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飯田史彦 生きがい論
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毎日を仕事に追われ、忙しい毎日もそれなりに必要だけれど、でも仕事を 生きがい とは考えたくないような。。。。。
彼のHP⇒ http://homepage2.nifty.com/fumi-rin/
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「自分は、人生に対して何を期待することができるのか」と考えること自体が誤りであり、その逆に「人生は、自分に対して何を(どのような人物になることを)期待しているのだろうか」と、自問することこそが正しいのです。このような発想が、私たちの心の真ん中で待っている何かに、火をつけてくれるのでしょう。 |
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これまで、間違った方向へ進み続けて、何一つ問題を解決していないような人でも、いつでもその誤りに気づき、方向転換をする道が用意されています。60歳、80歳になってから、自分の言動の誤りに気づいた場合でも、決して遅くはありません。いつからでも「やり直し」がきくようになっており、たとえ今回の人生で多くの課題をやり残したとしても、人生を終える前にそれに気づき、わずかでも良い方向へ向かって、その過ちを取り消そうとしたかどうかということが問われることになります。 |
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人生は「楽しみながら学ぶ修行」の場であり、多くの人々と出会い、大いに愛し合い、力を合わせ、むだな殺生をしたり人に迷惑をかけたりしないかぎりで、自分なりの趣味や娯楽を楽しみながら、計画しておいた課題を解いていけばよいのです。人生とは、「自分らしさ」(アイデンティティ)の追求の場であり、さまざまな価値を創造しながら成長していく過程だといえます。「自分らしく生きること」は、私たちに人間として与えられた、根本的な修行課題です。自分らしい趣味や娯楽を楽しむことは、決して否定すべきことではなく、むしろ創造的活動につながるならば、大いに楽しめばよいのです。 |
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経営者であるということは、いかによいものを安く提供するかという、物質世界ならではの究極の挑戦課題のひとつに、チャレンジしているということです。 「経営者を続けるべきか、やめるべきか」とお悩みの方に申し上げたいのは、ほかのどのような判断基準よりも、「いかなる苦労をしようとも、お客様によいものを安く提供しよう」という熱意の有無こそを優先すべきだと言うことです。この熱意を失った経営者は、もはや「社長」(会社のトップ)ではあっても「経営者」ではありません。そして、この熱意を失わないかぎり、不思議な力がはたらいてギリギリで助かったり、たとえ一時的に会社を手放したとしても、またどこかで経営にたずさわる機会がめぐってくるものです。あなたが「経営者」と呼ぶにふさわしい熱意をおもちでいらっしゃるかぎり、どのような試練にみまわれようとも、すべて「順調」そのものなのです。 |


