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旧住友銀行東松山支店(ウィキペディアより)広島市南区猿猴橋町(えんこうばしちょう)3
竣工:大正10年 設計:住友合資会社工作部 施工:
構造:煉瓦造2階建て 後にコンクリート補強される。2013年解体
ウィキペディアに詳しい説明がございます
戦後すぐの改築後の写真がございました。
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近代建築(広島)
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おのみち歴史博物館(旧尾道銀行本店)ウィキぺディアより尾道市久保1−14−1
竣工:大正12年 設計・施工:不詳
資料の少ない建物です。尾道銀行自体も沿革が見つけられません。のちに芸備銀行になった
と書かれている方もいらっしゃいますが、芸備銀行の沿革にも尾道銀行に関する記載を見つけ
られませんでした。
大正期の尾道銀行本店 |
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旧日本銀行広島支店(ウィキぺディアより)
竣工:昭和11年8月 設計:日銀臨時建築部・長野宇平治 施工:清水組
明治38年に、日本銀行広島出張所が水主町(現在の中区加古町)に設置される 明治44年広島支店に昇格しました。 昭和11年(1936年)9月に、業務拡大に伴い現在地である中区袋町に新築移転しました。
((広島の被爆建築と言う事で広島市のHPより抜粋))
昭和20年(1945年)8月6日に、爆心地からわずか380mという近距離で被爆しながらも、その堅牢性から建設当時の姿を現在もほぼ残しています。被爆時においては、1階と2階はよろい戸を閉じていたため、内部の大破を免れましたが、3階は開けていたため全焼し、建物にいた20人が死亡しました。また、被爆当日は、食堂などが負傷者の収容所となりました。そして、翌々日の8日には、早くも銀行の支払い業務が開始されるとともに、被災して営業が不可能となった市内金融機関の仮営業所が設置されたという、金融面から広島の復興を支えた史実を伝える貴重な被爆建物です。 その後、平成4年(1992年)3月に、広島支店が中区基町に移転し、旧広島支店は銀行としての役割を終えましたが、平成6年(1994年)2月に、「旧日本銀行広島支店」として被爆建物台帳に登録され、平成12年(2000年)7月に、広島市の重要有形文化財に指定され、現在一般公開されています。 |
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海上自衛隊幹部候補生学校(ウィキぺディアより)広島県江田島市
竣工:明治26年 設計:ジョン・ダイアック 施工:
ダイアック:工部省鉄道寮建築長副役として来日し、後に横浜を拠点に活動したイギリス人建築家。
築地にあった頃の建物も設計しました。
海軍兵学校生徒館〈築地にあった)
竣工:明治16年 設計:ダイアック
大正の大震災で焼失する。 |


