雑記帖

我現在在新竹在台湾

昭和の鉄道アーカイブ

[ リスト | 詳細 ]

昭和47年頃から61年に民営化されるまでの昭和の国鉄にスポットを当てて、所蔵するネガから
当時の記憶を辿りながら思いつくままに旅行記や想い出を書いていきたいと思います。
資料があるものは、できるだけ参照しますが旧いので間違い等があるかもしれません。
情報の誤りに気づきましたら、遠慮なくご指摘いただければ幸いです。
記事検索
検索

全13ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

昭和48年夏 東急東横線駅で急行運用につくデハ7000系
 
アメリカ滞在中ですが、仕込んだネガから昭和の鉄道アーカイブの更新です。
今日は、つい先日地下に潜り、地上での営業に幕を下ろした東横線渋谷駅を記念して
40年前の東急東横線を紹介します。
 
昭和48年夏 東急東横線元住吉駅 デハ7000系
 
こちらは同じ7000系の各停運用。
地下鉄日比谷線は日吉まで乗り入れていたので、
こちらも日比谷線への乗り入れの車両だと思います。
 
東急車輛7000系は日本初のステンレス車輌。
パイオニアⅢという当時の国鉄にはないユニーク台車を履いています。
表に見えるディスクブレーキが特徴。
 
昭和48年夏 東急東横線元住吉駅 デハ5000系
 
こちらは青ガエルごと5000系。
逆光の後追いで、鮮明ではありませんが、
東急5000系の写真はこれしか残っていませんでした。
 
 
昭和48年夏 東急東横線元住吉駅を通過する急行桜木町行き
 
元住吉には母方の祖母と叔父の家族がいて、
小学校の高学年から中学校まで、春、夏、冬の休みのたびに遊びにいっていました。
そんなある夏の日からのスナップです。
 
昭和48年夏 東急東横線元住吉駅 急行渋谷行き
 
こちらは、渋谷行きの急行です。
日吉と武蔵小杉の急行停車駅に挟まれている為か、元住吉には急行が止まりませんが、車庫があるため朝夕の入出区に伴って、何本かの急行が始発、終着となっていました。
 
昭和48年夏 東急東横線 デハ8000系 桜木町行き各停
 
デハ8000系の各停運用ですが、場所は何処でしょう。中目黒かな。
ネガの前後にも判断できるもの写っていないので自信がありません。
 
浦和から元住吉へは、池袋、渋谷と経由して行くか、上野まで出て日比谷線で行くかのどちらかを使っていました。当時から鉄道少年だったクマは、わざわざ上野から銀座線で渋谷まで出て東横線に乗ったり、
当時はまだ下駄電と呼ばれる72系が健在だった南武線で川崎から武蔵小杉に出たり、
武蔵野線の府中本町から武蔵小杉など、手を変え品を変えた遠回りルートを取っていたものです。
そんな元住吉通いでしたが、その後、祖母と叔父一家は浦安に移り、元住吉とは疎遠になりました。
その後、祖母も長寿を全うして、東横線と一緒に思い出になっています。
 
 
写真は全てフォト蔵に作成した拙アルバムからのリンクです。
ネガに細かい埃があり、解像度も悪くて見苦しいですが、
原画サイズはこちらからご覧いただけます
(怪しいサイトではありません。健全なサイトです)
 
ランキングに参加しています。
 応援してください→  にほんブログ村 鉄道写真
 
 こっちも(相互リンク)
 

開く コメント(2)

 
 昭和50年のネガから単発です。ネガを整理していると、何故これだけを撮ったのか判らないようなハグレコマが見つかります。回6402レ 上野6:22着 EF57が[おが2号]を尾久へ推進運転で引き上げでているところです。スハフの後ろにAネ、Bネが続いているところから特定できました。この日は、高校の修学旅行に参加する為に、朝、自宅のある浦和駅を出て、東京駅の集合場所へ向かう途中だったと思いますが、何故、このとき、この駅で降りて、この写真だけを撮ったのか今となっては謎です。
 
 タイトルのリンクは、この写真の投稿先のオリジナルへのリンクです。
 実は、今日はある報告(宣伝)を兼ねて、この写真をアップしました。報告というのは、Yahoo Blogを利用している皆さんは既にご承知だと思いますが、投稿できる写真が1記事当り2Mbyte、総容量2GBという制限があります。写真を中心としたBlogである以上、大きいサイズや、解像度を落とさない写真をアップしたいのですが、どうしても容量が大きくなっていまいます。クマは、組み写真が多いので1記事当りの写真枚数が多く、今まではヨコ
600〜800にリサイズした後で、さらに解像度を落とす編集をしてきました。手間もかかるし、第一に画質写真がおちてしまい不満がつのっていました。最近になって、風景はGoogle Erathに掲載してもらえるか否かの審査をしてもらう為に写真をアップロードするサイトPanoramioへのリンク、航空関係は、航空写真投稿サイトFly Teamに投稿した写真へのリンクで画像サイズと解像度を確保しながら、ファイル容量の消費を抑えてきましたが、鉄道関係の写真のリンク先が決まっていませんでした。
 最近になって、以前メンバ登録していた、写真共有サイト フォト蔵 に、Blog リンク用のアルバムを作りました。手始めに昭和の鉄道アーカイブというアルバムを作ってみました。今までBlogにアップ済みのものは再アップするつもりは今のところありませんが、今後は鉄道関係の写真は基本的に一旦こちらにアップロードして、、記事に使う写真はそこへリンクする形にしようと思います。まだ、アップロードを始めたばかりで枚数は少ないですが、もし良かったら覗いてみてください。
 
フォト蔵に作成したクマのアルバムへリンク(怪しいサイトではありません。健全なサイトです)
 
ランキングに参加しています。
 応援してください→  にほんブログ村 鉄道写真
 
 こっちも(相互リンク)↓
 鉄道コム

開く コメント(2)

 
 
昭和49年8月 京浜東北線を走る北行クモニ13単行荷物電車 川口〜赤羽 荒川鉄橋
 
 
 
上のカットの後追い
 
 昭和49年当時、京浜東北線はまだATC化されていません。そして沿線各駅では手荷物の扱いも。
そういうわけで、運転時刻は知りませんでしたが、このような荷物専用電車が京浜東北線上を走るのをときどき目にしていました。
 
 出張先から、またまた昭和49年のネガから仕込んだ単発もののアップです。
 自宅にいるときにスキャンで仕込んだネタが、そろそろ尽きてしまいますが…
 
※今回の写真は、写真共用サイトフォト蔵の拙アルバム、昭和の鉄道アーカイブからリンクしてみました。
  スキャンした画像の70%程度のサイズでアップロードできるので、Yahoo Blogの投稿可能ファイルサイズを
  節約できます。うまくリンクできているか判りませんので、もし画像が上手く表示されない場合は、状況を襲え  てください。この方法が使えるかどうか判断したいです。
ランキングに参加しています。
 応援してください→  にほんブログ村 鉄道写真
 
 こっちも(相互リンク)↓
 鉄道コム

開く コメント(3)

イメージ 1
昭和49年某月某日 8032M 上り季節特急【白根1号】 東北本線 浦和〜北浦和
 
昭和49年のネガから。前記事の南浦和に続いて、今度はホームグランドの浦和〜北浦和間です。
1本のネガから10枚ほどをアップします。
 
まずは最近185系【そよかぜ】号で話題を集めた157系の【白根】号です。
折角の157系ですが、車体に大きく労働闘争の落書きがあって残念。
 
 撮影月日が特定できませんが、車体の闘争落書きと、【白根1号】が休日運転であった可能性が高いことから(手持ちの時刻表昭和49年7月号には、8月11日〜9月29日の休日運転と記載)、高校に通いだした4月上旬から梅雨の盛りである6月辺りまでの間の日曜日ではないかと推測します。ちなみに、昭和49年の春闘賃上げ率は32.9%だったのだとか。オイルショック前のイケイケドンドンという感じですね。
 
イメージ 2
上り【白根1号】 後追い
 
大宮到着が12:01なので、ここは12:10頃の通過だったはず。
こうして、記録のないネガの撮影時期、時間を絞り込んでいきます。
  
イメージ 4
下り1011M 【ひばり6号】 仙台行き (後追い)
 
103系の京浜東北線と併走。所謂被りというやつですがご愛嬌です。
上の、【白根1号】のすぐ次のコマなので、大宮12:22発の【ひばり6号】と特定できました。
【白根1号】の数分後に来たはずです。
 
イメージ 5
724M 長岡発上野行き クモニ83を先頭に115系による運転
 
大宮11時57分。冒頭の【白根1号】に先着して上野到着が7分後であることから大宮で道を譲っています。
 
 
イメージ 6
EF65 の牽く 20系上り寝台特急 1004レ 【あけぼの2号】
 
日付が変わって、上の写真とは別の日の朝です。
 
イメージ 7
朝日を浴びて電車線区間をラストスパート
 
1002レ 秋田発 上り1号(大宮6:20)上野寄りにナロネ2両が連結されているはずですが、
この写真には1両しか写っていないので、7分後に続く青森発上り2号1004レと断定しました。
 
 
イメージ 8
最後尾はナハネフ23
 
原画サイズではかろうじて左が[あけぼの]、右が[AKEBONO] と読めますが…
ナハネフ22の【あけぼの】が、案外写真に残っていなかったりします。
撮っているようで撮ってないんですな。
 
イメージ 9
下り 21M 【はつかり1号】青森行き 583系
 
愛称の文字がはっきりせず、架線の影もうるさいですが、
筆者としては数少ない【はつかり】の走行写真になります。
 
 
この場所は今、国道463号線が線路を跨ぐ陸橋になっているところです。
当時住んでいた自宅から自転車で10分くらいだった為、
ここへはときどきフラッと思いついたように撮りに来ていました。
 
この場所で撮影した写真をアップした過去記事を紹介しておきます。
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 10
485系 下り特急【ひばり2号】1003M 仙台行き 東北本線 北浦和駅(京浜線ホームから)
 
【はつかり1号】の次のコマになります。
 
 多分、前のコマと同じ日だと思うのですが、【はつかり1号】の大宮発車が7:53に対して、この【ひばり1号】の大宮発車は8:24なので約30分足らずの間に北浦和駅まで移動して、自転車を何処かに預けて改札に入り、この場所に立ったはずですが、全く覚えていません。
 
イメージ 11
181系 下りディーゼル特急【つばさ1号】1D 秋田行き
 
上野を【ひばり2号】の4分後を追撃!
 
実を言うと、この写真を撮った場所、最近まで判らなかったのですが、京浜東北線の駅で
大宮方が右にカーブしているのは、この駅しかないのですね
そして、左に見える朝日無線は今のLaox。
跨線橋は現在地下道になっていることが、Google Earthで確認でき、北浦和駅と断定できた次第。
一人『ここ何処だ』をやってますが、問題に出しても良かったかな。
でも、上野口のご同好諸兄には簡単すぎるかなと思って、問題にするのはやめました。
 
イメージ 3
金沢運転所485系 下り特急【はくたか】3001M 金沢行き
 
下り【つばさ1号】と【はくたか】は、本数が少なくて時間が接近しているので
上野〜大宮間の走行シーンは、セットで撮っていました。
 
もうお気づきと思いますが、朝の下り走行シーンが後追いばかりなのは、向かいが逆光だからです。
 
ランキングに参加しています。
 応援してください→  にほんブログ村 鉄道写真
 
 こっちも(相互リンク)↓
 鉄道コム

開く コメント(0)

イメージ 1
EF15 36号機が牽く下りタンカー列車 昭和49年8月某日 東北本線南浦和駅付近
 
昭和49年から、整理したネガのスキャン写真のアップが続きます。
二つ前の記事、昭和49年夏 東北本線赤羽駅寸描 でアップしたネガの続きのコマです。
時間帯が前後しているので、撮影した日は違います。
 
イメージ 2
EF15 44号機の牽く上り貨物列車
 
 高校1年の夏休み。自宅が浦和だったので、ぶらりと自転車を駆って来たのだと思います。
浦和〜北浦和間がホームグランドなので、この場所で撮るのは多分、このときが初めて。
小・中学校の頃は特急列車ばかり撮っていましたが、高校生になると貨物列車等にもちゃんと目を向けるようになっていました。少し大人になったかな。
 
 
イメージ 3
485系初期車で運転されていた、上り特急【あいづ】
 
上野寄り先頭車はクロ481。狭い窓が並んでいるのが特徴です。【やまばと】運用の為に、奥羽線板谷峠をM:T比2:1以上確保することと、磐越西線内有効長の関係で、編成を9両に抑えながら、グリーン車と食堂車を連結することを目的として、先頭をグリーン車にすることでT車の数を減らして電動車の比率を確保(6M3T)でき、目的を達成できました。以後、【ひばり】の大所帯化に伴って、東北特急の顔として君臨しました。
 
イメージ 4
上り【あいづ】(後追い)
 
 後ろから4両目に食堂車が見えます。短い9両編成でも、グリーン車、食堂車が連結されて特急の貫禄を現していました。ちなみに、【あいづ】は一往復しかないので、このときの撮影時刻は14:00頃であると絞れます。
 
イメージ 5
クモニ83からなる荷物専用電車
 
 昭和49年当時、まだ、大和運輸による宅配便サービスは始まっておらず、小口荷物配達といえば郵便局か鉄道小荷物のいずれかに頼るしかありませんでした。その為、全国津々浦々にまで小荷物を扱う車両が運転されていました。
 
 
イメージ 6
下り12系臨急(東大宮回送?)
 
 上り【あいづ】と、次のコマの2322レの間に、ここを通過する臨時急行の設定はなく、多分、上り終着列車の東大宮への回送ではないかと思われます。
 
イメージ 7
高崎線 快速2322列車上野行き
 
拙ブログでは度々登場する、高崎線からの昼の客レです。
多分、この日の撮り鉄の本命だったと思います。
後方に高崎で増結した車両がつきますが,前の車両は長野からの直通。
横軽を超える為に、オハ35、46などのできるだけ軽い客車で編成が組まれる信越線の客車列車。
昭和49年では軽量客車のナハ10系の姿も見られました。
 
イメージ 8
会津若松行き下り特急【あいづ】
 
先ほど上っていった編成とは違います。
485系初期車9連。昭和49年当時の所属は仙台運転所でした。
昭和47年10月の羽越線電化にともなう【いなほ】の電車化に伴い、
常磐線内の特急【ひたち】も485系化。一部は仙台まで延びて車両の入出区の任を担っていました。
そのうち9連のものが、【あいづ】の送り込み用に入出区を兼ねていたものと思われます。
 
イメージ 9
EF57の牽く上り旧客臨時急行 8402レ
 
 14:18頃だと思います。当時の時刻表によれば 7/27-8/5、10-15に [しらかわ51号]、6-9に[まつしま51号]、16-20[にはばんだい51号・みはる]が運転夏休み中ほぼ毎日の運転されていました。そのどれかだと思います。
 
 
イメージ 10
EF15 89 の牽く下り貨物列車
 
EF15の貨物列車は、当時かなりの本数が設定されていた記憶があります。
 
ランキングに参加しています。
 応援してください→  にほんブログ村 鉄道写真
 
 こっちも(相互リンク)↓
 鉄道コム

開く コメント(1)

全13ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事