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中公新書で「ハンナ・アーレント」という本が出版され、なかなか評判が高いものの、もはや我が家の本棚には空きがない状態ですので、図書館に予約をして、5月頃に読み終わりました。
 
アーレントという名前は、せいぜい次のような知識がある程度で、著作そのものは必要があって「暗い時代の人々」という既存の論文等をまとめた1冊の一部分を読んだくらいです。
 
(1) ユダヤ人でありながら反ユダヤで知られるドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーの教え子であり、愛人であったこと、
(2) その後ヤスパースの門下生となって将来を嘱望される哲学者であったにもかかわらずナチに追われてアメリカに移住したこと、
(3) アメリカでは全体主義を批判する政治哲学者として活躍したこと、
(4) しかしアイヒマン裁判傍聴記で、アイヒマンは組織に服従した小物にすぎないと書いてユダヤ人社会からバッシングを受けたこと。
 
これらの知識は、どこかに書かれたものを覚えていたくらいで、確たるものではありません。
 
最初に読んだ中公新書は、その性格からして読みやすいものでありました。
アーレントの生涯、そこで彼女が何を問題にしたかの概観を得ることができました。
しかし、新書という形態の限界もあって、もう一歩踏み込んで知りたくなってしまいます。
 
そこで次に手にしたのが、同じ著者・矢野久美子氏による「ハンナ・アーレント、あるいは政治的思考の場所」というものです。
これは2002年に発行されたもので、中公新書よりは詳しくアーレントを論じています。
しかし、もとがいわゆる博士論文であったために、やや生硬な文体のところもあって、中公新書の読みやすさはありません。
ただ、博士論文にしては大冊ではなく、豊富にアーレントの著書の引用が挿入されているのが特徴です。
とはいえ、矢野久美子氏のアーレント理解が本当にそれでいいのか、自分でも確かめてみたくなりました。
この本のあとがきで「今はなによりも、本書をつうじてアーレントの言葉に直接ふれたいと思う方がひとりでもでてきてくださったら、それが一番うれしい。」とお書きになった、まさにそこに入ろうとしています。
 
大部の著作を読み通すだけの体力を失いつつありますので、まず手始めに比較的短いものを読んでみようと思い選んだのが1945年に書かれた「シオニズム再考」で、『パーリアとしてのユダヤ人』という1989年に発行された論文集の5番目に収録されているもので、60頁弱の比較的長いものです。
 
この論文を最初に選択したのは、矢野氏の博士論文を読んでいると、どうもアイヒマン論争の書に先立ってイスラエル建国を目指すシオニズムを痛烈に批判して、アメリカのユダヤ人社会に大きな波紋を投げかけるスタートになったものであるらしいからです。
 
歴史を繙いてみますと、1922年にイギリスの信託統治領となったイスラエルは、第2次世界大戦後の1947年に国連のパレスチナ分割決議でイギリスの信託統治を終わらせてアラブ人とユダヤ人の国家建設に向かいますが、双方の合意は、当然のごとく成り立ちません。
アラブ人・ユダヤ人双方の殺し合いが起きる中、1948年には一方的にイスラエルの独立が宣言されます。
 
この論文は、それに先立って1944年にフィラデルフィア郊外のアトランティックシティで開催された世界シオニスト機構の年次大会で「パレスチナ全域を分割も削減もせずに包括する・・・自由で民主的なユダヤ人国家」の創設を決議したことを受けて発表されたものです。
 
この中で、アーレントはシオニストたちのパレスチナ地域でユダヤ人国家を創設することは、多数派のアラブ人と深刻な抗争を惹起することを強い調子で警告しています。
 
『(社会主義者シオニストがパレスチナに入植したとき)彼らは約束された土地にすでにいる住民と民族闘争を行うことになるという危惧は全く抱いていなかった。彼らは、アラブ人の存在について考えることすら止めていた。この新しい運動の完全に非政治的な正確を証明できるのは、この無邪気な無思慮さ以外には何もないだろう。』(141-2頁)
 
アーレントが警告したとおり、1947年のパレスチナ分割決議のあとすぐに、パレスチナでのアラブ人・イスラエル人との間の血で血を洗う戦いが勃発し、それは現在なお継続されているガザ地区の戦闘まで60年以上にもわたって継続されています。
ディアスポラと呼ばれる離散ユダヤ人の名称は、一連の著作で知りましたが、彼らがユダヤ人国家をパレスチナ地域に創設するということは、どこの国でも少数派として苦しめられてきたユダヤ人が、今度はアラブ人を少数派として受け容れることに無関心であったということになります。
 
 
ここまでですと、どうも当時のユダヤ人社会でもアーレントと同じような危惧感を持った勢力がいて、鋭い政治評論の枠内で終わったことでしょう。
しかしアーレントは、もうひとつ重要な指摘をしています。
それは、反ユダヤ主義への対峙の考え方です。
 
アーレントが批判するのは、シオニストたちが反ユダヤ主義にまともに対峙することなく、人間をユダヤ人と非ユダヤ人に二分し、「反ユダヤ主義は、あたかもなんらかの神秘的な自然法則によって永遠に互いに対立することを運命づけられた二つの自然的実体であるかのように、ある民族のほかの民族に対する自然な反応として説明された」(158頁)ことでした。
そして大国の間を巧みに取り入るシオニズムは「ドイツ的精神をもったナショナリズムを無批判に受けいれたものにほかならない。・・・シオニズムは、このようなナショナリズムの思想的伝統と密接に結びついていたので、国民形成の前提である人民主権に格別煩わされたことは一度もなく、むしろ初めからあのような空想的な民族主義的独立を望んだのである。」と切り捨てます。
 
このシオニズム批判は、いまから見てもユダヤ人社会には大きな波紋を投げかけたであろうことは容易に想像がつきます。
矢野氏の博士論文では、アーレントのユダヤ人親友から「あらゆる反シオニズム的議論を動員した『政治的に愚かな言動』である。」との手紙を受け取ったことが紹介されています。(99頁)
 
アーレントは、反ユダヤ主義に対しては、さらに主体的に考え、行動することを求めていたようです。
それは、ユダヤ人が、その富をナチスドイツと交換することによりイスラエルへの移住を行ったことへの厳しい批判や、第2次世界大戦中のユダヤ軍創設をシオニスト組織が結局潰したことへの批判で窺い知ることができます。
 
私は、ユダヤ人問題を真剣に取り組んだことがありませんので、今回、この論文を読むにあたって色んな年表を見たり、盛大にWikipediaを参照したりしました。
それでも、ユダヤ人であるアーレントがアメリカに亡命する過程でユダヤ人親友であったベンヤミンが亡命できない絶望のあまり自殺するという事態に遭遇しながら、敢えて圧倒的多数派であるシオニスト集団に向けて痛烈な批判を行う思想的論拠を十分理解したとは言い難いところが多々あります。
 
安直に紹介本を読んだり、短い論文を読んだだけでは手強い相手で、本格的にアーレントの主著を読み込まないと、彼女の思考を理解することは難しそうです。
それと、岩波ホールが満員で諦めた映画も見てみたいものです。

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