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電気暖房搭載の3次量産車は昭和46年9月にかけて生産されました。昭和50年代のダイヤ改正によって客車列車への暖房供給を行う必要性は無くなったため、電気暖房は粘着力維持のための死重扱いとなっていたようです。この甲斐もあってか、ボディー側面に残った電暖表示灯は3次量産車の良いアクセントでした。写真は飯田線に乗り入れた客レを引いてきた45号機。このあと客レはED62に引き継いで飯田線に入って行きました。45号機もまた41号機と同様、PS22Bを搭載しておりますが、両方ではなく片方だけでした。パンタグラフをPS22Bにする利点は何だったのでしょうか。また片方だけにする理由も何だったのでしょうか。長野工場ではこのような装備をした機関車がロクヨンのみならず数多く存在しました。広島工場でもこのような装備をすることはありますが、いずれも両方PS22Bに統一することが多かったのではないかと思います。(中央東線、辰野駅にて) |
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