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財団法人 古都大宰府保存協会
星原 めぐみ
古都大宰府保存協会では毎年古代体験講座を開催しています。年によって内容は少し違いがあり、今年度は6月に古代米の田植えを行い、7月にはにわ(馬)を作って、一度乾燥させてから別の日に火おこし・石蒸し料理、10月には6月に植えた古代米の稲刈り、そして12月に収穫したお米を使って餅つきの計5回の講座となっております。
今現在、田植えとはにわ作りまで終了しています。いしぶみが発行される頃には、火おこしと石蒸し料理まで終了しているのではないかと思います。
田植えでは、古代米(赤米・黒米)を植えました。時期的にも梅雨でしたし、連日雨が続いていたので天気の心配をしていたのですが、当日は晴天とは言えないまでも雨が降らなかったので安心しました。また、参加者が少なく時間がかかるのでは・・と危惧していたのですが、参加してくれた子供さん達がみな真面目に一生懸命に作業してくれたので、あっという間に作業を終えることができました。
赤米が色づき始めるのが今から楽しみです。9月頃に当協会のホームページに写真を載せますので、機会がありましたらご覧下さい。
はにわ作りでは馬をテーマに作品作りを行いました。講師の先生がおっしゃるには九州国立博物館の夏の特別展のテーマが馬だったので、このテーマにしたとのことです。
しかし、このはにわの馬が大変難しく、足・胴体・顔の各パーツを作りそれをくっつけていくのですが、それぞれのバランスを取るのが難しく皆さん苦戦されていました。胴体が重過ぎると足が潰れて短くなっていきますし、顔が重過ぎると俯いてしまいます。それでも休憩時間も休まずに作業したこともあり、個性的な可愛い馬が出来上がっていました。
普段の生活では体験できないことを体験してみることで、何か興味を持つきっかけになるよう今後も講座を続けていきたいと思っています。
砂押(川)や龍ケ崎・桜木などの地名
宮城県地名研究会 会長 太宰 幸子
地名とは不思議なもので、一番身近なものであるはずなのに、普段はほとんど意識されないまま使用されているのが現状である。だから平然と改称されたり消されたりするのかもしれない。多賀城市内の地名もご多分にもれず、○○一丁目や二丁目などと変更されたり、行政施設のある付近を中央○丁目などと表記されている。
しかしそれでは、地名に込めて伝えられた本来の意味は全然通じなくなる。多賀城市内は、利府町などと比べると、標高が低いことから水害などを伝える災害地名と呼ばれるものが多くある。例えばタイトルに使用した砂押(川)や竜ケ崎・桜木などである。
砂押川は、市内を縦断するように流れているが、砂押の地名は、ざっと数えてみただけでも宮城県内では十四ケ所以上ある。洪水常習地帯であり、ほとんどが川に沿った地である。これは、川が運んでくる土砂やその土砂が堆積した地を意味している。当然それは、集中豪雨や台風などの大水が上流から運んで来たもので、それは近年の川の働きだけではなく、とても長い時間を要して何度ももたらされている。
現在の川のあり方を見ると、人的な力でもって流れを抑制し、一つの川道となっている。押し籠められて流れていると言っても過言ではない。しかし、川は本来自由自在に、土地のやわらかい所を選んで流れていた。大水や洪水の力によって、川の流れが突然変更されたりすると、それまで流れていた川は古川となってとり残されてしまう。古川の地名があちこちに見られるのはそのためである。
砂押と似たような地名に、押込や押切などがある。いずれも洪水などにより堤防が切れたり、大水が押し寄せて来た所を意味している。これらの地は、昭和23年のアイオン台風を機に、上流にダムが設置されたりして被害が少なくなっている。しかし、川道が一本になると、大量の出水の際などは、その勢いを抑えきれなくなり、それまでの水の流れが低地に到達する時間が早くなるので要注意であることは変わらない。
龍ケ崎や桜木もその砂押川に沿った地に位置している。龍ケ崎は現在の中央2丁目と変更されており、仙石線の多賀城駅を含む一帯だった。古くから、龍は水の神にも祀られる架空の動物。その龍がのたうちまわりながら暴れるように、砂押川が溢水氾濫をして住民を悩ませた。その様子が地名となっている。
砂押川そのものも暴れ川で、下流の桜木一帯も、たびたび洪水に悩まされてきたという。
桜木のサは接頭語であり、クラはクレ・クル(崩れる・えぐられる)の転訛したもの。自然崩落地や土砂崩れなどがあったりした地に多く残っている。
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