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山、海、空のすべて真っ青な”熊野”の世界。 まさしく山が海に傾れ落ちるがごとくの海岸線だけに、ダイレクトに黒潮の影響を受ける。そのため熊野は、実に豊かな自然や事物にあふれている・・・これこそ黒潮の運んでくる恵みなのか。
半島の中で東紀州は、特に黒潮の反流が逆巻くように流れ続ける。故にヒトもモノもココを循環し続ける。いつの時代でも、運命の波に押し流されずに残っている古道を苦労して越えて行く旅人の目には絶えず熊野の悠久なる景色が映るであろう。そこで出会うモノは時空の狭間に埋まっていても、けっして枯れているわけではない、むしろここが熊野である所以なのか、そのもの自体が生々しくもありありと蘇えるエネルギーを放つのを肌で感じとれるのは何故だろうと思う。 ふ〜む、マジな書き出しである。熊野の旅は、情緒があるゆえヒトを文人気質にするのか? ヒトをトリコにする景色やね!! (奈良県から一番近い海、大泊海水浴場です。) 熊野古道、松本峠。猪垣と鉄砲傷の地蔵様が有名な石畳の残る道です。とても自転車で峠越えなんて考えは起こりませんな。 昔のヒトが物資を運ぶのに、大変な思いをしてここを越えたことを偲びつつも・・・ 「木本隧道」にワープ!!です。 ずっこいと思うなかれ、ワシの土木遺産マニアの興味が昂じたのだよ。。。 なんでも今の国道42号が出来る前の旧道を偲ぶものなんだって!? 大正期最長のレンガトンネルとして貴重な土木遺産なんだって!! うおーっ、だいぶオニッてますな・・・ 一転、SFワールドに出てきたのかしらん???(鬼ヶ城の入口ですたい。) トンネルを出ると熊野の浜街道の入口。 雄大な景色に見も心も洗われるような気持ちですな・・・ ・・・このように国道を走らずに堤防の上をゆるゆる走っていくことが出来ます!!! めっちゃ有名、獅子岩だよ〜ん!! 必死こいて自転車押してたどり着きました。なるだけ那智黒石の浜の上は歩くことも困難なので通らないことにしましょう。 東洋のスフィンクスとゆわれる凛々しいお顔も正面から見たらこのとおり・・・ なんか虫食いだらけでヒドイもんですな。 風と波による自然の風化作用によって出来たオブジェでした!! そしてまた堤防の上を快適に飛ばす。 ぶ〜ん、ぶ〜んてなもんや。 ややっ、日本一古い神社の花の窟神社とな。 巨石を拝むアニミズムのスタイルは縄文の流れ・・・呪術ですな!? 由緒は、http://www.hananoiwaya.jp/ この神社、絵馬も変わっていて平べったい石に願い事を書くようになってますな。 ご神体の前で熱心に拝む女のひとあり・・・ 独特の参拝スタイルにびっくりのK2でした。 またしてもシャーッと真っ直ぐな堤防の道を走る。 寄せては、返しの熊野灘の荒波を眺めながら・・・いいリズム感だね。 堤防の裏は、防風林の森になっていて散策する道も付いています。(UVを気にするセレブなら、こっちを走ることをお薦めします。) 熊野ブルーの海である。 何もゆうことはない・・・感無量!! とにかく真っ直ぐな道!! 日がはねて眩しいね。 すがすがしい感じ!! 堤防が途切れたら、森の散歩道も走ります。いい森林浴だね!! 熊野灘に注ぐ志原川。JRの鉄橋が哀愁をそそりますなあ・・・ かつて熊野灘が荒れているとき、河口を渡ろうとした巡礼が波にさらわれて、命を落としたというので供養碑が立てられています。 またまた出てきました市木川には、大正期に作られた緑橋とゆう石積みの水門があります。なんでも町指定の有形文化財で防潮堤の役目をしているのだそう。 この辺汽水になっているので、しじみやあさりを採っているヒト見っけ!! 阿田和の道の駅の前まで来たら、25キロある浜街道も半分は経過!! チャリネタなのか、”レストランさいくる”とはコレいかに? 何故かソノおん向かいに、南の島の無人島のような公園があります。 ビバーク好適地として推薦いたします!! さらにソコは、吹き付ける海風が相当強いのでパラグライダーのええ練習になりまっさ!! 御浜町から紀宝町に、ここも道の駅のウミガメ公園があります。子ガメが見たいヒト集まれ〜ッ!! またまた堤防の上を真っ直ぐ行く。だいぶ海が傍に寄ってきた感じかな。鵜殿が見えてきたね!! ハタ、と振り返ったアングルで・・・ 真っ直ぐ来たようでもこうして見ると微妙にカーブを描いていたんだね!! しみじみしちゃうな、ホント。。。 (この辺、加持鼻王子の跡があります。) 鵜殿のパルプ工場が見えている。なかなか漬け物くさーいのであるが、地元住民は平気なのだろうか? 熊野川河口に出る!! 県境を分かつ鉄橋が見えてきました。いよいよ和歌山県の新宮にフィニッシュであります。 ここも徐福の墓がありますが、新宮はシングと読み、秦の宮と意味を表わすことだから、やはり徐福に非常に関係のある土地であったといえるでしょう。・・・推測ですが、半島のへっこんだまりに街が開けたのも徐福が新しい文化を伝えた証拠であり、それを受け継いだ人々だからこそ進取の気質が根付いてこの街が新宮と呼ばれる所以になったんだと思います。 せっかくやし・・・そやそや、銭湯でもいこか!? つづき、http://blogs.yahoo.co.jp/guns_k2/37544344.html |
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2007年11月02日
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