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おひさしぶりです。

おひさしぶりです。
ブログの更新、サボりまくってました。ごめんなさい。

えーっと、最後の更新から1年弱が経ちましたが、
去年の12月に留学していたボストンから帰国して、
今は日本でちっとも売れない作曲家として活動しています。
でも、あまりに売れないので副業のWEBマネージメントを
している時間の方がはるかに長かったりします。
http://www.raf.co.jp/85
これがその副業のサイトです。
便利な人には便利なはずなので使ってやって下さいな。
ああ、いけね。本業の方のサイトはこっちです。
http://www.raf.co.jp/D-Sea-Saw
拙い作品が聴けますので聴いてやって下さいな。

さてさて、僕は相変わらず不良クリスチャンをやっております。
もしかしたら前以上かもしれません。
だって帰って来た母教会では「ゆうべ飲み過ぎちゃって」って
礼拝の後に言っても「まったくもー」と言われるだけなんだもん。
ああ、でも土曜の晩に朝まで飲み明かしても、日曜の朝の礼拝には
這ってでも参加するというのはポリシーです。
だって、そうしなかったら「だから酒飲みは、、、」と大好きなお酒が
悪者にされてしまうからね。

日本に帰って来てから、なかなか仕事も入って来ないし、
結婚を考えていたガールフレンドにもフラれてしまうし、
「神様なんでじゃー!!」と天に拳を振り上げるようなことも今はしばしば。
「いいもん、もう聖書なんか読まないもん」といじけることも今はしばしば。
礼拝中の居眠りも今は、、、、、、あ、これは前からか。えへ。

いやしっかし、仕事とガールフレンドに関してはやっぱりね、
なかなか本気で凹みますね。本気で「神様嘘つきじゃん」とか思いますね。
でもやっぱり心の奥底ではどっかーんと信じているんだけど。
海の表面がどんなに荒れていても、海の底は静かなのと同じでね。
だからどんなに神様に拳を振り上げようと、嘘つきと呼ばわろうと、
もう信じねえぞと叫ぼうと、絶対にイエスさんは僕の心からいなくならない。

「雨、雨、風、風、吹き荒れてみろ
 そんな時こそ、俺達はまた強くなってゆく」

小学校の卒業式で担任の先生が歌ってくれた歌なんだけど、
これを心の中でイエスさんが熱唱している。

「どんなに疑おうが、どんなに不満を足れようが、
 俺はここからいなくならねえから、辛いならまぁせいぜい気の済むまで吠えてろ。」

わかりましたよ、イエスさん。
まったくあなたにはもう、ちっともかないませんよ。
じゃ、お言葉通り、安心して文句とか足れますよ。だだこねますよ。
ってか、そんなこと言うなら早いとこ、このしんどい時期を終わらせてもらえませんかね。

「そうもいかねえよ。俺には俺の計画があるからね。
   ま、安心しろ。いつかは終わる。」

はいはい、「いつか」ね、「いつか」。
別れた彼女も「いつかまた会おうね」とか言ってましたよ。
そんな「いつか」なんて来た試しがないじゃないっすか。

「まぁいいから今は試練を楽しんでおけって。任せとけ。」

まぁ、そうっすよね。同じ試練なら楽しんだ方がいいっすよね。
どうせいつか終わるんだしね。でも楽しめるなら試練じゃないじゃないですか。
楽しめないから試練なんでしょうが。

「大事なのは発想の転換だぜ。ほらほら、悲しむものは幸い、って言ったろ?」

、、、、なんかよく分からんけどなぁ、正直。。。。。ううむ。




、、、、、と、こんな感じの信仰生活を送っています。
ときどき、「イエスさん、あっかんべえ」とか言って
食前のお祈りとかを放棄して、「てめえコラ、ちゃんとやれ」と怒られてます。

小説家がいるから小説があるのであって、小説があるから小説があるのではない。
同じように、神様がいるから聖書があるのであって、聖書があるから神様があるのではない。

時として教会は神様を聖書の中に閉じ込めてしまってはいないか。
聖書は神様のほんの一部でしかない。聖書に書いてあることが神様のすべてなんだとしたら
分厚い何巻もある百科事典を書いたオッサンの方が神様よりも偉いじゃないか。
神様もイエスさんも聖霊ももっとずっと自由に動き回ってるはずだ。

一を聴いて一を知るだけでは聖書を読んだことにはならない。
一を聴いて十を知り、百を感じて千を我がものにする。それが聖書を読むということだ。
感じ、知るべきことはその文章そのものではなく、それを読んだ時に脳裏に去来する
恍惚の閃きである。それが聖霊に聞く、聖書を聞く、ということだ。

知性だけで読む聖書が聖書でないのと同じように、信仰だけで読む聖書もまた聖書ではない。
心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして読んだ時、初めて聖書は正しく
神様の威光を反映する。

聖書を記憶中枢ではなく、潜在意識に叩き込め。
覚えることに意味はない。聖書の言葉の海に脳みそをたゆたわせれば良い。
聖書から来る言葉が大事なのではない。聖書から一度潜在意識に入り込み、
何かの拍子に顕在化した言葉、これこそ最も大事にすべき言葉だ。


そうすると、一人一人の人にそれぞれ見合った語りかけをする神様が見える。
神様の戒めは必ずしも万人に共通ではない。神様はもっとずっと大きいのだ。

自分らだけが天国か?

自分の天国を望もうぜ。人の地獄を望むよりもさ。
っつーかさ、自分の天国を望むなら、人の天国も望もうぜ。

信じないと地獄に堕ちてしまいますよ!! なんて脅すよりもさ、
あなたが天国に行けるように祈りますよ、って言う方がどんなに優しいか。

惨めな自分と、世の栄えとを見比べて、
私には天国、彼らには地獄、なんて思うより、
私には天国、彼らにも天国がありますように、と祈る方がどんなにかっこいいか。

クリスチャンの役目ってのは、「貴方も信じて天国に行きましょう」なんて言うことじゃない。
信じられない人達が天国に行けるように祈る事だ。その結果、信じる人も出るかもしれない。
でも、それに目を取られてはいけない。常に、信じられない人はたくさんいる。
祈り方を知らない、神様の存在さえ知らない。そういう人達のために祈らなきゃいけないだろう。
俺達は祭司なんだろう? 万人祭司主義って奴から言えば。
祭司が祭司同士で祈り合っててどうするよ。
祭司は祭司じゃない人のために祈るのが仕事だろう。

俺に「何か祈って欲しい事はない?」なんて聞かないでくれよ。
そんな暇があったら、祈りを知らない人に触れて、彼らのために祈ってくれよ。
で、みんな、一人残らず天国に行こうぜよ。それが最高じゃないか。

敵のために祈れ。祈った瞬間、敵は敵じゃなくなるでしょ。


教会がなんと言おうと構わない。俺はそういうクリスチャンでいたい。
最後の審判の日に、ノンクリスチャンのために神様に土下座するクリスチャンでいたい。
罪だらけの俺に、土下座する価値さえないのは分かってる。
イエスさんが神様に土下座してくれて、それでやっとこ救われた身だってことも分かってる。
それでも、何もしないで「ああ信じてて良かった。天国だ天国だ」なんて浮かれて
その門に入るよりは、土下座していたい。

あは、クリスチャンというだけでノンクリスチャンから偽善者と言われ、
こんなこと言うからクリスチャンからも偽善者と言われるかも知れない。
なんとでも呼びやがれ。いいからお前ら、みんな一緒に天国行くぞ。

疑いは罪か。

クリスチャンになったからって、ありとあらゆる疑問が解決するわけじゃない。
確かに、神様ってのは究極的な真理なのだ。だけど俺らのこの小さな脳みそじゃ、
そのすべてを知ることなんてとても出来やしない。
だから疑問は相変わらず、あれやこれやと付きまとうのである。
ただ、それがいつか解決すると言う保証が与えられているだけなのだ。

神を疑うということ、それもまたこの小さな脳みそ故のことだろう。
疑いは必ずしも罪ではない、時としてそれは神が与えて下さる成長の糧である。
アンチテーゼなしにジンテーゼが成立しないが如く。

疑いが出て来たなら素直に疑えばいい。
そして神様にその疑いを包み隠さず打ち明けてしまえばいい。
自分を言い聞かせようが取り繕おうが、神様はその疑いを
どの道、すっかり知っているんだから。

いや、むしろクリスチャンたるもの、積極的に疑うべきだ。
疑いによって消え失せる真理は真理ではない。
疑えば疑うほど、それは光を増し加え、より確固たる礎となるだろう。
疑いを通らない真理はただの仮説に過ぎない。
神を真理だと信じるなら神を疑え。
疑えば疑うほど神が真理であることが証明されるだろう。

神なき世界を想像してみると良い。
俺達の知っている事象のうち、どれか一つでもそこに成立しうるものがあるか。
あるとしても、それは一つだけ「我思う。故に我あり。」
これ以外の何かを信じているのなら、それは神を信じているに他ならない。
そして「我思う。故に我あり。」では何故に我は思う?
無から来て無に帰るなら、この我のなんと不可解なことか。

悪魔

悪魔はきっと僕を憎んでるだろう。
無理もない。僕は彼を裏切ったんだから。

でもそれでいて、悪魔は今でも僕を誘う。
まだ彼にとって「素質がある」んだろう、僕は。
僕の心の中にはまだ彼からもらったものがたくさん残っているから。

悪魔は今でも時々やってきては「俺の所に戻って来ないか」と言う。
「神がお前に何をしてくれた?」冗談はよして下さいな、悪魔さん。
そんなこと言ったら、あなただって僕に何をしてくれたって言うんですか。

どうせ何もしてくれないなら僕はかっこいい方につきますよ。
人を愛する者と、人を憎む者と、どっちがかっこいいって、
そりゃもちろん愛する方でしょう?

どうせ何もしてくれないなら僕は楽しい方につきますよ。
人を喜ばせるのと、人を悲しませるのと、どっちが楽しいって、
そりゃもちろん喜ばせる方でしょう?

ああ奇麗ごと。そうさ奇麗ごと。まったくもって奇麗ごと。
でも、どうせ実現しないなら、奇麗ごとを夢見た方が幸せでしょう?


それに。
イエスさんはとてつもないことを僕にしてくれたし、
その奇麗ごとは成就すると約束されている。
あなたの大嫌いなあの十字架によって。

それに。
もうまっぴらですよ。あんなに辛くて苦しい生活は。
あなたが僕にくれた自由なんてせいぜい、学校のPTAがくれた程度の
自由じゃないですか。あのいかがわしい「自由な校風」みたいなね。

それに。
もしも戻ったらあなたは僕を殺すでしょう?
裏切った僕を許せるくらいならあなたは悪魔になんかならず
ずっと天使のままだったはずでしょう?


でも、あなたのために祈ります。悪魔さん。

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