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昨日作ったヤモリのフィギュア。部屋の中で写真を撮るとどうしても暗くなってしまうので、思いっきり直射日光の当たる、アパートの一階に持っていきました。と、そこには、いつものようにアパートのおばちゃんと、近所のおばちゃんと子供、赤ん坊数名がおりまして、僕の姿に気付いて、「チンチョック(ヤモリ)出来たんか?」とか言いながら寄ってきはりました。
ふと、アパートの修理なんかを担当するおっちゃんAが、ちょっと貸してくれと言って、自分の頭に載せてふざけ始めたのを皮切りに、おっちゃんBもふざけ出して、その辺の植え込みとかに、ヤモリを置き始めました。なんか面白いんで、なされるがままにやって、写真なんかを撮ってると、近所の子供が頭の上に乗っけ出して↑の写真。なんやキャーキャー言ってます。
おもちゃおもちゃ〜とか言いながらキャーキャー言ってくれるのは嬉しい一方で、日本語でぼやきまくってた言葉は「あ〜!!もうちょい丁寧に…」幸い、中に針金の心材も巡らしてるし、粘土の塊を削って形を出したようなモノなので、決して脆いモノではないのですが、それでも、一生懸命作った側としては、正直、ちょっと心配でならない部分もありでしたが…。
そういや、美術館とかで、「作品にお手を触れないでください」っていうのありますよね。あれって、色々言う人が居て、もっと直に触れることが出来るようにするべきだ。とか、いやそうじゃない。見て楽しむもんだって言う人が居たり。これは、作品を作っている側にも両方の意見があるし、観ている側の人の中にも両方の意見があるみたいですが、結局、なにで判断すべきかというと、僕は作品のコンセプトによるよねぇ。って事をこのヤモリで遊ぶ子供たち、及びおっちゃん達を見ておもいました。いや、結局僕はなんだかんだ言って、最初は触られることを想定はしていなかったけど「おもちゃー」とか「チンチョックチンチョック!!」とか言いながら遊んでもらえる事に関しては、もう、僕のヤモリは、この人達にとって「作品」なんていう大それたものではなくて、ほんと遊ぶ対象のおもちゃとして成り立ってくれたことが、やっぱり嬉しかったんですけどね。これを作った根底には食玩を観て感動した経験があるので…。もしかしたら、深層心理ではこういう結果を望んでいたかも知れない。何より、観て「うーん…然るにこれは斯く斯くしかじかですか…」なんて作品を目指してるわけじゃなくて、純粋の楽しんで欲しいと思ってるから。
そんで、今回は、なにの話かというと、上に戻って、作品に対する接し方の話。そんな事をふと考えたので書いてみます。日本で描いてた日本画。その展覧会の会場なんかでも、この事で色々あった事もありました。触らないでくださいって言ってるのに、ガサガサ触る人がいたり(あ〜そんなガサガサ触ったら絵の具剥げるかも…)とか。その時はその時、作品保護の目的で触って欲しくなかっただけ。逆に作ってる側として、この作品、いくらベタベタ触って、感触確かめてくれても良いよ。ってのもある訳です。
当然の事ながら、美術館やギャラリーで不思議な造形物や、ぼこぼこの平面作品なんかを観て触りたい欲求に駆られるのは、もう触欲的に仕方のない事だと思います。けど、触ることで、作品がダメになっちゃう場合もあるし、逆に触ることを歓迎している作品もある。そこは作品を制作した製作者と、鑑賞者の間の信頼関係のような物として、その作品がどういったものであるか。って事を僕なんかは確かめて欲しいな。とも思うわけですね。
世の中には、やっぱり両極端の極論を言う人も居て、作品は絶対に保護されなくちゃならない。っていう考えのもと、もう名前を挙げちゃうけど「奈良県立美術館」みたいに、作品が全部ガラスケースの向こう側にあって、ガラスの鏡面反射で作品を見るのも難儀する場所とか、もう、なんで作品を触ってはイカンのだ!ってわけの分からん事を言い出すおっちゃんとか。果ては、何日か前に出てきた一段上からモノを言う評論家風の人間が、作品はもっと直に触れることが出来るようにすべきだなんて言ってみたり。
僕の勝手な意見を言わせてもらえれば、作品をむき出しにする事が決して良い事ではなくて、作品とのおかしな距離感を感じることなく、自然に見れる、いろんな意味で触れ合えるってのが大事なんだと思います。加えて、作品というのは作者のものであり、鑑賞者のものでもある。だから、そこに「どういう作品か」というコンセプトが重要になってくる。上にも書いたけど、触るべき作品なら触ればいいし、そうじゃない作品はやっぱりそうじゃない。頭ごなしに美術館を経営する第三者が、館内のモノは全て撮影禁止、タッチ禁止。ってするのではない。かといって、触ることを適さない作品に対して、なんで触らしてくれへんのケチ。って鑑賞者が文句を言うべきもんでもない。美術作品は触ってなんぼだ。みたいな全く筋の通らないような言葉をかまして、触れるもんつくれ。なんて、全般に向けて言ってしまって、勝手に外からコンセプトの一部を決めてがんじがらめにするもんでもない。
まぁ最近は、遊べる作品とかそういうコンセプトを持った作品にたいして、「ご自由に何々」っていう作品そのものの意志を尊重した表示をよく見かけたりしますけどね。結局、作品とそれにまつわるコンセプト。作品の意志それを大事にして、そこのところを機軸にして、作品と触れ合えるってことが一番いいんだろうなぁ。って、なんかこれ自体はもう言い古されたような事なのかもしれませんが、そんな事を感じた出来事でした\(・―・)
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