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この頃になるとジオンのプロパガンダ放送も、最初の頃の目新しさなどなくなっていた。決まった時間に流れていたこともあって、「プロパガンダ」というよりも「時報」みたいな感じだった。しかし、今日の放送はこれまでのものとは決定的に違っていた。いつもは「強いジオン軍」「スペースノイドの独立」などを時代がかった音楽とセリフが流れるのだが−−放送が流れ始めた頃は、本当にジオンが地球圏を手中に収めるほどの力を持っていると思っていたが、この頃はもうコメディとして見るようになっていたが――、今回はなんとジオン本国からの実況だったのだ。その異様な雰囲気に道を行く人たちも足を止めて、街頭のモニターを食い入るように見つめていた。
壇上にはガルマ・ザビの大きなパネルが置かれ、その前でギレン・ザビがこぶしを振り上げ、演説を行なっていた。どうやらガルマ・ザビの葬儀を放送しているらしい。しかし、これを見ている人々、そして広場に集まった群衆はガルマの葬儀よりもギレンの演説に耳を傾けていた。自説を根底にしたギレンの演説は「選ばれたスペースノイドによる統治」といったいつものジオンのプロパガンダ放送と同じような内容だった。だが、ギレンの演説は人を引き付ける何かがあるらしく、いつもなら足早に通り過ぎてしまうはずが、足を止めて聞き入ってしまうのだ。
自身の弟の死すら戦意高揚に使おうとするギレンに、嫌悪感を抱かないでもなかった。しかし、それ以上にギレンの手法を無意識のうちに受け入れ、団結を強める群集――「ジーク・ジオン」を連呼する彼らはギレンの何に共感を得ているのだろうか?――の姿に私は驚きと恐怖を感じていたのである。
<ジャーナリスト:スィーダ・T・ダーバヴィル、あるジャーナル誌にあてたコラムより抜粋>
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