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古代ユダヤ人が日本列島に渡来していた
会員 熊谷 恵一
昨年八月、夕方テレビのスイッチを入れたとき、目にした画像を見てアッと思った。数人の女性の踊りである。日本の民謡の踊りとは全く違う。優雅な、まるで天の羽衣の天女の舞を思わせる動きであった。時間にすれば十数秒であったが、忘れることができない。最後の解説で思った通り「ナギヤ、ドラヤ」であることを知った。
「ナギヤ・ドラヤ」は八戸を中心に岩手県一戸町から下北半島にかけて昔から謡われている民謡である。しかしその意味を知るものは誰もいない。千年以上の昔から子々孫々その曲・歌詞・踊りが受け継がれて来た。歌詞は次ぎの通りである。
「ナギアド ヤーウヨー ナギアド ナサレダーデ サーイエ ナーギアツイウド ヤーラヨー」
何度読んでも意味はわからない。しかしこの歌詞を研究して明確にこれは古代ヘブライ語であると発表したのは、岩手県出身のアメリカで古代ヘブライ語を研究していた神学博士・川守田英二氏である。博士はこの「ナギヤ・ドラヤ」は『旧約聖書』の「出エジプト記」の十五章に出てくるモーゼとイスラエル人が神を讃えるために歌ったものであるという。
昭和九年十月六日付の「毎日新聞」に次のような記事が掲載された。『民謡が解く民族の謎』「古代太古の歌の意味に関する新研究がシアトル在住の神学博士・川守田英二氏によって発見され、ワシントン大学東洋科教授ゴーウェン博士により発表された。その歌は今なお岩手県一戸町から下北半島にかけて流布して、古来不可解とされていた「ナギヤ・ドラヤ」なる民謡である。同氏の研究の結果、これは純然たるメソポタミア地方の言葉・「カルデア語」であるという。博士は「日本各地に伝わる祭りのとき歌われる民謡のハヤシ言葉のほとんどがやはり古代ヘブライ語である」という。
戦後、博士がニューヨークでナイム・ギラディというユダヤ人に民謡「ナギヤ・ドラヤ」のテープを聞いてもらったところ、彼は顔を輝かして言った。「何と表現してよろしいかわからない。この歌のリズムはアラビア半島のイエメンにいるユダヤ人が歌い続けてきた歌と全く同じである。なぜ日本にこのような歌が伝わっていうのか」と驚いていたという。
彼の先祖は今から二六〇〇年前、バビロンの捕囚として今のイラクに逆行された者たちであった。ペルシヤ時代、同胞が元の国に帰ってもギラディ氏の先祖はバビロンに残った。彼の先祖はアブラハム・イサク、ヤコブの血統そのものを引く本当のユダヤ(セム族)人である。
ギラディ氏に古代ヘブライ語と日本語の類似性について聞いた、その中で「ヤサカ」という言葉がある。日本各地に八坂神社があるが、ヘブライ語のヤサカとはどういう意味かと再び聞くと、じっと考えていたが、突然大きな声で「ヤッサカだ、それは『神』よと叫ぶ」という意味であるといった。原日本人の中に古代イスラエルの血が入っていたとすれば、今日八坂神社と呼ばれるところで彼らは、創造主たる神の名を大声を上げて呼んだのであろう。数千年にも及ぶ長い歴史である。すべての八坂神社とはいわないが、遥か昔その地で彼らの神の名を呼んだのかもしれない。
京都の八坂神社の祇園祭りの山鉾巡行がなぜ七月十七日なのか、昔から受け継いだ伝統・詳細は不明である。『旧約聖書』の「創世記」第七章十一節に書かれている『ノアの箱舟』が数十日間水に浮いていて、アララト山についたのが七月十七日という。もし日本に古代イスラエル人が来ていたとするならば、当然この『ノアの箱舟』の話は知っていた筈である。彼らは『旧約聖書』に非常に忠実な人達であるから、その日を記念し、神事として祭りを行ったと考えられる。
ここでユダヤ人について一言述べたい。ユダヤ人とは古代ヘブライ人がユダヤ地方に住んでいたので、ユダヤ人と呼ばれるようになった。
1. 白色系ユダヤ人 主として東ヨーロッパに住んでいて、かつて中央アジアにいたカザール民族の子孫で『旧約聖書』でいうユダヤ人とは無関係である。宗教的にユダヤ人と思っている。
2. 有色系ユダヤ人 セム族といわれ『旧約聖書』でいうユダヤ系の子孫で主として、モロッコなどアラブ諸国に住んでいた血縁的ユダヤ人。
現在のイスラエルは建国当初からいる白色系であり、有色系はその下積みにおかれ、就職・住宅・結婚など、あらゆる面で差別され二級市民に落とされている。この二系統のユダヤ人は建国までお互いに顔を合わすことはほとんどなかった。有色のユダヤ人は何百年もの間、イスラム社会に住んでいたので、イスラム人たちとは何のトラブルもなかった。アラブ人もユダヤ人も『旧約聖書』にいう同じ先祖であるアブラハムの血を受け継いでいる。
古代イスラエルには十二部族に分かれて住んでいた。紀元前十七〜十八世紀にアッシリアによって一〇部族が滅ぼされ消息を絶った。残る二部族もバビロンに滅ぼされるが、一部の人が直前に国を脱出したが、やはり消息不明となる。残りの人はバビロン帝国の捕囚となって連れていかれた。
では何故日本各地、特に北東北にユダヤの痕跡が残っているのか。史料・文献とて無いので推定すれば、次のように考えられるのではないか。
各地に散った一部が草原の道を通って中央アジアからタリム盆地に入り、列島渡来の最大の豪族・秦氏に混合して朝鮮半島から畿内に入り、一部が日本海岸を北上し東北にきた。また一部が海に脱出、アラビア海・インド洋・マラッカ海峡をとおり黒潮に乗って日本に漂着した。
いずれにしても何千年の時を経て日本列島に渡来したと考えるとよいと思う。時期的にいえば縄文後期以降であろう。
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