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中田英寿の突然の現役引退表明は大きな衝撃だった。先日のW杯ブラジル戦後に、燃え尽きたようにピッチに倒れこんだあの姿から、もしやとは思ったが、やはりそうだったのかと、いまになって合点がいく。今回のW杯は私にとって、日本代表惨敗のほろ苦い記憶とともに、中田の引退表明でますます忘れられないものとなるだろう。
あのときピッチ上で仰向けになった中田の胸に去来した感情と、彼の引退表明に接して私たちが感じる喪失感とは、どこかで重なるものかもしれない。日本サッカー界の損失はあまりに大きいが、実感としてその意味を理解するまでには少し時間がかかる気もする。
この10年間、中田という稀有な才能を超える選手は、日本サッカー界に現れなかった。これからいつになれば、いろいろな意味で彼をしのぐ選手が現れるのか。今回の日本代表の闘いぶりを見るかぎり、なんとも心もとない。本当なら、彼は自分を超える選手の出現を見届けて引退したかったのではないか、とも思う。
29歳の引退は驚くほど潔いが、彼の勇姿を見続けてきた私たちの寂しさはそう簡単には拭えない。彼は新たな“自分探し”の旅に出ると表現したが、その旅立ちのあとに待ち構える彼の未来が明るいものであることを、私はなんら疑わない。彼はピッチ上では、奇想やひらめきで勝負するより、首を忙しく旋回させて四方八方から情報を収集し、それをビジョンに変え、即座にプレーで体現した。そうした迅速な情報処理能力は今後、どんな世界の、どんな分野でも生かされるだろう。
いま彼の活躍した10年を振り返って、いちばん私の記憶に鮮明なのは、代表での姿ではなく、果敢に世界に挑んでいった“先駆者”としての姿だ。98年のフランスW杯後、イタリア1部リーグ(セリエA)のペルージャに移籍し、いきなり2ゴールの鮮烈なデビューを飾った。ローマ移籍後には、リーグ優勝(スクデッド)の天王山となったユベントス戦で強烈なミドルシュートを放ち、ゴールネットを揺さぶった。同じローマ在籍時には、あのトッティの座を脅かすほどの存在感を見せつけた。
近年は所属クラブで思うように活躍の場が与えられず、ベンチを温める試合も多かった。経験を重ねるほどに、頭の中ではピッチ上の問題を解決する方法が思いついても、それを現実にはなかなか表現できない。本人は「イメージのずれ」と表現したが、それについても「過去の自分と比べて衰えたからではなく、未来の自分を追いかけきれなくなった」と、いかにも彼らしい説明をしている。
“孤高”の名のもとにイチローとくくり、「イチローになれなかった中田」というような記事も今回の日本代表敗退後には目についた。しかし、それは的外れだと私には思える。ともに魅力的な個性には違いないが、中田は中田であって、イチローとは似ていない。イチローはときに子供のような笑顔を見せるが、中田は大人の笑顔すらめったに見せない。イチローがある意味、いまも野球を楽しんでプレーしているのに対し、中田はプレーを純粋に楽しめなくなっていた。彼みずから言うように、それこそが「子供のころに持っていたボールに対する瑞々しい感情は失われていった」ということなのだろう。
私は当ブログでもこのところ何度か、サッカーは人生のようなもの、あるいは人生そのものと言ってきた。中田の引退表明が掲載された自身のHPの長文メッセージのタイトルは「人生とは旅であり、旅とは人生である」。サッカーが“人生”と同義語なら、同時に“旅”でもあることになる。中田英寿はプロサッカー選手という一つの旅を終え、また別の旅に向かうのだろう。私たちはここから、彼の残した切実なメッセージを読み取らなければならない。突きつけられた課題はあまりに大きいが、乗り越えねばならない。
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