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いしぶみ33号(5)

                 龍土水
                      多賀城市史跡案内サークル 小澤 操

 ミュージアムの人気の一つに縄文の火起こし体験がある。縄文時代の人々はこうして火を起こして生活をしたんですよと、木と木をこすり合わせると摩擦熱で白い煙が出てくる。間もなくしてパチパチと赤い炎が木屑を燃やしはじめる。
 体験している児童は目を丸くして喜んだりびっくりしたり。付き添いの若いお母さんは我が子に負けじとこれまた真剣である。
 しかし、火は野火となったり、あるいは竪穴住居を全焼させたり思わぬ火災もあった筈である。
 火起こしについての体験指導はしてくれるのであるが、火災が発生した時はこうして火を消したんですよと話してはくれなかった。
 歴史に残る最古の「火災」を知るすべはないが古事記上巻による木花之佐久夜毘賣出産の物語に語られる火災が、記述上の最古ではないだろうか。
 「消火」については古事記によれば倭武尊(日本書紀・日本武尊)東征の途次に相模國(日本書紀では駿河國)での国造による詐りによって野火に囲まれた際に、腰の刀を抜いて草を刈り払って野火から逃れることができたという草薙剣の話が初見ではないだろうか?
 時代は下がるが、宝亀十一年(七八〇)陸奥国府多賀城が反乱放火によって焼け落ちるという事件があった。承平四年(九三四)には陸奥国分寺の七重塔が落雷によって焼失し、また文治五年(一一八九)源頼朝は奥州藤原氏を攻め、黄金仏教文化の平泉は炎の中に崩れていくのであるが、これらの火災に何らかの消火の手立てがとられたのであろうか。それとも放心のまま三日三晩くすぶり続けたのであろうか。
 しかし、いずれの火災にも消火をしたという記述はされていない。
 慶安三年(一六五〇)江戸幕府が二組の「火消役」を置いたのが、日本での消防組織のはじまりといわれている。
 火を消す目的で離れた所へ、そして高い所へと水を放水するいわゆる消防ポンプの原形が我が国において初見されるのは享保年間(一七一六〜)である。オランダから伝わったらしく、龍が水を吐くように見えることから「龍土水」と呼ばれた。
 日本ではこれをヒントに万龍水・龍起水・鮮龍水・双龍水・雲龍水などがつくられたが、明和元年(一七六四)江戸町火消の十三組に「龍土水」が一基ずつ官給されている。
 明治三年(一八七〇)にイギリスから蒸気卿筒(ポンプ)が輸入されたが、道路が狭くて活動が思うようにできないことや操作が複雑なために使いこなせず、明治十七年国産の腕用ポンプが量産されるようになるまで、この「龍土水」が活躍していたようである。
「消防ポンプ車」が日本ではじめて採用されたのは明治四十四年にドイツ製のものを大阪府が一万円で輸入している。そして、大正から昭和初期にかけてはイギリス・ドイツ・アメリカなどの輸入ポンプ車が活躍し、昭和十四年に国産の消防ポンプ車が普及しはじめるのである。
 昭和三十年代になると高度経済成長にともなって市街化が進んでライフライン等も充実し、昭和後期から平成の時代にはいると高層建築の増加が著しくなって、消防車両も化学車やはしご車などが開発され、現在は機器のロボット化やヘリコプターによる活動へと発展してきている。時代時代の火災消火についてその一端を述べたが消防自動車の色は世界各国同一なのであろうか。
 ドイツでは赤または紫。ヨーロッパ各国はおおむね赤。アメリカは消防局によって赤・白・黄・青などと異なっているという。
 日本の消防自動車は北海道から沖縄まで同一色であるが赤い消防自動車は一台も無い。それは次によるからである。
「道路運送車両の保安基準」昭和二十六年七月二十八日・運輸省令第六十七号第四十九条2「緊急自動車の車体の塗色は、消防自動車にあっては朱色とし、その他の緊急自動車にあっては白色とする。・・・・・。」

 参考図書
古事記(岩波書店)日本書紀(講談社)新消防雑学事典(東京連合防災協会)記念碑(南宮区)多賀城と古代東北(宮城県文化財保護協会)道路運送車両法 他


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