古寺巡礼

古寺巡礼(仏像観て歩きの記録)と花と新緑巡り

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雪蹊寺 高知県高知市長浜
毘沙門天立像 像高166cm、木造、彩色、玉眼、鎌倉時代、重文、
「私の想い」
 平成29年9月に東京国立博物館で「運慶展」が開催されました。運慶の父親や息子達の鎌倉時代慶派一族の仏師の作品が集められた展覧会がありました。
 毘沙門天は、四天王だと多聞天といい、守護神だと不動明王と一対で存在し、夫婦だと吉祥天と一対になり、家族では、息子の善膩師童子を加えた三人で家族を構成する。
 また、単独では毘沙門天と呼ばれる。北東の鬼門の方角を守護する仏像として祀られる。更に、地天女と毘藍婆、尼藍婆の三人に支えられた兜跋毘沙門天がある。
 三人の家族で祀られる寺としては、京都・鞍馬寺像とこの雪蹊寺像の二寺がある。兜跋毘沙門天では、岩手・成島毘沙門堂像がありますがここは、息子の善膩師童子がいない。

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         お顔。

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             上半身像

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         毘沙門天家族の全身像

吉祥天立像 像高79cm、 木造、彩色、玉眼、鎌倉時代、重文、
「私の想い」
 平成29年9月に東京国立博物館で「運慶展」が開催されました。運慶の父親や息子達の鎌倉時代慶派一族の仏師の作品が集められた展覧会がありました。
 吉祥天像は脇を閉め、肘をくの字に曲げ、手の平を開き正面に向ける。右手も脇を閉め、肘をL字に折り前に出す。手首から先を欠き、繋ぎ目の穴だけが、左腕の中心部に観える。
 腰の位置が高く、すらりとした美形の姿をした美人である。毘沙門天像の右側に祀られている善膩師童子像程の大きな子供がいるお母様には観えない。


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         吉祥天像の上半身像

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          全身像

善膩師童子立像 像高71cm、 木造、彩色、玉眼、鎌倉時代、重文、湛慶作、
「解説」
 毘沙門天を中心とし、妃とされる吉祥天を左側に、また夫婦の子であり、五太子の一人という善膩師童子を右側に表わす三尊構成は、絵画には遺品が多いものの、彫刻作品では珍しい。雪蹊寺ではとりわけ毘沙門天信仰が盛んであったことがうかがえる。
 毘沙門天像をほぼ等身の大きさとし、吉祥天像、善膩師童子像を少しずつ小さく表わしている。絵画遺品などを参照すると、かつて吉祥天像は左手に宝珠を乗せ、童子像は両手で経典の入った箱を捧げ持っていたのだろう。背を伸ばして前方を見据える吉祥天に対し、童子像は両耳あたりで角髪を結う平安時代の子どもに多い姿で、少し見上げるようなしぐさが愛らしい。
 三躯のうち、毘沙門天像の左足の枘には三尊の名称とともに「法印大和尚位湛慶」との署名があり、運慶子息である湛慶の作と判明する点が注目される。制作年は記されないが、湛慶が僧侶の位では最高位にあたる法印に就いたのが、建歴三年(1213)とわかっているため、そこから建長八年(1256)に亡くなるまでの間に造られたことになる。
 毘沙門天は、左手は脇を締めて肘を曲げ、失われた手首先には仏塔を捧げ持ち、そして右肩先も失っているが、戟を握る姿であったと思われる。左に腰を振る姿勢も含め、運慶の手になる願成就院や浄楽寺の毘沙門天立像と一致する。武具の意匠や、脚部にまとう衣を腰を振る方向になびかせる点、肩の角度から、右手を振り上げていたと考えられる点から、浄楽寺像に近い。いずれにせよ、父の仕事に学ぶところが多かったと思われるが、運慶の量感に溢れる力強い造形を整理し、上品にまとめた表現は、湛慶がもつ個性の一つである。
 雪蹊寺は、その前身を高福寺といい、近世の史書に嘉禄元年(1225)の創建と伝えられるが、本像もこれを機に制作されたと考えられている。湛慶の五十代における熟練の仕事となるわけだが、本像も宮廷関係の事績が多い湛慶の遺品としては、都から離れた地に伝わる点で珍しい。とはいえ、近在の六条若宮八幡宮には源頼朝の側近である大江広元とのゆかりが指摘されており、そのように高位にある人物とのかかわりのなかで求められた造像であったに違いない。なお、雪蹊寺の本尊、薬師三尊像を湛慶工房の作とみる見解もある。
「運慶展」図録より 東京国立博物館 2017.09.29.

「私の想い」
 平成29年9月に東京国立博物館で「運慶展」が開催されました。運慶の父親や息子達の鎌倉時代慶派一族の仏師の作品が集められた展覧会がありました。
 善膩師童子像では、この雪蹊寺像と京都・鞍馬寺像の二躯である。鞍馬寺像については、次の様に書いている。
 頭を「美豆良」(ミズラ)に結い、左手に腹の前で宝筐(ホウキョウ)を載せて持つ。右手はその上で蓋が開くか、落ちないか注意している。
 父親の弁当でも持って来たのだろうか。毘沙門天一家の日常生活の一端を切り取った場面である。義経に一番遠い世界が、そこには在る。それも遠く陸奥で正反対の世界を生きなければならない。幸せな家庭を幼い頃に拝んでいても、そんな世界を歩む事なく、北の地で自分が、守り神の先兵で戦死して終う。毘沙門天は、義経の一生を予見していたのだろうか。
 こちらの善膩師童子像は、両手共に手首から先を欠いてないし、何かを持った様子もない。お父様とお母様の見ている方向を見ている。


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           お顔と解説

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                 全身像と解説

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            善膩師童子像とお父様毘沙門天との全身像

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