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書庫タイトルとは直接関係しないのですが。
生きていれば84歳。 兎に角帰国しようと、22日関空経由の帰国便を押さえた。
でもどこか自分たちの身の回りで起きていることという実感・現実感がなくて、 そのまま二晩病室で過ごし、24日朝我々二人に妹とその娘の四人で母の最期を看取った。
親父の時も、好きだった叔父の時も死に目には会えかったけど、母を看取ることは叶った。
だけどそれは予想していた事ではなかったし、余りに突然だった。
もう一度くらい、その声を聞きたかった。
これだけは今も心残りだ。 一緒に温泉に行く事もとても楽しんでいてくれたのでとても助かっていた。
母を連れて温泉に入るのは結構大変だったと思うのだが、そんなことは全く気にせず
とてもよく面倒を見てくれていた。
女房に関しては、母は良い思いをもって旅立ってくれたのだろうと思うと、女房には感謝の気持ちで一杯になる。
生前の母は、数年前に鹿児島からこちらに移ってくる時期と前後して
『ふらついて、まっすぐ歩けない』
と良くこぼしていた。ケアハウスに入ってからあちこちの病院で検査もしたが、
『原因、はっきりせぇへんねん、でも内臓はとても良い状態、と言われるねん』
と言っていた。
" 年齢の事もあるし上手に付き合うしかないんちゃうか "、と返していたのだが。
実は昨年9月に、私はあまり乗り気ではなかったのだが、
妹が前向きになっていたことがあった。
それは、15年前に亡くなった親父のお骨が鹿児島にある納骨堂に収められていたのだが、
それを大阪の一心寺という寺に移したいと昨年の初めころからだったか母が言い始めていた。
結局、それを実行することになり昨年9月に一心寺への納骨をした。
結局、自分が気にかけていたいたことを叶え、その事に安堵もして、
逝ってしまったのだろうか、等と考えたりもする。
尤も、本人は決して生を諦めていた訳ではなく、寧ろ積極的にリハビリ等をこなしていたのでしたが、、、
母の通夜と葬儀は26・27日、納骨は親父と同じ一心寺にした。
本来なら49日が過ぎてからの納骨らしいが、葬儀に来ていただいた住職さんに聞いてみたところ最近では特に問題にはならない様子、なのでどうせなら同じ年に納骨を済ませれば翌年の4月に一心寺で一年に一回の大法要に夫婦二人を任せられる、と考えた。
12月4日に母の遺骨を一心寺に納骨した。
4月末の大法要には私達夫婦と妹達も大阪に集うことになる。
母が一心寺に拘った理由の確たるものは今となっては知り様もない。
ただ、父方の祖父母も一心寺に納められているとのこと。
一心寺は何処の宗派でも、その宗教が何であっても、それらを問わず受け入れてくれる。
そして10年に一度、納められたお骨で仏像が作られるのだそうだ。
私達の父母は再来年、平成29年に骨佛様になるとのこと。
今も時折女房が、思い出したように
「お母さんがいなくなったなんて信じられないねぇ」と言い出す。
ま、感覚は同様だ。
来月の中国の正月に合わせて女房は日本に戻るが、きっとその時に私も同様に
ふと、母の所へ と思うに違いないのだろう。
ずっと離れて暮らしていたと言う事からくる、違った意味の喪失感 なのかもしれない。
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2015年01月14日
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