暮らしのバンコク

雨季で空が曇りがちです。でもタイ的には夏到来らしい。

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赤魚

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タイ語では名前はプラーデーンっていうらしい。それを直訳すると「赤魚」教えてもらっといてなんだけど、アパートのおばちゃんに聞いたから、日本のおばちゃんもそうであるように、鮭・鱒。くらいの区別でしか言ってない可能性があるから(笑)ほんとうはもう少し長い名前がついているような気がしてならないんですけどね…。

桜色の土台というか、基本色のボディーの中に、うっすらと黄色いラインが入ってます。関係ないけど、ボディーが赤い魚は大体白身で、青背の魚は赤身が多いってのは、どういう理屈なんでしょうか…。ふとした疑問です。

ここしばらく、市場やスーパーやその他その辺の道端で売ってる食べ物なんかを買ってきては水彩で描いてます。そろそろ25枚のスケッチブックが埋まりそうで、なんとなく見返してみてたんですが、描いているモチーフの描き方にある種の私的法則みたいなものがありました。

魚、魚介類。こうしたものは丸ごと描いているのに対して、果物系のものは必ず半分に割るなりして、果肉まで描いてる。描くときは、果物やし割っとくか。くらいなもので、特に意識していなかったのだけれども、改めて見返してみると不思議なものです。

別に極端な話、魚をえらのところで切り落とした図が描いてあってもいいはずだし、スイカ一個丸ごとポンと置いてある様が描いてあってもいいはず。だけど、なぜ無意識のうちに僕はそうしたスケッチを描くことを避けていたのでしょうか。

描いているものは、この水彩スケッチに限っては食い物でありながら、買うときには、美味そうっていう意識の他に、形面白いとか、色きれいとか、単純に珍しいとか。そういった気持ちも入ってます。「あ、蟹が輪ゴムで留められてる。なにあれ」とか、「ランブータンの毛の感じを克服できたら、割と格好良いもんになるかもしれん」とか。でも、いざ描く段になって、目の前にモチーフを置き向かい合ってみると、僕の潜在意識は、目の前にあるものが、単に造形的に興味深いモチーフ。では無くて、あくまで食い物だ。と認識しているのでしょう。

食い物らしい自然さや、食い物としての当たり前を考えた時に、あるいは、買いに行った先で見た売られ方の自然さなんかを何となく心の奥底でもっている状態でモノと向かいあったときに、僕の脳みそはぼんやりとこんな事を考えてるのかもしれません。魚は丸ごと。或いは何か手を加えられていてもせいぜい内蔵を取り出してあるくらいであって、丸ごとの状態でも十分食い物としての新鮮さとか、美味さとかそういうものを感じることが出来る。調理する段になっても、三枚に卸してそれに衣つけてフライパンで焼くことはあっても、所謂、尾頭付きの状態で焼き魚になってようが、丸揚げになってようが、煮魚になってようが、それが魚の自然な食い物としての姿として、十分通用するもの。それが、お皿にボンと載って出てきたって良いもんね。と。逆に、果物はそうは行かない。生でそのまま食べる果物は、皮をすぐに剥いてしまうなり、半分に割ってしまうなりしないと食べる形にならない。

そういう、目の前にあるものが食い物だと考えているから、その自然さをいつの間にか考えているんでしょう。だから、予告しちゃうけど、気がついたら魚の切り身を描いていることはあっても、魚を頭ごと背中の方から二分割したものは、僕がどこか食べ物として対象物を描いている限り絶対にないような気がします。これは、僕が食い物としての自然な表現方法を頭のどこかで考えてるからであって、もしかして解剖学的にどうこう。ってことが突然気になりだしたら、やることも代わってくるかもしれない。それこそ、皮を剥いだだけの魚の状態。半身の筋肉を取って、背骨を露出させた状態とかいう風に。

結局、僕の根底にあるものが、魚の丸ごと焼いたのを食ってきた日本人であって、果物は皮を剥いて食べるものだという文化を持ってる人間だから、食い物に対する自然さ。というものが、こういう形で現れてくるんでしょうね。或いは、僕がまったく違う国に生まれていたら、丸ごと7等分くらいにした魚の形を自然な食い物の形として認識していたかも知れないし、或いは、僕がチンパンジーだったら、マンゴーをわざわざ剥いている。それは物凄く不自然な形だと捉えたかも知れない。

そんなことを考えてたら、一つ話を思い出しました。タイでは結構虫を普通に食べます。東北地方なんかではタンパク源の重要な一端を担ってるようで、虫食文化が盛んなよう。それでそっから広まったのか、バンコクでも虫屋台というのが結構ある。イナゴとか芋虫とか、その他色んな虫をから揚げにしたものを売っていて、僕もそんな好みの味と言う訳ではないけど、食い物として食べることが出来ます。それで、もう結構前になるんだけど、虫のから揚げを食い物として描いたことがある。それを、虫を食べたことのない日本人に見せたんですね。すると、僕は食べ物として自然な感じに虫のから揚げを描いて見せたにも関わらず、彼は、ただのグロだと言い放った。彼にとっては、僕が食い物的自然さで虫を描いたこと以前に、虫を食い物として捉えることが出来なかった。

この食い物の自然さに限らずとも、絵を描くときって、自然さや、色んな当たり前を超えたりずれたりすると、それはただの不自然であったりグロであったり、そういう表現として捉えられてしまいます。ただ、考えようによっては、その自然さというものも、人それぞれ。その人の生まれや見てきたもの感じてきたものの経験や、生きてきた環境や…。そういったものの、色んな要素の上に出来上がった一つの概念のようなものなのかも知れません。人は一人で住んでいるって事はほぼあり得ないから、一つのコミュニティーの中の通念として、色んな自然さや、当たり前があって、それが常識となっている感はありますけどね。

だから、極端な話。これが、自然な感じだとか、いうことを全ての人が同じ感覚で共有することは不可能に近いと思う。僕は、今、海老を描いて、無意識のうちに過去の経験と照らし合わせて、目の前にある海老の生の新鮮さを極めて真っ当な方法で伝えようと、まるっぽの海老をまな板の上に横たえ、透き通った殻の感じやテカリを表現するけど、海老を食べない人にとっちゃ、食い物でもないなんかの甲殻類のテカテカしたのを強調しているだけに見えなくて、なんかテラテラしてるから、あーさっきまで生きてたの?くらいで終わるかもしれないってことだし、今の世の中、ほぼありえない話だけど、もっと言ってしまえば、海の生き物を見たことのない人が見たら、食い物以前の問題として気持ちの悪いものに、気持ちの悪さをプラスしているだけのように見えるかもしれない。

うん〜。乱暴なまとめ方をするけど、描き方とか表現とか、ものの見方ってこうあって当然ですよね。ってとんでもなく自分勝手なもんで、コミュニティー勝手なもんだなぁなんて思う最近なのでした。

なんか、最近ずーっと描いてたもん、且つ午前3時という時間の都合上。壊れかけの文章かもしれませんが\(・ー・)

川えび

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以前に焼き手長えびとしてUPしたえびの (http://blogs.yahoo.co.jp/gyunyukyappu/16074423.html) 焼く前の、つまり生えび状態の川えびです。一匹12バーツ(35円)ほどでした。焼いた状態だと丸まってよく分からなかった、脚や触覚の構造や本数が良く分かります。とは言っても、焼いてある奴を描くのと生のモノを描くのとでは、微妙に目的も違うんで、焼いたモノが構造が分かりにくかろうが、それはそれなんですけどね。半透明の殻は、内部の色が色々と透けて見えて、描き応えがあります。

焼いたり、揚げたりして色が濃くなった物よりも、こういう生の状態のモチーフの方が微妙な色の変化が多くて中々難しく感じますね。

青いバナナの房

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未熟バナナの房です。なんていうかバナナに限らず、マンゴーもパパイヤもグアヴァも、未熟のものと完熟のものが、両方売られてるタイですが。

バナナも何種類かあって、これは種類書いてなかったけど、おそらく「クルアイナムワー」という、タイで一番人気の品種です。

こんな未熟なやつは、煮込んだりして食べるのですが、個人的には普通に熟したものが美味しいのでしばらく放置予定です。

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