近くて遠く、遠くて近い、そんな所との縁

やはり一抹の寂しさはあるよねぇ。だって、14年間も続けていたんだし。皆さんお元気でそしてまた何処かでm(_ _ )m (^^)/

雑学 ・・・ 通勤読書

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算数 or 数学?

最近読んだある本に出ていたこと。

こんな問題がありました。

イメージ 1


缶ビールの大きいほう、つまり 500mml 缶 4本が写っています。

この写真は ヒ ン ト になります。

では問題。。。。。

この缶ビールを上から見たときの 最も外側の 円周寸法 と 横(写真の方向)から見たときの

高さ寸法、 どちらが長い

因みに、ここに写っているビールの銘柄は最近の私のお勧めでもあります。

美味しいですよ、キリンさんの久々のヒットじゃないかなぁ。。。

=============================================================================

たかさん←大正解です。賞品がなくて済みません。

写真の中で横に寝ている缶がヒントだったのですね。
それと、高さのコメントにある 円周率 の3.14 ここでは  になります。

円周=直径×円周率 です。

単純には 缶の幅 の ≒三倍 という事ですね。

なので後は写真がその答を示している、と言うことです。

ほぼ誰でも円周の算出式は知っているはずなのですが、ここに載せた写真だけからこの算出式との関係に
結びつけることができる人は少ないのかもしれないです。 私もそうでした。

計算しない数学 という本からでした。。。ほかにも面白いことがかかれていましたよ。 

琉球問題。。。?

イザヤ・ペンダサン著  山本七平 訳 『日本人と中国人』
という本を読んでいて気になる記述があった。

それは、 琉球 つまり 沖縄 は 清国 現中国 との 『両属の国』 のままである。
という。

琉球つまり沖縄は 1872年 の 廃藩置県 と同時に鹿児島県に編入され、翌年、当時の
琉球王を 琉球藩主 とし、 1879年 に沖縄県 としたそうである。

廃藩置県当時、清国では 長髪賊の乱(ロシアとの国境紛争) が続いていたとき、、、そのような相手国のどさくさに紛れて既成事実化してしまったとも言えるのだろうか。

1879年の置県と同時に清国からの抗議を受けて 当時のアメリカ前大統領グラントが引退後の世界一周旅行の折日本を訪問し日清間の調停を行った。

調停によった協定案は 『沖縄分割案』 又は 『分島・増約案』 と言うもの。
これは、中国(清国)内での日本の欧米並みの通商の権利を認める代わりに 宮古・八重山 を中国(清国)へ引き渡すという内容であった。
1881年2月、日清両国の代表が石垣島で会い正式調印ということになったが清国側は自国内の問題等から調印をためらい、加えて、琉球からの清国亡命者からの請願書なども影響して 正式調印に至らず
この条約は棚上げになっている、それがそのまま現在にも至っているという。

まぁ、中国を悪く言うわけではないが、これを盾にこの話題を蒸し返し返還要求などと言う事にもならないとも限らないなぁ、と思った次第。

北方領土問題も、このことをあわせて考えると少々面倒な感を拭えない、とも感じる。
一方に対しては帰せ、他方に対しては帰さない、 ということにもなりかねないなぁ、と。
まぁ、私などの知り得ない複雑な背景も色々とあるとは思うが、単純な発想とはこんなものですよね。

が、しかしアメリカから返還されてそれで おぉ、やっと沖縄は晴れて 日本 だと思っていたのに
 実は 『ちゅうぶらりん』 状態が事実であるとは、、、

冒頭の 日本人と中国人 にも触れられているが、日本のと言うか日本人の白黒をはっきりさせずうやむや を放置する体質 はこのような問題、火種を多く抱える、と言うことなのかな。


あのアメリカの駐日大使も務めた エドウィン・ライシャワー 氏の著した「世界史上の円仁」と言う書物の序章に 「日本僧 円仁は 838年中国に渡り、847年の帰国までの9年半の旅日記を残している。・・・(中略) 中国の生活に関して外国人が書き表した最初の記録である。」と書いている。

場所は 中国・山東省揚州 あの マルコ・ポーロ も同地を訪れているが、 円仁の4世紀も後であった。
そして、彼マルコは3年以上の滞在をしたにもかかわらず、また、知事職としてこの街を治めたと言っているにもかかわらず、彼の著『東方見聞録』には大した字数も割かず「ほかに取り立てて話すこともない」で終っている。
一方の慈覚大師円仁は遣唐使として中国へ渡ったが、その船は難破し5日間の漂流の後助けられ 揚州 へと向かったのだそうだ。 彼はこの時のことも含めて 『入唐求法巡礼行記』[この書は 国宝 です]に 唐代の庶民生活のありようを 9年あまりにわたって書き記しているのです。
ライシャワーの言葉を借りれば、 マルコ・ポーロの言葉で伝えた 東方見聞録 は茫漠とした感を拭えないが、一日一日を克明に記録した円仁の日記は当時を記した貴重な文献と言える。 としている。

日本にもこんな人が居たんだとの驚き以上に 日本人である私よりも ライシャワー氏 そして、偶然見た朝日新聞6/19朝刊の記事「中国と私」に寄稿していた 阿南ヴァージニア史代さん など 他国 或いは 他国で育った方達の方が円仁を知っていることに驚いたのでした。。。。。
あるツアーガイドと中国からの 研修団 とのお話。。。

ツアーガイドさんは日本の温泉を体験してもらうために、

   「明日は 温泉で入浴します。」  と下記のように中国語で言った。 

イメージ 1

少々ぎこちなくはあるが、伝わるには伝わっている。

この説明を聞いた 研修団 の面々は、、、 口々に、

イメージ 2
  と言った。。。(明日は温泉だぁ。。。ワァィ!!! と言ったところか。)

これを聞いた ガイドさん。

不要洗!!! 不要洗!!! (洗うのではありません!!! その必要はありません!!!)

と言ったものだから 双方訳がわからなくなってしまった。   と言うお話。


中国語の経験者じゃないとわからない話題かも、、、
でも 明天(明日)洗(洗う)温泉 と言われれば、日本人なら温泉の湯に浸る意味ではなく
浴槽を洗う意味に取り違えるよねぇ。。。

でも、こういう表現 沢山あるんだよね。
この4月から本格的な リーマン生活 が始まった。
既に2ヶ月半程が過ぎ、通勤時間中の約45分程度が電車の中。。。
幸いにも始発に乗る環境なために殆どの時間を座って過ごせることから、、、
元々文庫本などを結構読む質から、4月以後既に厚薄25冊程を読んだ。
そんな中から 雑学 としてここに書いていこうと思い立った。

興味のある方に対してのみの記事になるかも知れず、また読みようによっては
本の内容そのままで、昨今の著作権やらに気の回される方も居るやも知れないが
まずは、、、始めてみようと思う。

で、記念すべき第一回は、、、 そんなに大仰なものではないですが、





さて、それでは はじめますか

安房 上総 下総  この三つの漢字は何と読むだろう。。。

そう、これは千葉県の昔の呼び名、、、 あわ かずさ しもうさ である。

が、、、 何故だろうか? 地図を見ると 上総 は 下総 の 南側 つまり 下にあるのである。

その理由が今回、初回の  雑学  である。



その理由、、、実に簡単であった。




それは、たとえばJR等の鉄道に答がある。



つまり 東京(中心 かな?) へ向かうものを  上り  その反対が  下り  わかった人も居るだろう。



同様のことが昔の日本には  つまり  に対してあったのだそうだ。

だから、上総 の方が  に近い と言う意味になるのだそうだ。

イメージ 1

この地図はヤフーからのもの、だから 上総 下総 は出てこないけれど、この地図の上側の千葉市から
銚子市を結んだ辺りが 下総 であり 中央部の殆どが 上総 そして 館山・南房総・鴨川の各市が 安房 に当たる。
現代の我々が地図上の東西南北に慣れ親しんでいる事による錯覚のようなものもあるのかも、、、

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