近くて遠く、遠くて近い、そんな所との縁

やはり一抹の寂しさはあるよねぇ。だって、14年間も続けていたんだし。皆さんお元気でそしてまた何処かでm(_ _ )m (^^)/

飯田史彦 生きがい論

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人生も半分を過ぎると こんなこと(生きがい)も 考えるようになる。
毎日を仕事に追われ、忙しい毎日もそれなりに必要だけれど、でも仕事を 生きがい とは考えたくないような。。。。。

飯田史彦 という人は今は福島大学 経済経営学類教授であり、又、InterculturalOpenUniversityの名誉教授でもある。
彼のHP⇒ http://homepage2.nifty.com/fumi-rin/
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『生きがいの言葉』もそろそろ佳境にはいりました。

 誰でも、生まれつき得意としていることや、他人が嫌がるのに自分は嫌だと感じないようなこと、他人にとっては苦痛なのに自分にとってはむしろ楽しいと感じるようなことを、なにかひとつはもっているはずです。そのような不思議な個性は、なにかの理由があって、今回の人生を生きぬくための道具として、自分自身で自分に与えて生まれてきたものに違いありません。それらの個性を生かす仕事や役割が、どこかにないだろうかと捜し求め、それに近づいていこうとする熱意さえ失わなければ、少なくとも、それに挑戦するチャンスは与えられるはずです。
 そして、チャンスさえ発見すれば、もう人生の目的は達成したも同然です。なぜなら、夢をつかむことにではなく、夢に挑戦することにこそ、生まれてきた目的があるためです。物質的現実として達成できたかどうかではなく、その夢に精一杯挑戦したかどうかという精神的成果こそが、人生という名の問題集の採点基準なのですから。


 やりたい仕事ができてもできなくても、いまやっている仕事に、価値のない仕事はありません。お茶いれ当番ならば、お茶入れの達人になりましょう。電話番ならば、電話番の名人になりましょう。そうして自分を磨きながら、虎視眈々と、やりたい仕事を狙い続けることが、自分をどんどん魅力的にしていくのです。

証言

 「そこで、人生の回想は終わった。人生を回想し終えると、今度は、いま見たことをふり返り、反省し、結論を出すことになった。
 私は、すっかり恥じ入っていた。自分が送ってきた人生が、実に利己的なもので、他人に救いの手を差しのべることなど、まずなかったという事実を思い知らされたのだ。人生の中心は、自分だけだった。そう、自分ひとりのための人生だった。まわりの人間のことなど、眼中になかったのだ。
 光の存在を見つめた私は、悲痛と恥を深く感じていた。」
臨死体験者の証言

 「そこには、人を傷つけてばかりいた私の姿がありました。そして、私が傷つけた人たちが、今度は別の人を同じように傷つけている姿がありました。
 この被害者の連鎖は、ドミノ倒しのように続いていって、またふり出しに戻ってくるのです。そして最後のドミノは、もともとの加害者である私だったのです。ドミノの波は、向こうへ行ったかと思うと、また戻ってきます。
 思わぬところで、思わぬ人を、私は苦しめていました。心の痛みが、耐えられないほど大きくなっていきました。」
臨死体験者の証言
 これまで、他人を傷つける言動を10ほど行っていたならば、今から、9に減らしてみましょう。一度にゼロまで減らそうとしては、かえって「苦行」になってしまいます。9に減らすだけでいい、と考えて行動しているうちに、しだいに9が当たり前になりますから、その9からまた1だけ減らそうとしていれば、いつのまにかどんどん減っていることでしょう。
 それでも、「自分はどうしても他人を傷つけてしまう性格だ」という方は、ちょっと発想を変えて、他人を傷つけてしまった分を上回るくらい、他人を喜ばせてあげましょう。他人を傷つける言動を10ほど行ってしまったならば、それと同時に、他人を喜ばせる言動を11ほど行うように心がけましょう。そうすると、「あいつは嫌なやつだ」から、「あいつは嫌なやつだけど、けっこういいやつだ」に変わってきます。「嫌なやつじゃないけど、いいやつでもない」よりは、「嫌なことも多いけど、いいやつだ」といわれる方が、もしかすると、個性豊かで人間味があるのかもしれません。

 「この性格を変えてしまいたい」と思うのではなく、自分の性格をありのまま受け入れ、致命的な失敗をしない範囲内で、その性格の長所短所をのびのびと発揮させてやることが望ましいのではないでしょうか。長所で人を喜ばせて自分もうれしくなったり、つい短所を出してしまって落ち込んでしまったりしながら、人間関係を通じて成長している自分・・・・・・そんな自分を見て、「喜んだり落ち込んだり、しょうもないけど、かわいいやつだ」と思ってやれば良いのです。
 そのような姿こそが、人間にとって、きわめて自然で正常な、順調な毎日なのではないでしょうか。

人から責められたくなければ、人を責めなければよい。
人から嫌われたくなければ、人を嫌わなければ良い。
人から裏切られたくなければ、人を裏切らなければ良い。
人から笑われたくなければ、人を笑わなければ良い。

先立った人達

 いまでも、私は、祖父母や、この世を去った親しかった方々のことを思い出すと、
ポロリと涙が出てきてしまいます。 ただし、その涙は、悲しみの涙ではなく、
感謝の涙であり、「あなたの分まで精一杯行きます」という決意の涙です。
つまり、過去をいたむ悲しみの涙ではなく、未来に向いた勇気の涙なのです。

 恋人を亡くされた方々に、私がひとつだけ言えることは、「ほかの人と恋におちて結婚したとしても、先立った恋人は、決して恨んだり、ねたんだりしない」と言うことです。
むしろ、先立った恋人は、あなたに、「過去にとらわれないで、前を向いて創造的に生きていくこと」を求めます。
先立った人にとって、物質世界に残した知り合いたちが、自分の死をいつまでも悲しんでいることほど、つらいことはないのです。
 あなたが新しい恋人をつくったとしても、決して、先立った恋人を裏切ることにはなりません。
なぜなら、あなたの新しい恋人になる人は、「先立った恋人が選んで、あなたのもとへ連れてきてくれる人」なのですから。

宝箱

 人間が人間である以上、過去の深い悲しみを忘れ去ってしまうことはできません。
しかし、人間には、たいへんありがたい能力が与えられています。
それは、過去をひとまとめにして現在から切り離し、「想い出」にしてしまえるという能力です。
過去の悲しみを無理に忘れようとするのはやめて、想い出にしてしまいましょう。
 しかも、人間には、それらの「想い出たち」に後から価値を与えて、宝物にしてしまえるという
能力も与えられています。
どれほど悲しい想い出にも、貴重な価値があります。
そのことがあったからこそ、その悲しみを通じて成長できた現在の自分がいるからです。
悲しい想い出たちにも感謝をして、それらをきれいな宝箱に入れて、かわいいリボンをかけましょう。
 時々、必要に応じて、宝箱の中から想い出たちが出てきます。
その時は、しばらくかわいがってやってから、「それじゃ、またね。どうもありがとう」と
感謝の言葉をかけて、また宝箱の中に戻してあげましょう。
その宝箱の中に入れる、悲しい想い出やつらい思い出が増えれば増えるほど、あなたも成長しているのです。その宝箱には「私の成長記録」という名前をつけてあげましょう。
 おわかりですか? たったそれだけの、簡単なことなのです。
無理に忘れようなどと思わないで、宝箱のような想い出にしてしまえば良いのです。
さあ、どんな色の宝箱にして、どんなリボンをかけてあげましょうか?

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