小説家・菊池英也の世界

新刊「夢うつつ、旅」水声社より好評発売中!

週間日記

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待望の新刊が11月中旬にもパロル舎より発刊の見通しとなりました。タイトルは「天国でなく、海」。前作「闇に眠る骨であるわたし」(09年8月刊)に続く、7冊目の著作となります。

房総の海を舞台に繰り広げられる、時空を超えた悲恋物語。恋愛を軸としながらも、“すべては海へ還る”というテーマで執筆した長編小説です。

初校ゲラとカバー案が出来上がり、先週、版元から到着しました。ゲラ段階ではページ数が260程度。
カバーも“海への回帰”をイメージしたもので、これがたたき台となります。下の写真はそのカバーラフ。

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定価、発行部数など詳細は未定ですが、すでに書店営業が始まっているとのこと。これから約1か月が勝負となりそう。

このところ専門新聞社の経営のほうが忙しく、執筆にいまひとつ身が入らない状態ですが、この作品はその前に脱稿していたもの。その意味では入魂の作品といってもいいかと思います。

なお、この作品は当初、「アートン」という月刊誌に「海辺の廃レストラン」のタイトルで連載を始めたものの、雑誌の休刊に伴い中断を余儀なくされた経緯があります。それゆえ、こうして世に出ることはよけいに感慨深いものがあります。

校了は今月末の目標なので、少々タイトなスケジュールですが、頑張ります。引き続き、応援のほどよろしくお願いいたします。
一度は版元に手渡したものの、自分でもその出来に納得できず、昨年末から何度目かの改稿を進めていた「海辺の廃レストラン」がようやく固まり、14日に版元へ原稿を送った。なんとか世に問えるレベルまで引き上げられたのではないかと思うのだが、あとは版元の判断に任せたい。

いままでの作品と比べても、かなり苦しい道のりだった。この先の道のりもそう簡単ではないかもしれないが、今の時点でやれるだけのことはやったつもりだ。それでも、あまりに物語に入り込みすぎていたので、見落としや盲点があるような気もする。

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今回の改稿で分量は原稿用紙で実質350枚ほどとなった。もとは500枚ほどあったのだから、ずいぶん無駄があったようだ。構成も大幅に修正したので、流れもスムーズになったと思う。タイトルも変更し、仮題で「天国でなく、海」とした。このままのタイトルでいけるかどうかわからないが、悪くない気はしている。


それにしても、繰り返しになるが、このところ忙しくてブログ更新の意欲も萎えぎみだ。なんとか立て直したいところだが、今度は昼の仕事のほうで近く大きな変化が出そうだ。運命づけられていたようなものだが、とうとう経営者の立場になる。遅すぎたのかそうでもないのか、そのあたりは自分ではなんともいえないが、肩にかかる荷はもちろんいままでとは比較にならない。しかしやるからには自分なりの色を出して、抜本的な会社の経営改革に取り組みたい。

しかしそうなると、小説の執筆のほうはどうなるのか。しばらくはペースが落ちるのもやむを得ないだろう。中断している「あるアホウドリ(仮題)」の決着も早い時期につけたいのだが……。

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最近よく聴いているのは、ドリーム・シアター(DT)のキーボード奏者、ジョーダン・ルーデスのソロアルバム“Notes on a Dream”。DTの曲を新たに解釈し直したピアノ作品で、その流麗で華麗なタッチが素晴らしい。9歳でジュリアード音楽院に入学した才の持ち主だけあって、その卓越したテクニックには舌を巻く。CDジャケットの絵にあるように、この人には本当に指が何本あるのかと思うほどだ。

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そして、昨晩はテレビのドラマに酔いしれた。NHKで放送された芸術祭大賞ドラマ「火の魚」である。瀬戸内海の島を舞台に、人気作家と若い女性編集者との交流を描く命の物語で、すぐれた大作映画に勝るとも劣らない見事な出来栄えに感動した。原作は室生犀星の小説というが、本当に珠玉の短篇を読む味わいだった。砂浜の竜、影絵、そして金魚の魚拓などの道具立ても忘れがたい鮮烈な印象を残す。

ただ、クライマックスで地震情報がテロップで流れたのは返す返す残念だった。せっかく素晴らしい場面だったのに……。しかし、こればかりは仕方のないことなのだろう。せめて地震が五分ずれていてくれたなら……などと考えるのは不謹慎だろうか。
このところ仕事が忙しくて、小説の執筆時間がなかなかとれない。忙しいのは結構なことだと周囲の人間には言われるが、この時代、忙しくても決して業績が上がるわけではない。何事も我慢が肝要の時代だ。

忙しいのが小説のほうならいいかといえば、必ずしもそうではない。双方が忙しければ、私の場合、ますますパニックに陥ることは目に見えている。いままでも編集者にあれこれ言われると、かえって自分を見失うことが多かった。その意味では、いまのほうが気楽なのかもしれない。

現在は新作「(仮)海辺の廃レストラン」の大改稿(?)を進めているのだが、これが遅々として進まない。1月末を目標としていたのだが、ちょっと難しそうだ。版元も「焦らず、じっくりと、完成度の高いものを」と言ってくれているので、その点はありがたいが、間を置くとその存在が忘れ去られるのではないかと不安になるのが、卑小な書き手の悲しいところだ。

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ところで、この長編小説「海辺の廃レストラン」は、実際にあった舞台を想定して話を作ったのだが、勝浦の某所にあったその廃レストランが、少し前、すっかり解体されて影も形もなくなっていたのは、寂しく残念でならなかった。廃レストランはもう‘廃’ですらなくなってしまったというわけだ。

その廃レストランの下には、空海作との伝承がある小さな薬師堂(磨崖物)があるのだが、そこへ降りる階段も閉鎖されているので、今後その薬師がどうなるかも心配だ。薬師の前の砂浜も年々減少し、磯遊びもしにくい状態になっていたようだ。

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映画は相変わらずDVDでよく観ている。

先日は「潜水服は蝶の夢を見る」を見て、ジュリアン・シュナーベルという監督に興味を持ち、この監督作品を続けて3本観た。「潜水服は蝶の夢を見る」「バスキア」「夜になるまえに」。どれも素晴らしく、じつに見せ方がうまい。この監督、高名な前衛画家でもあるそうで、映像にもそうした部分がほどよく出ている。いずれも実話だけに説得力満点だが、3本ともテーマや舞台がまったく違っているあたりも、芸域の広さを感じさせる。たとえば、フランスが舞台の「潜水服は蝶の夢を見る」は、実際あまりにもフランス的で、フランス人が撮ったとしか思えない。

「潜水服は蝶の夢を見る」は、以前に買ったままになっていた原作本(ジャン=ドミニック・ボービー著、講談社)を現在、追って読んでいる。

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さらに、昨日はクリント・イーストウッド「チェンジリング」を観た。これまた、胸を締め付けられる傑作だった。イーストウッド監督、老いてなお盛ん。素晴らしい作品を提供し続けている。

とりわけこの作品は私の琴線に触れた。同時に、アメリカ映画の底力を感じさせられもした。内容は一言で言えば、“母は強し、されど悲し”というところ。この時代のロス警察の腐敗はよくテーマにされるが、これほどひどいとは……。

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音楽では、「潜水服は蝶の夢を見る」に使われていたトム・ウェイツの「トム・トラバーツ・ブルース」を聴いて感動し、さっそくCDを購入。なんと、この曲はテレビドラマ「不毛地帯」のエンディングにも使われていると知る。テレビは観ないので、まったく知らなかったが、これだけ素晴らしい曲なら、あちこちで使われるのも頷ける。

しかし、いままでまともに聴いたことのなかったトム・ウェイツ。まったくもって天才詩人としか言いようがない。その歌声も胸に迫るが、その歌詞がまた人生そのものだ! CDを聴きながら、久々に目頭が熱くなった。
年も押し迫ってきた。一年経つのが速いとは周囲の大半の人が言うことだから、実際、時間はその歩調より速く過ぎ去っているのではないかとさえ思えてくる。

執筆のほうは、8月末に2年ぶりの新刊「闇に眠る骨であるわたし」を上梓できたとはいえ、それ以外は推敲に明け推敲に暮れた感のある1年だった。現在も新作長編の推敲中で、今回は推敲といっても、かなり根本的な見直しを迫られた力作業となっている。このあたり今年1年の動きは、追って年内中に備忘録の意味も含めてしたためたい。


読書は、ジェフリー・フォード著「シャルビューク夫人の肖像」(ランダムハウス講談社) を読了し、現在、アントニオ・タブッキ著「イタリア広場」(白水社)に入っている。

例の「1Q84」を読んだときには、あまりのつまらなさに閉口し、この小説がどうしてそれほど売れ、高い評価も得るのか、まったく理解できずに、世をはかなむ思いにさえ駆られたが、その後のこれら2冊でそれも吹き飛んだ。やっぱりいいものはいい。


映画は、この週間日記をずいぶんさぼっているうちに、レンタルで10本以上観ただろう。それなりに面白いものもあったが、これだけ嵩が増してしまうと、いまさら思い返して紹介する気力が湧かない。

昨夜は吉田大八監督「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」を観たが、これが思いのほかというか、めちゃくちゃ面白くて、息もつかせずラストまで運ばれてしまった。何事も、自分の五感で体験してみないとわからない。
さぼりにさぼっていた週間日記。前回更新が8月20日だから、週間どころか月刊を通り越して季刊日記の様相さえ呈してきた。いかん、もっと真面目に更新しなくては。と、反省しきり。

それにしても、このところ昼間の仕事(新聞社)が忙しい。底なしの不景気にもかかわらず、仕事量は増える一方で、しかも今月に入って大きな動きが重なった。物事、動くときには動くものだ。

そんなわけで、小説執筆の時間がなかなかとれない。帰りが9時、10時ではどうにもならない。いよいよ“小説家”の称号を返上しなければならなくなりそうだ。なんとか打開策はないものか……。

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「闇に眠る骨であるわたし」(略称・闇骨)発刊後は、「(仮)海辺の廃レストラン」の推敲を進めていたが、これを周囲の者に読ませたところ、すこぶる評判が悪い。母親などは「何が言いたいのかわからない。この出来じゃ、出版しないほうがいい」とのたまう。

2年近くもかけて書いた400枚を超える長編だけに、こっちはすっかり意気消沈。辛らつな批評も、自分でなんとなく思い当たるふしがなくもないので、これはもうボツにするしかないかと半ば諦めかけていた。

しかし、版元の担当者はやっぱりこれでやってみましょうとのニュアンスだったので、気力を振り絞って、ふたたび見直しにチャレンジすることにした。なんとか2、3か月で納得のいくレベルまで引き上げて、版元に原稿を手渡したいところだ。

「闇骨」は発刊から、はや3か月半。やはり売れ行きはなかなか難しそうだ。版元の担当者も「売れてるか売れてないかといえば、まあ売れてないんですけどね」との返事。大抵いつもこんな具合だから、別に驚きもしないが……。(苦笑)

ただ、この1か月ほど、ネット書店などを見るかぎり、少しは動きがあるような気がする。これは、ゴスロリで知られる歌手の宝野アリカさんが、ご自身のブログで私の「闇骨」を取り上げてくださった影響もあるようだ。

宝野さんいわく、「『骨であるわたし』の気分がすうっと自分の身体に入ってきて、息をしないで生きている状態、を味わいました」。

すばらしい感想で感激した。息をしないで生きている……なんて、なかなか言える言葉ではない。わかる人にはわかるのだと気を強くした。

「闇骨」の終盤で、私はこう書いた。「酷寒の冬になって、(骨である)わたしは文字通り骨の髄まで乾燥し、離れ離れの大腿骨ともども悲しげな軋みの声音を上げ続けた」。

その意味では、これから冬本番に向けて、この小説もまだ終わってはいない。どっこい、執念(しうね)く生きているのだ。

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