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いしぶみ43号(1)

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博物館の展示から(十九)

              『多賀城鹸政庁の軒瓦』
  
                       東北歴史博物館 元館長 進藤 秋輝

「三代実録」貞観十一(八六九)年五月廿六日条には陸奥国を襲った大地震について詳述している。夜半に起きたこの地震で、多賀城内の建物、倉庫、門、築地、櫓などの諸施設が倒壊し、城下の町並みを襲った津波による溺死者は千人を超えるものであったという。
現在の地震学者は千年に一度あるかないかの未曾有の大地震で、地震の規模はマグニチュード八・四以上であったろうと推定している。
律令政府は復興担当の「陸奥国修理府」を臨時に設置して、陸奥国府及び諸寺の復旧に当たることになる。「修理府」によって復興された政庁が「鹸政庁」であり、大規模な建物の建替えと屋根を葺く瓦の生産が行われた。
 瓦についてみると、被災した建物の屋根に葺かれていた瓦のうち、使用可能な瓦は再利用されたが、不足分については新たに生産することになった。新たに生産された政庁の軒瓦と同文様の軒瓦が多賀城付属寺院の観音寺・陸奥国分寺、国分尼寺、燕沢廃寺などからも出土することから、震災が陸奥国の広範囲に及んだことが証明されるのである。
 さて、「陸奥国修理府」の設置日時についての記録はないが、震災の翌年にあたる貞観十二(八七〇)年九月十五日条にその存在が確かめられる。内容は「大宰府管内で貢ぎの綿を盗んだ科で新羅人廿人を諸国に配置遣わした」ことを記したものである。配置先は武蔵国に五人、上総国に五人、陸奥国に「潤清,、果才、甘参、長焉、才長、真平、長清、大存、倍陳、蓮哀」の十人であり、これに続く記事には、潤清、長焉、真平らは造瓦の才能が長じていたため、身柄を陸奥国修理府に預けて、官費を支給して造瓦の伝習にあたらせたことを記している。『陸奥国修理府』が設置され、復興活動をしていたことを知る唯一の史料である。恐らく震災からあまり間を置かずに設置されたものと推定される。
 鹸政庁の震災復興に伴って、新たに生産された軒瓦の組合わせには大きくみて次の二つがある。
 第一は細弁蓮華文軒丸瓦(三一〇B)と均整唐草文軒平瓦(七二一B)の組合わせであり、第二は宝相花文軒丸瓦(四二〇、四二二、四二三、四二五)と連珠文軒平瓦(八三〇・八三一)との組合わせである。
 第一の組合わせは、前代の第郡(七八〇年の伊治公呰麻呂の乱で焼失した政庁を復興)の建物に葺くために製作した范(三一〇Aと七二一A)を、軒丸瓦の范はそのままで、軒平瓦では范の側端部を削り取るなどの補修を加えて再利用したものである。約九〇年間ほどの保管の間に范面が風化したらしく、この期の瓦当文様は第郡のそれに比べて、かなり不鮮明になっている。
 第二の組合わせは震災復興用に新たに製作された范によるものである。軒丸瓦に採用された宝相花文が新羅系の文様であることから、陸奥国修理府で造瓦を指導した潤清らの新羅工人との関連が古くから指摘されていた(工藤雅樹説)。大宰府政庁や安楽寺(大宰府天満宮の前身)からは、多賀城の組合わせの元と考えられる文様構成の軒丸瓦が多数発見されている。
 第一の細弁蓮華文軒丸瓦と均整唐草文軒平瓦は仙台市東北部の「台の原丘陵西部」(与兵衛沼新堤窯跡・安養寺中窯跡・五本松窯跡・堤町一本杉窯跡など)と利府町春日大沢窯跡群で生産されている。これに対して、第二の宝相花文軒丸瓦と連珠文軒平瓦は台の原丘陵西部」での生産に限られている。特に、昭和十一年の内藤政恒氏による春日大沢窯跡群の発掘は東北初の調査として注目されるものであった。
 瓦窯の構造は半地下式窖窯が主体であるが、与兵衛沼新堤地区東斜面では「半地下式ロストル平窯」が2其発見されている。方形をなす焼成部の規模は1号窯が幅二・二メートル、奥行一・二メートルほどで、床面には六条のロストル(火回りを良くするための畝状の施設)と通焔孔を設置したものである。平窯の規模と形態は、摂津岸部瓦窯や山城西賀茂瓦窯の平安宮用専用瓦窯に酷似する。陸奥国の震災復興には、遠く大宰府ばかりでなく当時の都・平安宮からも最新の技術を携えた技術者が派遣されていたのである。



多賀城跡の思い出(一七)
  
          『多賀城市制記念展示会と史跡勉強会など』
      
                       初代東北歴史博物館館長 岡田 茂弘  
 1971(昭和四六)年は、多賀城町にとって大きな年でした。それは人口が急増して周辺町村と合併せずに単独で多賀城市に昇格したからです。多賀城市の前身は、1889(明治二二)年に13の江戸時代からの自然村が合併した際に古代の「陸奥国府多賀城」の名に因んで「多賀城村」と名付けたことに始まり、太平洋戦争後の1951(昭和二六)年7月1日に多賀城町に昇格しました。その後も海軍工廠跡地での工業団地や、周辺での仙台港・仙台火力発電所の建設などによって、人口が急増し、1971年には人口4万人を超えて同年11月1日に多賀城市制が施行されました。
 多賀城市では、秋に咲く「山茶花」を市木に制定することや「新多賀城音頭」の歌詞公募や作曲などの数々の記念行事が行なわれましたが、多賀城市は「史跡のまち」・「近代工業のまち」・「緑のある住みよいまち」の三本柱を掲げているだけに、多賀城跡に因む行事等がなされました。まず、記念式典の記念品に「多賀城碑」拓本を縮尺印刷した掛け軸が配布され、記念式典当日から一週間、多賀城市役所で多賀城跡や多賀城廃寺跡などから出土した遺物を展示するとともに、大場源七初代市長の発案で多賀城市役所の産業観光課が主催して、市役所職員を対象とした「多賀城市史跡勉強会」が行なわれました。市制施行記念展示会は、まだ東北歴史資料館が建設されていなかった当時には多賀城市民に多賀城跡発掘調査の成果を説明する絶好の機会なので、宮多研の職員が出土資料を運んで展示飾付けして解説に協力すると共に、史跡勉強会でも宮多研職員が講師を務め、発掘現場の見学講習を含めて10回以上行なわれました。この年度も多賀城跡の地元、市川公民館での史跡学級は継続していましたから、多賀城市内の二ヶ所で史跡講座が開催されていたことになります。
 1970年秋の「宮城県考古展」の際、視察に来られた山本壮一郎宮城県知事に「宮城県民は常設の歴史博物館施設を求めている」と私が進言したことは、『いしぶみ』38号に書きましたが、当時私は「新奥の細道」構想なるものを夢想し、宮城県教育委員会(以下「県教委」)や宮城県庁の人々をつかまえては、構想を吹き込んでいました。その構想とは、近世伊達氏の城下町仙台を基点に、東に行くと七北田川を渡って岩切に至るが岩切には中世留守氏の拠点で国史跡の岩切城跡がある。さらに東へ松尾芭蕉の云う「おくのほそ道」を通って多賀城跡に到り、塩釜港から松島湾に出れば縄文時代の貝塚群が展開する。さらに東の石巻までが芭蕉の歩いた順路であり、この間を「新奥の細道」と名付けて歴史の道として整備しようというものでしたが、その中間地点の多賀城跡隣接地に「新奥の細道」のビジターセンターを兼ねた東北歴史資料館の建設を求めるものでした。当時作成されていた仙台市東部の都市計画図では、多賀城跡の南に接して大型の東西道路、その東をかすめて南北道路が通じるように計画されていましたから、その交点付近に東北歴史資料館を建設すれば、交通の便が良くなると考えました。もっとも、それから四〇年以上経過した現在まで、この二本の都市計画道路は遂に開通していませんが。
 1972年は宮城県が誕生した明治五年から百年に当たるため、宮城県庁では前年の七一年度から各種の記念行事が計画されており、「青年の船」や「県民の森」などの記念事業の中に「東北歴史資料館」建設も採択され、昭和四九(1974)年度完成ととされました。夢がにわかに現実味を帯びたわけで、完成後に収蔵・展示すべき資料の調査委員に歴史・民俗専門の高等学校教員等とともに宮多研の工藤雅樹・西脇俊郎技師と私が任命されました。宮城県の計画では、東北歴史資料館を県単独ではなく、文化庁の補助事業として建設しようとするものでした。文化庁では、福岡県太宰府市に福岡県が建設する九州歴史資料館を第一号として地方ブロック毎に一館ずつ中規模の歴史博物館施設を建設して、近い将来建設される国立歴史民俗博物館とリンクさせようと考えていました。しかし、文化庁では社会教育機関の博物館には建設補助できないため、文化財の収蔵・活用施設と位置付けており、収蔵する文化財のリストアップが求められたのでした。考古資料については、多賀城跡や県教委が実施している緊急発掘調査で大量に出土しているので、むしろ古文書や民俗資料で収蔵できる物のリストアップを行ないました。一方、施設計画については、設計図を描く能力は無いもののどのような施設設備が必要かについては予測できるため、宮多研は頼まれぬ助っ人として県教委の計画立案に協力しました。東北歴史資料館が完成した暁には、宮多研は当然施設内に入ることが予想されましたので、建築設計者の言いなりになって使い難い施設を宛がわれるよりも少しでも意見を反映した施設にしたいという気持ちからでした。

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