|
「靺鞨国とは?」 多賀城市 熊谷 敏晴
靺鞨国は多賀城碑に「去靺鞨國界三千里」として登場する。8世紀頃の中国及び朝鮮の古代史と民族史に精通していないと靺鞨国が何処にあるかさえ疑問だろう。
多賀城碑が建立されたのは762年。7,8世紀頃の靺鞨国は、外満州を含む領域を靺鞨民族が統合し、698年、後の渤海国を建国する。開祖は粟末靺鞨出身の大祚栄。渤海国を構成する民族は、靺鞨人を中核とし、個性の強い高句麗人、漢、契丹、突厥などの混成である。
韓国ドラマ「大祚栄」を私も観たが、フィクションとの断り書きがなかった。史実通りのドラマであることになる。ドラマでは大祚栄が高句麗の再興を願望していた。その流れから渤海国は、独立国であり朝鮮民族の国と主張している。ところが現中国政府から「張冠李戴」と批判された。唐側にとって渤海国を独立国として認めた訳ではなく、唐の属国とした。実際に大祚栄が唐に与えられた称号は渤海郡王であり、官職も受けている。この頃より大祚栄は、靺鞨の号を使わず専ら渤海と称したことでも、屈辱的な現実を理解できる。唐を長年苦しめた中心的な靺鞨国は、唐側にとり渤海国の蔑称ともなっていた。
靺鞨国は16もの部族の統合体だが粟末部と黒水部が中心である。ちなみに粟末部とは粟末江傍の森に住む部族という意味である。粟末部と高句麗遺民が中心となって渤海国が建国されても、北部の黒水靺鞨国は組しなかった。部族の尊厳と威信があったのだろう。粟末部や黒水部は後に女真族(満州族=ツングース系民族の勿吉=森の意)となり、唐滅亡後の金王朝や最後の清王朝(祖先は黒水靺鞨)などを建国する重要な役割を果たすことになる。
靺鞨の歴史をたぐると、大国・中国に多大な影響を与えていたことが理解できるが、中国側が考える渤海などを含む東北部や朝鮮は、中国の属国であるとしか考えられていなかった。960年からの宋時代になるとさらに明確となる。宋以降の中国史においては、高句麗、渤海、百済、新羅、扶余、靺鞨、突厥、契丹などの名前は抹殺されている。
多賀城碑になぜ靺鞨国の名が刻まれているのか。渤海国は日本と720年から約80年間外交関係があった。唐や新羅と外交的に対立する中、軍事的に牽制することでの外交と考えられる。渤海国の核心は靺鞨国であることの外交事情に精通した大和の官僚によるものであろう。靺鞨国に敬意を表している。
|