相から1歳1カ月の男児の紹介を受けた。まだ小さかったためか、突然現れた親への拒否感もなく、すんなりと家になじんだ。晴美さん夫婦は2人と特別養子縁組の手続きをし、家族は4人になった。
 長女(15)は今、高校受験直前の中学3年生。「勉強はかどってる?」と聞くと「これからはかどらせる」とのんびりした様子だ。長男(10)は一言一言が面白い「天然系」。歌手の浜田省吾さんの大ファンの晴美さんに、「お母さん、告(こく)っちゃえば? 結婚したい?」と、ませた表情で言う。
 思えば不妊治療中、病院で養子という選択肢が示されることはなかった。親族に養子を反対され、ためらう人も少なくない。「子育てをしたいと思ったとき、自然妊娠、不妊治療と並んで養子も自然に考えられる世の中になってほしい」。晴美さんは願う。
   ◇  ◇  ◇
 初めて訪れた関東地方の乳児院には、子どもがたくさんいた。養子を迎えようとしていた幸子さん(30代)=仮名=はしかし、職員の一言に衝撃を受けた。「この中に紹介できる子はいません」。籍の入らない里子でなく、籍が変わる養子縁組の対象になる子は少ないのだと実感した。
 しばらくして児相の職員の家庭訪問があった。ベランダやお風呂に立ち入り、危なくないか見ているようだった。夫婦の生い立ちや兄弟関係について2時間ほど、話をした。2カ月後、養子縁組里親の「認定通知」が届いた。
 「男の子と女の子がいますが、どうですか」。すぐに児相から連絡があった。育ての親候補の一人に選ばれたのだ。女児希望を伝え「もしかしたら」と期待した。しかし1カ月後、「縁がなかった」と連絡があった。次の子どもの打診もあったが、再び最終候補に残ることはできなかった。
 「候補にならないと子どもと会うことすらできない。それから交流をして、自宅に迎えるのはいつになるのか……」。幸子さんは遠い道のりを実感する。
 子を望む夫婦の男女別や年齢の希望を考慮しながら、自治体は、親子の年齢バランスや兄弟関係を考えつつ親候補を決めていく。子どもの数は少なく、チャンスはなかなか巡ってこない。11年3月時点で養子縁組里親には全国で1840世帯が登録しているが、養子縁組前提で託された子はたった179人だ。
 子どもの紹介は、児相のみでなく民間団体も行っている。「焦るわけではないけれど、きょうだいを作るために1人目と早く出会いたい」。幸子さんは、民間団体という選択肢も考えながら、出会いを待とうとしている。
   ◇  ◇  ◇
 埼玉県志木市の吉田奈穂子さんが里親になろうと思ったきっかけは、不妊治療中に見ていたネットのサイトだ。「近所にすてきな里親さんがいます。親子4人仲よさそうで、そういう選択もいいな」という書き込みにひかれた。とにかく子育てがしたかった。
 長女となる8カ月の女の子と会ったのは、乳児院の応接室。びっくりしたように泣いていた。しばらく里親として育て、4歳で特別養子縁組の申し立てをした。家庭裁判所からの許可の審判書は、薄い封書で届いた。開けた瞬間、ほっとして涙が止まらなくなった。
 「学校で遊ぶのは男の子ばっかり」。そう話す小学生の長女は、水泳やバスケットボールが好きな、活発な子に育った。
 悩んだ時、吉田さんは里親が集まるサロンに顔を出した。幼稚園でのトラブルを打ち明けると、実子でも同じようなことがあったと聞いた。「みんな苦労してるんだ」と知った。自分の子どものことだけ考えていると行き詰まるが、「児相や地域の人とつながり、みんなで養子を育てる気持ちが大切」と吉田さんは実感している。【榊真理子】=次回は30日掲載
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 ◇児童相談所による子どもの紹介

 養子縁組が必要な子の紹介を受ける場合、08年の児童福祉法改正で位置づけられた「養子縁組里親」として自治体に登録しなければならない。年齢制限を設ける自治体もあり、可否を児童福祉審議会で審議する。里子の委託を受けた後は、家裁の審判確定まで里親として子どもを育てる。
 公費でまかなうため、児相の紹介でかかる費用は基本的に無料。民間団体は、全く求めないところから平均200万円以上(05年度こども未来財団調査)まで幅がある。厚生労働省は、研修や家庭訪問、実母の出産、子どもの養育に関わる費用などを、育ての親希望者から受け取れるという通知を出している。
 
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心でつながる親子:/4 生後5日、「わが子」に

 ◇乳児紹介、民間では主流 「もく浴や授乳の経験、幸せ」

 ミルクを飲んだ量、うんちが出た時間、体重−−。生後5日の男児が家に来てから、記録を付け始めた。1週間で泣き声が力強くなった。2カ月で、名前を呼ぶとにっこり笑った。2カ月半で膝に抱っこしたら、急に首がしっかりした。
 茨城県の敦子さん(46)=仮名=は昨夏、特別養子縁組が必要な子どもを紹介する「NPOベビーライフ」(東京都江東区)から男児を迎えた。「ほんとに成長が早い。気付いたら、長ズボンも短パンみたいに小さくなって」
 敦子さんは家業の町工場で労務を担当し、多忙だった。40歳前で真剣に子どもを産みたいと考えたが、持病のため医者に妊娠を止められた。養子を紹介する団体を調べると、子との年齢差を考え親の年齢制限を設けるところが多く、焦った。ベビーライフの規定は母が46歳未満(現在は夫婦とも50歳未満)。「本当にありがたかった」
 約20日後に、男児が生まれると連絡があった。慌ててオーガニックのベビー布団や哺乳瓶、布おむつをそろえた。生まれるまで何が起こるかわからない。「やっぱり育てたいと実母が言うかもしれない」。夫(47)は期待しすぎないように自分を抑えた。
 昨年末、特別養子縁組の申し立てをした。敦子さんは「家裁の審判が確定するまでは不安。もし先天的な障害がわかっても一生守っていきたい」と話す。
  ◇  ◇  ◇
 長男(1)は、長女(5)の歌う「きらきら星」が大好き。最近は自分で替え歌を歌う。食卓に好物のバナナを並べると「バナバナバナナ♪」。あまりのかわいさに、母かおりさん(45)=同=は、ほっぺにチューした。
 翻訳業務や銀行勤めを続け、仕事も自分磨きも大事だった。38歳で不妊治療を始め、4回目の人工授精で長女を出産後、子育てが一番になった。「2人いたらどんなに素晴らしいだろう」。再び不妊治療を始めたが、授からない。英国人の夫(42)から「養子縁組があるよ」と言われた。
 実子がいても登録できるベビーライフに申し込み、1カ月後に電話を受けた。「生まれて2週間の赤ちゃんがいる。緊急に育てる人が必要です」。直感的に「私の子どもだ」と思った。知らせを受ける前に凍結した受精卵を、おなかに戻す気持ちは消えた。
 住んでいる東京から九州に飛び、生後3週間の長男に会った。つぶらな瞳で、「玉のような赤ちゃん」とはこの子のことだと思った。長女を産んだとき「自分の分身という感じはなくて、すごいものが預けられた気がした」が、長男も同じだった。特別養子縁組の審判も無事確定した。「この2人と家族になる運命だったんだ」と感じている。
 ベビーライフのような民間団体は、生後間もない赤ちゃんを紹介することが多いが、公的機関の児童相談所は1歳以上が大半だ。全国児童相談所長会がまとめた児相への調査によると、09年度に養子縁組を前提に里親委託された児童は113人で、1歳未満は23人(20%)だった。1歳以上3歳未満が44%を占め、3歳以上の未就学児が29%。0歳児の委託が進まないのは、多くの児相が、障害の有無や発達の度合いがわかるまで、様子をみているからだ。
  ◇  ◇  ◇
 水色のランドセルに制服姿の小学1年生、西畑時果(ときか)ちゃん(7)が帰宅すると、母宏子さん(48)と妹の音果(おとか)ちゃん(4)が出迎えた。姉が学校から持ち帰ったプリントを、「これなに?」と音果ちゃんが見つめた。宏子さんの、にぎやかで楽しい午後が始まる。
 2人は愛知県の児童相談所を介して、福井県坂井市の西畑さん宅にやってきた。実母が育てられないことがはっきりしていたため、生まれる前から特別養子縁組を前提にしていた。公的機関としては珍しい「赤ちゃん縁組」で、乳児院を経ず病院から直接家庭にやってきたのだ。
 西畑さん夫妻には、地元の児童相談所を通じて迎えた長女飛果(あすか)さん(15)と長男拓哉さん(10)もいる。4人とも特別養子縁組しており、血はつながっていないが法的にも親子だ。
 宏子さんが多くの子を迎えたのには理由がある。
 小学校に入学する飛果さんが、制服姿を見せようと乳児院にあいさつに行ったときのこと。同じ時期に入所していた女児が、母親の虐待で亡くなっていたことを知った。帰りの車の中。「私にできることはなかったのか」。自分に問いかけ、号泣した。何人でも育てたいと思った。周囲からは「あなたの役目は2人をきちんと育てることよ」「3人なんて欲張り」と諭された。
 そんなとき、愛知県の児童相談所から「もうすぐ生まれそうな子がいる」と打診があった。夫智秀さん(50)は年齢を考えためらったが、宏子さんは「産む方の、預けようという気持ちが変わらないのなら」と応じた。
 生後7日の赤ちゃんを引き取りに、一家で愛知県の病院に行った。「かわいい」。長男と長女が代わる代わる抱っこした。風呂の入れ方やミルクの与え方を一から教わった。初めて夫婦で名前をつけた。長女に合わせて「果」の字を使った。
 三女の音果ちゃんはミルクアレルギーがあり、夜泣きで眠れない日が続いた。しんどい日々もいい思い出だ。
 「首の据わらない赤ちゃんのもく浴や授乳の経験はなかったから、幸せだった」と宏子さんは振り返る。長女と長男に早く出会いたかった、という。「親がいない不安定さを、乳児院で経験させずにすんだと思うんです」【下桐実雅子、榊真理子】=つづく

心でつながる親子:/1 育てる喜び、「縁」に感謝

 ◇不妊治療に見切り NPO介し、特別養子縁組

 「かもめーのすいへいさん」。姉妹の歌声がリビングに響く。
 東京都府中市のマンション。室内用の滑り台の上に、長女(4)と次女(2)がちょこんと座り、音が鳴る絵本を開いている。冷蔵庫にはったカードには「おとうさん おたんじょうびおめでとう」のたどたどしい文字。松崎武志さん(38)は「子どもができないことはないだろうと不妊治療を続けてきた。血はつながっていないけど、結果として子どもとの暮らしがある。幸せです」。温かい視線の先で、妻晶子さん(43)がほほ笑む。
 結婚したのは04年。翌年、晶子さんは妊娠したが間もなく命は消えた。体外受精や顕微授精を10回以上行った。39歳になったとき「もう無理かも」と思い次の方法を探した。「妊娠したとき夫は涙を流して喜んだ。だから絶対に子どもがほしかった」。インターネットで、NPO法人「環(わ)の会」(東京都新宿区)を知る。
 環の会は、予期しなかった妊娠で悩む人、または経済的事情などで出産、育児が難しい親の相談にのり、生まれてきた子が幸せな環境で育つよう支援する。子どもを育てることが難しい場合、生みの親が希望すれば、特別養子縁組を前提として育て親を紹介する。
 08年2月、環の会の説明会に出た松崎さん夫婦は度肝を抜かれた。養子縁組をした先輩親子が「あまりに普通で明るかった」からだ。子どもが騒ぎ「うるさい」と親が叱っている。それぞれの親子の顔がなぜか似て見えた。「こんな世界があるんだ、と衝撃だった。知らずに感じていた不妊治療のプレッシャーから解放された」。武志さんは振り返る。
 説明会から数カ月後の夜、「親を必要としている子がいます。あさって迎えに行ってください」と環の会から電話があった。
 その子は元産科医の家に預けられていた。生後10カ月の目のぱっちりした女児。松崎さん夫婦は「子育て研修」として3日間、同じ部屋で3人で過ごした。女児は晶子さんを見ては布団につっぷして泣き、ミルクも飲まない。「ほんとに私でいいのかしら。嫌がっているのに」と戸惑った。しかし家を出た瞬間にぴたっと泣きやみ、夜は自宅ですやすや眠った。「心の中でけじめがついたんだと思います」
 約1年後、2人目の女児を迎え、家族4人の暮らしになった。休みには車で日帰り旅行を楽しむ。姉妹はフルーツ狩りが大好きだ。
 「お父さん、パンツってどっちが前?」。お昼寝から起きてズボンをはこうとした次女が、つぶやいた。長女が近寄って教えている。「2人が姉妹になったのはすごい縁。ずっと仲良くしてほしい」。夫婦の願いだ。
   ◇  ◇  ◇
 神奈川県大和市の加藤恵さん(43)は、生後3カ月で、環の会から長男太一君(7)を迎えた。今は小学1年生。電車が大好きで、絵を描いては「4000形だよ」と得意顔だ。休日には夫大輔さん(34)と3人で、電車や仮面ライダーのイベントに参加する。「夫婦2人では見えなかった世界がある」と思っている。
 33歳で結婚。早く子どもがほしくて、産婦人科を訪ねた。しかし授からず原因もわからない。2回目の体外受精の結果が陰性だったときから、ネットで養子について調べはじめた。「夫婦だけで仲良く生きていく道もある。でも親子連れを見たとき一生、うらやましいと思うのかな……と」
 卵子提供を受ける選択肢は自分たちにはなく、気持ちは養子に傾いた。40歳までに子どもを迎えたい。恵さんは自分で区切りをつけ、5回目の体外受精の結果が陰性だった37歳のとき、すっきりした気持ちで環の会に問い合わせた。
 太一君と出会ったのは乳児院。桜の季節だった。青い服を着て、目がくりくりしてぷくっとした太一君を見た瞬間、ぶわっと涙があふれた。「うれしいとかかわいいとかの前に、ああこの子なんだって」。ベビーカーを押す自分の姿が街中のガラスに映ると、こそばゆかった。
 いま加藤さん夫婦も説明会に経験者として参加し、育て親希望者の相談にのる。子どもの幸せを最優先させるため、環の会は、夫婦のどちらかは専業主婦(主夫)、年齢は共に39歳以下との条件を定めている。子どもを迎えるには、説明会、面談、研修に夫婦で参加することが前提だ。
 「一人の子どもを託されて育てる覚悟は、とても重たい。不妊治療をあきらめるのではなく、きっちり終え、納得してから来てほしい」。恵さんは言う。
 何気ない日常に、しみじみとする瞬間がある。「算数ができなくて」とママ友だちとおしゃべりする時。クリスマスケーキを前に家族で撮った写真を眺める時。「3人でよかった」と恵さんは思う。「こんな時が過ごせるのも太一のおかげ。育てさせてもらってありがたい」
   ◇  ◇  ◇
 子どもを育てたい大人と、親を必要とする子ども。両者が出会い、養子縁組をしたり、里親家庭を築いたりして共に人生を歩んでいる。育て親に託した子を思い続け、実子と交流を続ける生みの親もいる。血縁や家庭の枠を超え、深い絆で結ばれた親子を追った。【榊真理子】=つづく
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 ◇特別養子縁組

 子どもの福祉を重視した制度として、民法の一部改正に盛り込まれ、88年施行。普通養子は戸籍に「養子・養女」と載るが、「長男・長女」など実子と同様の記載となる。申立時に子どもが6歳未満▽家庭裁判所の審判により成立▽6カ月以上の試験養育期間が必要▽養親からの離縁はできない−−など、厳しい条件がある。
 成立件数は89年が1223件と最多で、近年は年300件前後。中央大の鈴木博人教授(家族法)は「当初は制度成立を待って申請した人も多かった。申請には実親の同意が必要だ。いずれ引き取りを希望する親が多いため、養子として託せる子は増えていない」と話す。
 
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心でつながる親子:/2 「母親2人」伝え続ける

 ◇子の人格形成へ効果 手紙で交流、成長見守る

 「千尋ちゃん、お元気ですか?」。神奈川県の40代の千尋さん=仮名=に昨春、関西地方に住む中学生の娘から手紙が届いた。誕生日に黄色いポーチを贈ったお礼だった。かわいい文字で部活動のことがぎっしりつづられている。「揺れましたか」と東日本大震災の心配もしてくれた。「赤ちゃんのとき離れた娘と、こうして手紙がやり取りできるなんて夢みたい」と思う。
 年2回、誕生日とクリスマスにプレゼントを贈り、その後にお礼の手紙が届く。同封された写真で、大きくなっていくのがわかる。笑顔を見るたび「大事にしてもらってよかった」と思う。一方、知らない時間が流れていくさみしさも感じる。
 千尋さんは34歳のとき娘を身ごもった。相手の男性は同じ会社の既婚者。「妻とは離婚する。子どもができたら一緒になろう」と言われていた。千尋さんは仕事を辞め、新生活を思い描いた。ところが妊娠6カ月になったころ、男性は部屋に来なくなり「結婚できない」と言われた。
 仕事も失い、母子2人で生活するあてがない。児童相談所に行くと、予期しなかった妊娠に悩む親の相談に乗り、養子縁組もサポートするNPO法人「環(わ)の会」(東京都新宿区)を紹介された。電話をかけると、ソーシャルワーカーの横田和子さん(故人)が最寄り駅に来て、「おめでとう」と赤い一輪の花をくれた。「育てられない罪悪感でいっぱいのとき、ほっとしました」
 7階のマンションの自室から出勤風景を見ると、自分だけ世界が変わってしまったようでつらかった。時には夜中に泣きながら、何度も横田さんに電話した。「はいはーい、どうした? 何が悲しいの」。落ち着いた声に励まされた。養子として育ての親に託すのは子どもを見捨てるイメージがあったが「そんなことないよ」と言われた。
 環の会は、生みの親に、福祉施設を利用したりしながらシングルマザーで生きる道があることも伝える。しかし千尋さんは出産後、会に託すことを決めた。娘に、両親のそろった安定した家庭で育ってほしいと思ったからだ。育ての親が生みの親のことを伝え続ける「テリング」を環の会は重視しており、自分で名前を付けたうえ、連絡がとれるのはうれしかった。
 産科医をしていた人の家で、しばらく娘を育ててもらった。つらくなると思い授乳はしなかったが、胸が張った。ぺたんこになったおなかも寂しかった。
 会から育ての親が決まったと連絡を受けたのは1カ月後。明るい関西弁の夫婦で、昔からの知り合いのように感じた。妊娠中、クリーム色の毛糸のパンツとスカートを編んだ。娘を育ての親に託すときに渡すと、着せて写真を送ってくれた。娘はこの夫婦に特別養子として迎えられた。
 千尋さんはその後、縁のあった男性と結婚し、2人の子に恵まれた。夫は、養子となった娘の存在も受け入れてくれている。一度だけ、娘と会ったことがある。一家で5年前に関西を訪れた時、二つの家族で水族館に行ったのだ。
 「こんにちは」と呼びかけると、娘は育ての母の後ろにぴたっと隠れた。会話は少なかったが娘はずっと、千尋さんの子どもの手を引いてくれた。千尋さんは言う。「頑張って産んでよかった。あの子がいるから元気でいられる」
 娘は幸せに育っている。それでも、別の選択をしていたら……と時々思う。いつか娘が手紙に、「どうして私を育てられなかったの」と書いてくるのではないか。そのときは、思い悩んだことを伝えたい、と考えている。
  ◇  ◇
 東京都杉並区の友浦美峰子さん(49)は優一さん(16)、智香(ともか)さん(14)、ひかりさん(9)の3人を環の会から授かり、特別養子縁組の手続きをした。どうやってテリングしようかと考え年3回、生みの母の誕生日にケーキを食べて祝うことにした。お風呂では「こんなにかわいい手に産んでもらってよかったね」と話し、歯磨きのときも「この歯はお母さんがくれた歯。きれいにしなきゃね」と語りかけた。
 ひかりさんの生みの母は、バレエの発表会に来てくれたこともあり、誕生日やクリスマスにはプレゼントを贈ってくれる。4年前、生みの母と友浦さんとひかりさんの3人で、東京都庁の展望台を訪れた。友浦さんは、笑顔でピースする2人のツーショットを撮影した。ひかりさんは少し照れくさそうに、幼稚園のできごとを話していた。
 「仲が良くてほほ笑ましいです」と友浦さん。複雑な感情はないという。「産んでくれたのは彼女だけど、生まれてからの親子の時間が長いから」
 「ほしくて来てもらったんだよ」。そう言い聞かせて育てた長男の優一さんはいま、思春期。注意すると「産んでもないのに偉そうなこと言うな」と言う。「私も母親に似たようなこと言ったなあ」。友浦さんはそう受け止め、「あなたの保護者だから、言うことはいいますよ」と返す。
 「思春期には社会からいろいろな情報も入る。この時期のテリングは『自分を大切に生きてね』と見守ることだと思っています」
 長女の智香さんは、母親が2人いることは、「何億回も聞いた」という。バスケットボールの部活と勉強で忙しく、日ごろは考えることもないが、1歳の時に2回会った生みの母にもう一度、会いたいと思っている。
 昨年、智香さんはお母さんが自分を産んだ年と同じ14歳になった。「休みに友達と遊んだり、部活をしたり。今自分ができてることが、お母さんはできなかったんだ」。自分が生まれた重みを改めて実感した。
 「そんな中で産んでくれて、すごくうれしい」【榊真理子】=つづく
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 ◇真実告知

 引き取った子どもに、生みの親がいることと「あなたは大事な私たちの家族」と伝えること。戦前は欧米でも秘密にするのが一般的だったが、近年は、親子の信頼関係や子どものアイデンティティーの形成のため、告知が主流になった。日本でも、多くの民間団体や児童相談所の研修で、告知を勧めている。
 文京学院大の森和子准教授(児童福祉)は「小学校入学前に伝える家が多いが、多くの親が告知することやその方法に不安を感じている。年齢で受け止め方が変わるため、成長に応じ何度も伝えることが大切だ」と話す。

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