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いしぶみ13号(2)

育英秀光中等教育学校
     「多賀城史跡めぐり壁新聞」から

 去る4月5日、毎年恒例行事となっている育英秀光中等学校の生徒64名と一緒に「多賀城史跡めぐり」で汗を流した。毎年、楽しみに拝見しているのが生徒たちで作成する壁新聞。史跡に触れた生徒たちの新鮮な感動が私たちを感激させてくれる。5班のグループに分かれ、それぞれに趣向を凝らした記事は私たちサークルのガイドのポイントを十分理解した内容でわかりやすくまとめられていた。今回は各壁新聞から「史跡めぐり」の感動を紹介します。
「多賀城碑とは?」
 多賀城碑は歌枕で「つぼの碑」とも呼ばれていて天平宝事6年(七六二年)12月1日に作られた。この多賀城碑は縦一九六センチ横九二センチ厚さ七〇センチもあり、平成十年には国の重要文化財に指定されるなど、かなり重要なものであり貴重なものである。多賀城碑はいろいろな歴史的資料の一つである。きっとこれからも重要な文化財として厚く保護され歴史を語りつぐうえで重要な手がかりとなっていくだろう。だからこそ僕たちは、このような重要な文化財を大切にしていく事が大切だと思う。
「多賀城Q&A」
Q 多賀城はお城なの?
A お城ではなく陸奥の国府があった所でした。
Q 今野家住宅には、どんな人が住んでいたの?
A 村の村長さんのような仕事をしていた人です。
Q 「政庁」ってなに?
A 今の国会議事堂のような所で、まつり所として、いろいろな儀式が行われていた所。
Q 今野家住宅にトイレが2つあるのはなぜ?
A 向かって左側が当主用で右側が家族用でした。
Q 高崎廃寺にはどのくらいのお坊さんがいたの?
A 約30人くらいが、僧坊という寄宿舎で生活していました。
「多賀城の歴史」
 大和朝廷が影響を強めていき(八世紀頃)全国を統
一したいと考えました。その時、東山道のエミシが大
和朝廷の言うことを聞かず、対立相手となりました。
多賀城は陸奥の国府。
大和は陸奥に自分達貴族を送りこみ東山道を配下にお
こうとした。しかし・・・・・。
東山道のエミシたち
 東山道には自分達の地を守るエミシがいました。え
みしたちは、リーダーアテルイを先頭に無理に支配し
ようとする大和朝廷と戦いました。
「編集後記」から
★今回の多賀城史跡巡りは、今まで知らなかった史
や多賀城が日本の中でもすごい所だということを知り
ました。
★今回の多賀城史跡めぐりでは、私達の学校のある町
について学ぶことができ、大変うれしく、またとても
勉強になった。班員全員でメモを取り合い、この新聞
を作り上げる事ができた。このチームワークを忘れず
に、これからの生活に生かしていきたいと思っている。


シンポジウム「みちのくの金と鉄」に参加して
                会員 熊谷 恵一
 去る十一月二三日松島町で行われた宮城県地名研究会設立十周念記念シンポジウムに参加した。
 基調講演の谷川健一氏の「金属地名の重要性」については簡潔でわかりやすく地名の重要さを再認識した。各地に残る地名こそ弥生時代からの人々の暮らしの記憶を伝えて来たものであること、地名、氏族名、神社、伝承この4つを組み合わせて古代を解明。
記紀に登場する神々、特に鍛冶の神々は古代の製鉄に深く関わっている。一番注目したのが涌谷の金について。黄金山から産出した金だけでは大仏ができなかった。献上された金九百両の内百二十両が、宇佐八幡に差し出していり。辻善之助の著書の第一巻には百済王敬福を疑っている。黄金山の金は大仏開眼に必要な量は1/8しかなかった。残りは事前に交渉があったのか閏三月に新羅から七〇〇人の大使節団が来日している。この使節団から相当の量の金を買ったと、下張の文書に書いていたという。
 また、太宰幸子氏の製鉄・鍛冶に関わる地名と神については大変参考になった。金沢・金堀・金山は鉱山・製鉄との関わる地名で金田・金屋・金谷など古い時代、カネとは金に限ることなく鉄銅などのすべての金属をカネとあらわすことがあったという。クサという地名も鍛冶に関わる草木沢・草井など岩手県一関市舞草(もくさ)は日本刀発祥の地、舞草刀は日本刀の原点といわれいる。多賀城に大日向(おおひなた)という地名がある。日向はヒナタ・ヒムキなどと読むが、一般的には日当たりの良いと解釈されているが、日(ヒ)は鉱脈を表すので鉱脈のあるところ、製鉄の行われた所という。大日向は各地にある。
 全体的に初心者でも十分理解できるシンポジウムであったと思う。残念だったのは質問者のなかに講師に対し不愉快な思いをさせた言動・態度があったことだ。やはり事前に質問をとるような配慮が主催者側にあってもよかったのではと思った。


  追 悼
          多賀城碑案内居士・本田忠雄さん

今から五年前になるが、多賀城市の「広報・たがじょう」平成十一年五月号(三三〇号)に本田忠雄さんを紹介する記事を書いたことがある。
 「人・ひとインタビュー」というコーナーだ。
その一節を紹介しよう。「昨日は清明。いよいよ本田さんの活動しやすい季節が来た。梅が咲き、桜の蕾が膨らみ、吹く風も幾分春めいて来た。朝九時、愛用の黄色のユニホームと帽子、デイバッグを背負い、今日も自転車で出かける。本田さんの日課の始まりだ。本田さんは七年前から、ボランティアで多賀城の史跡案内をしている。(略)晴れの日はもちろん、少々の雨や雪でも荒天でない限り、毎日のように自転車で出かける。それも場所は決まっている。昨年六月、国の重要文化財に指定された『多賀城碑』だ。一年のほとんどを碑の案内に費やしている。重要文化財指定後は、特に力を入れている。昨年、一年間で約四千人を案内したという。(略)碑が好きだね。碑を案内していて倒れる。迷惑をかけるが仮にここで死んでも本望です」。大正十二年七月生まれ。趣味は読書と剣道・柔道・相撲と武道が得意。しかも、酒、タバコを好まず、食べ物に好き嫌いなし(略)」。
 しかし、そんな本田さんも病気には勝てなかった。最初に倒れたのがインタビューの直後の多賀城碑。しかし、不屈の精神で再起した。が、元通りの体にはならなかった。昨年暮れ、偶然入院していた病院で出会ったのが本田さんの最後の姿になってしまった。「人・ひとインタビュー」でのタイトルが「ここで死んでも本望です」。多賀城碑と共に散りたいと願った本田さん。残念ではあるがまさにそのようになった。平成十六年五月十七日、午前十時五十分永眠。享年八十一歳。
献句してご冥福を祈りたい。合掌。

夏めいていしぶみ忠雄の奥津城に 熊谷山里 

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東北の金属資源の話は面白いですね。

2011/4/8(金) 午後 4:11 形名


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