心でつながる親子:/5 手をつなぐ、巣立つ日まで◇戸籍に入らない里子 手当、研修…支援手厚く リビングにおでんの温かいにおいが広がる。菱山優美さん(34)がお鍋の中を混ぜていると、折り紙で遊んでいた女児(4)が「お母さん、緑の紙ちょうだい」とかけ寄った。「ただいま」。仕事から帰った夫・佑輔さん(35)の声が響いた。
10歳と6歳の男児も席に着き、家族5人のにぎやかな夕食が始まる。菱山さんは東京都の養育里親をしており3人はみな里子だ。夕食後、10歳の男児が、ソファに寝そべって漫画を読んでいた。佑輔さんは「くすっと笑う表情がかわいい。どのページで笑ってるのかな」とほほえむ。
20代前半に結婚したが子どもに恵まれなかった。不妊治療に疲れ果てていたとき、病院帰りのバスで優美さんは里親募集の広告を見た。「あなたを必要としている子どもがいます」という言葉が響いた。「妊婦になる自分より、子どもと遊んでいる方が想像しやすかった。神様が導いてくれたと思いました」
養子縁組を前提とした里親か、籍に入らない里子を育てる養育里親か−−。登録のとき、東京都ではどちらかを選ぶ。佑輔さんは初め、「菱山の名前も残るし、養子縁組の方がいいかな」と思った。しかし養子縁組は対象となる子どもが少なく、何年待つか分からない。優美さんは「いっぱい育てられる方がいい」。2人は養育家庭に登録した。
男児(6)は乳児院で最初に会った1歳のころ、柵にごんごん頭をぶつけていた。気持ちが表現できず、おでこは青かった。でも「縁があるのだろう」と預かった。自宅に迎えた後も泣いてばかりだったが、いつの間にか能面のような表情が柔らかくなった。子どもは確実に成長している、と感じる。
養育里親は里親同士のつながりがあり、研修会も多い。養子縁組里親は、子どもを実子とした後は支援が少なくなる。優美さんは「困ったとき相談できるので、養育里親でよかった」と話す。
◇ ◇ ◇
児童養護施設の玄関。その男の子は目を合わせるなり、椿晴夫さん(59)の胸に飛び込んできた。「よその子を育てられるのだろうか……」という迷いは吹き飛んだ。
八王子市に住む晴夫さんと恭子さん(56)夫妻は8年前、この男児(11)を、つづいて女児(9)を里子として迎えた。養子縁組里親も考えたが、都の年齢制限で子どもを迎えられない可能性を考え、養育里親を選んだ。女児は人なつこく明るいが、知らない場所にどんどん歩いていったり、落ち着きがないところがあった。
恭子さんは小学校の特別支援学級まで毎日、片道15分の坂道を送り迎えしている。お迎えのときは女児が駆け寄って手を握り、学校での出来事を話し続けてくれる。家に迎えて5年、穏やかになった。何かしてあげると必ず「ありがとう」という。男児と並んで、恭子さんが作った和菓子を食べる姿を見るとうれしい。2人に会うために、子どもができなかったのかと思う。
しかし、里子はいつまでも里親の元にいるとは限らない。児童相談所はできる限り里子が家庭復帰できるよう支援しており、実親が子育て可能になった時、元の家庭に戻ることもある。
椿さん宅の男児は、児相のプログラムの一環で、実母と交流がある。共に出かけ、ぬいぐるみを買って持たせてくれることもある。「やっぱりかわいいんだな」。恭子さんは複雑な気持ちになる。
片道2時間かけて高齢者施設に通勤していた晴夫さんは、長く子どもと過ごすため転職し、近くの障害者施設で働いている。
甘えん坊の男児は毎朝、出勤する晴夫さんに抱きついて見送ってくれる。晴夫さんはいう。「実親の元に戻るかもしれないと思うとつらい。でもそれが養育里親。一緒の間は満足できるようにしてあげたい」
◇ ◇ ◇
町田市の秋子さん(55)=仮名=は、夫婦の間に生まれた長女(18)と里子2人の家族5人で暮らす。休日はみんなでステーキの食べ放題へ。「お父さん食べ過ぎ」「これおいしい」。苦しくなるほど食べ「体に悪いね」と笑い合う。「里子の手を放さないでよかった。やっとトンネルの外の光が見えてきました」
長女を37歳で出産したが、2人目が授からない。「養育里親としてきょうだいを作ってあげたい」と、4歳年下の女児を迎えた。
しかし、長女は小学校高学年で登校を渋り家にこもるようになった。慎重で優しく、明朗な里子の妹(13)と対照的。妹に気を使い我慢が重なったのだろう、と秋子さんは思っている。仲良しだった妹のランドセルを投げ、「てめえなんて怖くない」と秋子さんにすごんだこともある。
里子の妹を家族の中で育てていいのか迷った秋子さんは、児童相談所に相談。妹は、一枚の絵を描いた。両親が見守る中、妹が歌を歌っている。傍らに立った長女が花に水をあげているほのぼのとした構図だった。「里子は家族の一員になっている。家族で乗り越えてください」と言われた。
長女が里子に「出ていって」と言い、相談機関で「里親をやめたら」と言われたこともある。しかし秋子さんは踏ん張った。「長女は優しい子。里子を手放したら自分のせいだと思い、一番傷つくのはあの子」
流れは昨年変わった。アイドルグループのファンの友達ができ、コンサートに行き電話で盛り上がるうち、長女は外に出られるようになった。バイトも始めた。秋子さんは昨秋、気になっていたことを尋ねた。
「里親をしてすごく迷惑をかけたけど、これからもやっていい? 返事するの難しいかな?」。長女は笑顔で答えた。「私、返事できる。やっていいよ。きょうだいが増えて、ずっと楽しかったから」【榊真理子】=つづく
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心でつながる親子:/6止 本気で叱られ、愛された◇育ての親に感謝、尊敬の念 実母との距離感はかれず 「お母さんから生まれたんじゃなくて、他の人から生まれたんだよ」。大阪府の会社員、ひかりさん(24)は5歳のとき、母から真実を聞いた。驚いて泣き続け、一緒にベッドに入っていた母が背中をさすってくれたのを覚えている。寒い冬の夜だった。
翌朝、母に「今の家に来てよかった」と言った。悲しませたくないと、幼心に考えた。乳児院にいて、生後6カ月のとき、両親の元に迎えられたと聞いている。産んでくれた人のことは気になった。「そういう話は他の人に言っちゃだめよ」と母に言われるのが嫌で、話題にできなかった。小学校5年生ぐらいのとき、保険証が入っている缶の中に母子手帳を見つけた。実母の名前や出生時の体重などが書いてある。
「産んでくれた人の元にあって、私のところにきたのは母子手帳だけ」。缶が目に入ると、取り出しては見つめた。
高校2年生のとき、パスポートを作る手続きで実母の本籍を知った。大学時代にグーグルマップで調べ、最寄り駅もわかった。大学に通う4年間は駅を通過するだけで、降りなかった。「産んでくれた人の顔が見たい。会ってみたい」。でも「冷たくされたら嫌だし、喜んでくれるとは限らない」とも思う。
昨年末、夫と一緒についに家の前まで行った。表札を見て「ここなんだ」と思った。ベルを押す勇気はなくたたずんで帰ったが、一歩前に進めた気がする。
父は大学卒業の直前に62歳で亡くなった。高校生になっても、2人で買い物に行く仲良し父子だった。いま実家には母が1人で暮らす。「絶対さみしいだろうし心配だから」、その日のことや来週の予定など、メールや電話で毎日連絡する。
「産んだわけじゃないのに、育ててくれてありがたい」。自分の親は、育ててくれた両親だと思う。一つだけ、母にお願いしたいことがある。「産んでくれなかったら、お母さんにも出会えなかった。私と同じように、産んだ人に感謝してくれたらうれしい」
◇ ◇ ◇
大学卒業の直前、東京都の会社員、剛さん(26)=仮名=は初めて実母に会った。中部地方の駅のロータリー。「どうも初めまして」。顔を合わせた瞬間のことは、緊張しすぎて覚えていない。実母の家に向かう車の中でも、ほとんどしゃべらなかった。家でお昼を食べ2人で近所を散歩した。「どんな会社に就職するの?」「不動産関係だよ」。ぎくしゃくした会話が続いた。
玄関先で車に乗り、「体に気をつけて」と別れた。他人行儀のままで、親とは思えなかった。プレハブのような家を見て「経済的に育てられなかったのかな」と感じた。連絡先は聞かなかった。
育ての母は、姉と剛さんを養子に迎えた後、男の子を2人産んだ。小学校低学年の頃、自分と姉が養子だと両親から聞いた。中学校に入ってから、剛さんは親を困らせるようになった。隣の中学に殴り込みをかけ、たばこを吸った。中学2年生のとき、近所の河原で父親から「(養子の)認識はあるよな。でも、愛情は一緒、育て方も同じ」と言われた。ぐれたことと生い立ちが関係あると父は思ったのかもしれないが、単に格好をつけたかっただけだ。このとき「将来、結婚式に実の親を呼びたいか」と聞かれ、初めて「親が2人いる」と認識した。
門限を破ったり、酔って帰ったり。でも両親は、まじめなきょうだいと比べることもなく、見守ってくれた。大学は親の勧めで北海道へ。このときも父は、「1人で大丈夫なやつだから」と送り出してくれた。「どんなにぐれても俺を信用してくれた。ずっと愛されてると感じていた」
尊敬する人を聞かれると迷わず「おやじ」と答える。
◇ ◇ ◇
結婚を控え、妻の実家にあいさつに行った日の夜。東京都の会社員、正さん(28)=同=は、ホテルで妻と向き合った。「俺は血液型B型だけど両親はO型だよ」。それを聞いた妻は、「あなた養子?」と気づいた。続いて「話してくれてありがとう。だからって何も変わらないよ」と言ってくれた。
いつ告知されたのか覚えていないが、正さんは物心ついたころから、親しい友人にも一切話してこなかった。結婚するとき、妻にだけは話そうと決めていた。実家に伝えるかどうかは妻に任せた。妻は「あなたに対する気持ちを一ミリも変えてほしくない」と、今のところは話していない。
乳児の頃の写真もあるし実家以外で暮らした記憶はない。親から生まれたと錯覚するくらいだ。小学校の生い立ちの授業では、適当に書いて提出した。実母のことも、自分が今の両親に迎えられた経緯にも興味はなく、親に「話そうか」と言われても断った。生みの親が気にならないのは、「知りたくない、知るのが怖いからだろうか」とも考える。
両親は厳しかった。母と電車に乗っていた小学4年生のときのこと。正さんがドアの前にいたので後ろの高齢者が降りにくそうにしていた。母に注意され「知らない」と反抗すると、ほおをビンタされた。「養子だと気にしていたら怒れないはず。僕のことを本気で考えてくれた」
家庭を築く正さんに父は「子どもを3人つくれ」という。子どもといるのが楽しいらしく、冗談なのか本気なのか「子育てしたいから3人目はよこせ」ともいう。
もし、養子を迎えるかどうか悩んでいる人がいたら、正さんは背中を押したいと思う。「親が気にしなければ、子も気にしない。本気でぶつかれば大丈夫」【榊真理子】=おわり
◇真実告知「親子関係を確実にするため」 家庭養護促進協会(大阪市)が、98年から6年間に協会から子どもを迎えた92家庭に調査したところ(有効回答80家庭)、42家庭が「子どもに真実告知をした」、34家庭が「するつもり」と答えた。告知した年齢は3歳が15家庭と多く、5歳までに84%が告知していた。「今度告知するつもり」と答えた34家庭も含め、理由を尋ねると「親子関係をより確実にするため」が26家庭でトップだった。
10年前(88〜94年に子を迎えた140家庭)の調査で告知した33家庭の場合、「いずれわかることだから」が13家庭でトップで、親子関係をあげたのはわずか1家庭。岩崎美枝子理事は「病気やがんなど『知る権利』が浸透し、伝えることで信頼が深まると考える人が増えた」と話す。 |

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