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千年ぶりの

今回の津波ついては、実は海に面した自治体のほとんどが「宮城県沖地震」を想定し、防潮堤をはじめさまざまな対策を講じてきていたにもかかわらず、未曾有の被害を出してしまいました。
想定外の言葉がここかしこから聞こえてきます。
まさに桁外れの高さの巨大津波が押し寄せました。
志津川ではチリ地震の教訓を決して忘れていたわけではありません。
ではどれだけ遡るのかというと、これだけの巨大津波はなんと平安時代以来なのです。
仙台市郊外の七郷地区でボーリングしたところ確かに砂交じりの地層が現れ、海岸からはるか離れているにもかかわらずはっきりと津波の痕跡を見ることができたそうです。年代をたどると貞観年間、今から約1200年前、多賀城下が壊滅的な被害を受けた記録があります。

古代においても三陸沖の巨大地震の記録が見られる。
『日本三代実録』貞観11年5月26日条に次のように書かれているので抜粋しよう。
「陸奥国、地大にふり動き流光昼の如く隠映す。しばらくして人民叫呼び、伏して起つ能はず。或は屋たおれて圧死し、或は地裂けて埋もれたおる。馬牛はおどろき奔り、或は相昇り踏む。城郭倉庫、門櫓、障壁(ショウヘキ‥土塀)のくずれ落ち、顛覆するものその数を知らず。海口は哮孔し、声は雷霆(ライテイ:強い雷)に似、驚涛は涌潮(ヨウチョウ水が多く盛んな様)し、泝回(ソカイ:流れを遡る)膨張して、忽ちに城下に至り、海を去ること数十百里、浩々としてその涯し(ガイシー;陸地と水の接する所)をわきまへず、原野道路すべて滄溟(ソウメイ:海)となり、船に乗るにいとまあらず、山に登るも及び難く、溺死する者千ばかり、資産苗稼(ビョウカ‥稲の苗)、殆ど子遺(ケツイ‥わずかの残り)なし」
グレゴリオ暦で869年7月13日、多賀城に大きな被害があったことを記す資料である。城郭、倉庫、門櫓、築地などが崩れ落ち倒潰するもの無数、津波が城下に押し寄せ溺死者約一千人ということからマグ二チュード8・3津波の高さは30メートル以上の大地震があったことが推測されている。(「いしぶみ」より)

末の松山波こさじとは・・都人の歌の世界にとどまらない現実を示していたことを45号線をたどりながらしみじみと感じました。

なこその関

今回は断定的に言ってしまいます。
勿来の関は利府の森郷にあった。いわきの勿来の関は歌枕のなこその関ではありません。

・源義家朝臣:ふくかせを なこそのせきと おもへとも みちもせにちる やまさくらかな(千載和歌集)

・西行法師:あつまちや しのふのさとに やすらひて なこそのせきを こえそわつらふ(新勅撰和歌集)

・慈円:みちのくや はるまつしまの うはかすみ しはしなこその せきちにそみる(夫木和歌抄)

なこその関を歌枕にたくさんの和歌がありますが実際に陸奥に足を踏み入れた義家と西行の歌を重視してみてみると、義家は後三年の役に勝利し国府多賀城に戻るわけです。いわきの勿来をなぜ通らなければならないのでしょうか?
ここは多賀国府の北の要、勿来の関での印象や心情がうたわれています。

西行は2度みちのくに来ていますが、最初は能因の足跡をたどり、2度目は平泉の秀衡に会いに。いずれも白河の関を越えています。もしもなこその関がいわきにあるならば、みちのく入りする場合、ほぼ同緯度にある両関の二者択一になりますから、いわきの勿来の関を通ればよいことになります。
また、歌にもあるように福島の信夫で休んでからいよいよなこその関だといっているのですからわざわざ、南に逆戻りするのも不自然です。


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