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授業も終わったし、課題も無いし、かと言って部屋にある制作しかけの作品を、なんの休息も挟まずに作り出すもの何となく気が引ける。かと言って、どっかに出かけちゃうってのもな〜。昨日暴落してた株価が戻ってきてたとはいえども、まだまだ評価損膨大なんで、しばらくドカンとお金が入ってくることもないやろし。
まぁ、結局のところ、今日はなんにもすることが無い日ってことなのですな。バンコクの空もあまりスッキリとしない色してるし。何故か、アパートから見えるコンドミニアムの工事現場も活気もないし…。
そんな訳で、7時前に起きたんやけど、パソコンで株価チェックだけして、ベッドの上でごろごろとしてたら、ふと本が読みたくなって、こないだアパートのおっちゃんにいちゃんが、会社の日本人が読み終わったのをくれた。っていって僕にくれた何年か前に話題になってた綿矢りさのインストールなんか読んで、気づいたら読み終わってて、気づいたらこんな時間からブログいじってるのです。ちなみにタイ時間は午前10時半過ぎ。
で、どうでもいいような状況説明と、本の感想が交錯しちゃうような文章になってしまうかもしれないけど、続けてダラダラと書いてみましょう。
インストールね。読んだことない人が居たら、内容ばらしちゃう事になってしまうし、あの場面がどーの、〆がどーのと評論調のことを書くのは、個人的にあまり好きでは無いので、ほんと僕の個人的な感想をみっじかく述べさせてもらいます。が、僕にとっては、そんな衝撃的なもんじゃなかった。まぁ、現代が孕みがちな問題をさらっと爽やか風に取り込みつつ、若い作家の在り来たりな表現だけど、瑞々しい文体がマッチして、読みやすかったです。うん。そんな感じ。なんとなく良い本ではあったと思うけどね。
寧ろ、本自体のことよりも、作者と、芥川賞評議員?みたいな人達とのあまりにも大きな世代格差があるんじゃないかなぁ。なんて思ってしまった訳です。読み終わったときに出た思わず出た独り言が「美術界よりもヤバイでこれ」って言葉。僕程度の若造が何を知ってる訳でもないと言われれば、それまでなのですが、なんか、「評価をしたってる側」と「謹んで評価を受けている側」ってのをひしひしと感じるのですね。なんだかんだ、文壇とは違えども、画壇風のものも見たことがあるような僕にとっては…。
なんていうか、「評価したってる側」ってのは果たして、常に己の情報を更新してんのかと。新しく出てきたものに対する拒否反応とかは人一倍激しいくせに、それが時代の中で、ある程度の地位を占めるようになると、突然手のひらを返したように、その波に乗ろうとする。「評価したってる」くせに、常に後乗り派。最近、日本画なんかでも、アニメっぽいのが流行ってたり、その他いろんな流行ってのがあると思うのですが、そのあたりの今は流行となっているようなものが、前から一切なかったかと言うとそんなことはない。前からあったのです。ただ、上でふんぞり返ってる「評価したってる側」の人間が、結局なんだかんだ言いつつも、物理のように数値化しきれない作品そのものを見て行う評価なんて、所詮はその評価する側の人間の感覚と価値観と経験と知識を超えるようなものでは無いからが故に、出始めの「何か」に対しては、自分の価値観が追いつかないもんで、突っぱねちゃう。けど、世間的に、また、他の有力者の勢力によって、その「何か」が評価され始めるとその声も無視できないし、人間の価値観の脆さ、よく言えば柔軟性が、その「何か」をいつの間にか「アリだな」って方向で受け入れちゃってるように思うのです。本当は、明らかに後乗りしたやつなんて、両者とも突っぱねるべきだと思うんですが、実際のところは、美術系の展覧会でも、その時々によって似たような作品が何点も受賞してたりする。結局、流れってのは大きいんですな。それで、評価、審査した人達は、さぞや立派なことを言うのかと思いきや、どこの誰でも言える程度のことしか言わなかったりするんだから、その人達の幾人かは、過去に素晴らしい実績がいくらあろうとも、現時点では脆く流され易い価値感の中でフラフラと漂ってるだけなんじゃないか。なんて思えてきたりもする。上に立ってる人や、「評価したってる側」の人間ってのは、そりゃ過去にすごい実績を積んだ人間なんだろうから、そこを否定する気は無いけど、そのすごさは、今も継続してこそ。だと思うんですよ。「アイツ高校生の時は勉強出来て賢かったから、今も賢い筈」なんてのは、過去のある地点だけを見た妄信に過ぎないしね(笑)
僕は、何か新しいものを見つけたときに、自分自身で柔軟に対応出来ない評価する側の人間はイカンと思うし、流れが認められはじめた辺りで、その流れにのって評価を頂きに参りました風の輩もイカンと思う。評価する側は常に五感を全開にして情報や考え方を更新し続ける必要があると思うし、その評価する側の人間に見てもらうなら見てもらうで、作る側の人間も常に独自性をもって勝負しろよ。とも思いますけどね。「評価」というものが存在する以上、それくらいはちゃんとしといて欲しいもんです。まぁ、この辺のことってのは、結構たくさんの人が言ってると思うし、なにも新しいことはないんだけど…。
「インストール」も、その「評価したってる側」のいろんな意味での情報更新がぬるかった結果が生んだ芥川賞のような気がしてなりませんでした。本自体になんの感動も篭ってないのかと言うと、決してそういう意味ではないんだけど、それでも果たして、「芥川賞」ではあるのかな?と。しばらくの間、世の中の流れというものと離れて生きていた上の人達が、久々に世の中の流れというものに触れて、そんで、そこで受けた衝撃、感動その他のものの力ってものが半端じゃなく、しかも、ふと周りを見渡してみると、世の中も今までの自分たちが生きてきた時代とは、また違った方向へ動き出していた。あぁ、なんと言うことだ。んで、その驚きが、インストール=芥川賞を生み出したような気がしてならない。今の世の中を代表して書き著した作品であるような気もして、頭のガチガチに硬くなった上の人達が、新しく世の中を見る目をインストールした。って意味では、上の人達にはとっても意味のある作品だったのかも知れませんが。
気づいたら一時間くらい経ってますね。これから、恒例のマンゴーの朝ご飯食べようと思います\(・ー・)/
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