全返信表示
ライオンビアホール(銀座4丁目交差点)昭和
近代建築(東京)
[ グズグズ ]
2017/2/6(月) 午後 10:59
ライオンビアホール(銀座4丁目交差点)昭和
近代建築(東京)
[ julywind2 ]
2017/2/6(月) 午前 10:19
[ グズグズ ]
2017/1/14(土) 午後 11:54
[ グズグズ ]
2017/1/14(土) 午後 10:55
[ グズグズ ]
2017/1/14(土) 午後 10:47
[ kayo ]
2017/1/14(土) 午後 10:25
[ julywind2 ]
2017/1/14(土) 午前 2:39
台湾銀行(日本統治時代)
近代建築(台湾)
[ グズグズ ]
2016/11/10(木) 午後 10:53
台湾銀行(日本統治時代)
近代建築(台湾)
[ 壮年老い易く学成り難き ]
2016/11/3(木) 午前 7:47
日清戦争の結果、台湾が日本に割譲された1895年当時、そこは化外(中華文明の及ばない)の地とされ、213年間の清朝統治時代に154回もの住民の反乱が記録されている。住民達は、3年交代で送り込まれてくる清朝の兵士や官吏に収穫の半分を収奪されていたからである。
日本統治の最初の数年間も反乱とゲリラの抵抗が続いた。台湾経営が軌道に乗ったのは、98年に着任した第4代総督児玉源太郎と民生長官後藤新平のコンビによってである。後藤は全島に800人の調査員を派遣して、土地の測量と権利者の登記を行った。
台湾大学の歴史家呉密察教授によれば、中国人社会において、「民衆の財産所有権を政府が初めて法令によって保証し、台湾を資本主義社会の道に踏み込ませた」と評価している。後藤はさらに交通や流通のシステムを整備し、度量衡、通貨の統一を図った(『台湾の歴史』p303)。
法治は国家統治の基礎だという見地から、総督府は細かく法を定めて厳格に執行する日本方式を持ち込んだ。たとえば、官吏と民衆がともに守るべき娯楽規則などが逐一詳細かつ明確に作られた。
***

近代建築(新潟)




