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3冊目の著作で、約330枚の長編小説。沖縄の戦争マラリアに絡む3世代にわたる物語で、外科医の「私」とその息子たちの2世代の話を章ごとに交互に配し、最後で収斂する展開とした。 前作「愛人」から一転、純愛を意識した部分はあるが、まず基調には、中年の外科医の“諦念”を置いた。それに相対する形で、息子とその恋人ミホの若々しい恋愛模様をもう一方の柱とした。 不思議なことに、戦争マラリアの事実をどこで知ったのか、いくら考えても思い出せない。2003年末に沖縄旅行を思い立ち、そのさい見知ったには違いないのだが、その取材を兼ねて石垣島へ旅立ったことは、はっきりと記憶している。 その結果、ある程度の資料収集はできたものの、その取材は明らかに十分なものでなく、戦争マラリアに対する掘り下げが浅かったことは認めざるを得ない。 そんな引け目があったからでもないのだが、安楽死や不法滞在といった他のファクターも盛り込んだ。そのぶん力が分散したとの否定的な意見もあったが、それはそれで悪くなかったと自分では思っている。 とりわけ、終盤の二組の男女の運命的な別れのシーンは、本来の持ち味が発揮されたと自負しているのだが、さてどうだろう。 溶け入りそうな7月末の午後だった。車のフロントガラスから見える、黒っぽいアスファルト舗装の上の光景が揺らいでいた。ナビに示される外気温は35度をさしている。エアコンの効いた車内は別世界で、暑いも寒いもない奇妙な空間だった。しかめっ面で炎天下の街ゆくひとたちを尻目に、ツーシーターのスポーツカーはきょうも快調だが、運転している私は疲れていた。夜勤明けで、しかも午前中に小さな手術を一つこなしてきた。総合病院の外科医にとっては珍しくもないが、私ももう若くはない。
確かに半世紀を生きた、いつのまにか。ツーシーターのスポーツカーなど年甲斐もないと、別居中の妻や大学生の息子は冷ややかだが、総合病院の副部長ならメルセデスかBMWに乗るべきなのか。そういうものでもないだろう。彼らは何でも型にはめたがる。夫や父親とはこうあるべきと思い込んでいる。私自身、型にはめられるのはうんざりなのだ。そうやって自分が育てられてきたのだから。絶対君主的な父親の影が死んだいまもちらつく。それが私を愉快にしたためしはただの一度もない。 妻や息子がいまも多少なりと愛してくれているのかどうか、私にはわからない。愛などというものは言葉にならないし、言葉にすればなおさらうそ臭くなる。私に好意を抱いてくれているのは、いまや看護師のユイだけだ。彼女の名誉のために言っておけば、彼女が家庭崩壊の原因では決してない。家庭崩壊はもう何年も前、ユイとの付き合いはわずか1年半だ。彼女が崩壊した瓦礫の下から瀕死の私を救い出してくれた。救い出してはくれたが、行きずりの恩人以上かどうか、私にはまだ判断がつかない。 ユイは若い、私に比べれば20ほども。看護師らしく献身的でもある。お互い忙しい身だが、独り暮らしの私のマンションにときどき来ては、あれこれ世話を焼いてくれる。私が望めば、下半身の世話までも。彼女は何の見返りも求めない。白衣を脱いでも天使のようだ。いま私がハンドルを握るこの車を見せたときも、「個性的な先生にぴったり」と言って微笑んだ。付き合いだしてしばらくは同じ病院にいたが、いまは別の病院に移った。私がそうしろと強制したわけではない。けれど、そのほうが仕事には没頭できる。彼女もきっとそうだろう。 次々と現れては消える影。いつものことだ。ユイにはもう少しまなかいにとどまっていてほしかったが、彼女の姿まで掻き消したのは、ラジオから流れ出したストーンズの〈悲しみのアンジー〉だった。ライブテイクで、スタジオのほうが数段いいと思ったが、それでもアンジーはアンジーだ。この曲を初めて聴いたのは、医大生になったばかりのころだった。あのころは希望に満ちていたかといえば、そうでもない。むしろこの曲調のように物憂かった。それでいて、医者になって人助けをしようという使命感に燃えていた。それは逆説的な意味で父親のおかげだ。彼が私を医学の道に導いてくれた。彼のような罪深い人生だけは送るまいと、私は医者の道を選んだのだ。 (『赤い白砂』冒頭部分。2004年作品) |
「赤い白砂」
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