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タイトルは毬つきうたです。
私が子どもの頃、、この毬つき歌でまいにちあそんでいた。私はとてもドンくさく、走るのも毬つきもへたくそな子どもだったけれど、でも「ななやことお」が大好きだった。毬つき歌にはほかにも「あんたがたどこさ」とか「いちもんめのいんすけさん」とか、全国的に歌われている歌があるが、「ななやことお」はわらべ歌の本にも出ていない。いまの大阪府茨木市(その頃は大阪府三島郡春日村だった)でだけ、歌われていたのだろうか。
ここに歌詞を書いてみる
ななやことお(七八九十?) (足を上げて毬をくぐらせる)
ななやこに (同じ)
ななやこさんだいちょ (毬を足の間から後ろにやり、お知りのところでとらえる。
(スカートをはいているとスカートの中に入るのでやりやすい)
うーめにうぐいすとお(梅に鶯) (手の甲についた毬を取り、甲から滑らせてまたつき、あし
うぐいすに をあげてくぐらせる)くり返し
うぐいすさんだいちょ (後ろで取る)
おいばね(追い羽根)
とおばね
にいばね
さんだいちょ
たけのこすいせんとお(筍水仙)
すいせんにい
すいせんさんだいちょ
いっちょけんけん
にちょけんけん
さんだいちょ
でんわです
いろはにほへと
べってのとうさん(ベッテ=ベティ)
ごしゅっせなされて(ご出征なされて)
おてばうって(お手ばうって)
おひざうって(お膝打って)
みおくりましたかね
やれこれとお
さんだいちょ
こうして書いてみるとなんとも不思議なまりつきうたである。時代もフレーズごとにまちまちだし、意味もよくわからない。それでも、雰囲気からなんとなく時代背景や遊ぶ子どもの着物の柄まで見えてくるようだ。子どもの頃は意識していなかたけれども、「いっちょけんけん」から前の部分は江戸時代から伝わる歌なのかもしれない。京都と大阪の中間の地域らしく、梅に鶯とか、追羽根とか、みやびでもある。「でんわです」の段は文明開化の匂いがするし、「べっての父さん}の段は日露戦争から太平洋戦争での出征兵士を送り出す歌と思われる。途中から遊び方を書いていないが、「さんだいちょ」ごとで遊びは一区切りで、失敗したら失敗した段から始まる。「やれこれとおさんだいちょ」でワンクール。次は足をすり足にするなど、技巧が一段と難しくなる。上手な子はどんどん植えへあがっていくし、下手な子は下手な子なりに楽しめて、なかなかよく出来た遊びだった。毬つきをするために、裾のよくひろがるスカートがはきたかった。母にねだって、母が大事にソウルからの引上げのときもって帰ったセルの着物をほどいてひだスカートを作ってもらった。茶系統のチェックのようなモダンながらだった。毬つきは平らな地面でないとできない。道路の舗装というものがほとんどなかった終戦直後、友達の家の玄関先のたたきや、小さなコンクリートの端の上で毬つきをした。大きくなったら家の前にコンクリートのたたきを作りたいというのがその頃の私の夢だった。
昭和二十二年の福井の大震災のとき、大阪もゆれて、、小さなコンクリートの端の上で毬を持ったまま恐ろしさに凍りついたようになったことを覚えている。
大きくなって、道路はみな舗装され、平らなまりつきに適した場所はたくさんあるけれど、子どもの頃を過ごした茨木市でも、もう、この毬つき歌は聞かれないようだ。
このわらべ歌で毬つきをした人があれば教えてください。
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私の小学生の時は
同じく大阪府茨木市でしたが、
ななやことお、ななやこに、ななやこさんどいっちょ。
梅に鶯とお、鶯にい、鶯さんどいっちょ。
お化けがでーた、でーた、すっこんだ。
筍水仙とお、水仙に、水仙さんどいっちょ。
電話です。かいぐり、かいぐりさんどいっちょ。
太郎さん、二郎さん、小池にはまって、お手ば打ち、お胸打ち、お膝打ちましたかね。
あべとお、さんどいっちょ。
でした。
でも、覚えてる人が居て感激です。
ワンクール終わったら同じ歌で
次は外から中へすり足でボールをくぐらせ、、次は両足でとび、次は中から外へすり足で、最後は、とおとおとおとおと言いながら全部しました。
2016/11/9(水) 午後 6:15 [ キーコ ]
懐かしいです。
小学校6年生まで茨木市にいました。
私が覚えているのは...
ななやことななやこにななやこさん
梅にウグイスとぉウグイスにぃウグイスさん
お化けが出ーた出ーた出ーたすっこんだ
たけさんたけたけのーぉ、たけたけふーんでたけたけさん(あまり覚えてなかったです)
電話です、かいぐりかいぐりかいぐりしょ
だったかな...
遊び方はお二方がお書きになっている通りでした。
2017/4/11(火) 午前 0:32 [ nek**ige07 ]
> キーコさん,しばらくブログをお休みして、フェイスブックの方に行っていましたので、折角くださった書き込みに気がつかず、失礼しました。
私の小学生時代は昭和20年代です。20年に一年生でしたから、毬つきに夢中になっていたのは20年代も前半からなかごろまでだったでしょう。その後、毬つき唄も少しずつ変化していたのですね。キーコさんのあとでコメントくださった方は多分、キーコさんよりもまだあとのほうかもしれません。お二人ともやはり茨木市ですね。吹田の友達や高槻の友達にも聞いてみましたが誰も知りませんでした。案外小さな範囲でだけ唄われ、遊ばれていたようですね。
ほんとうになつかしい。いつの間にか70代も後ろの方、間もなく80にも手が届きそうになりました。
コメント本当にありがとうございます。
2017/4/16(日) 午前 0:09
> nek**ige07さん
コメントありがとうございます。ここのところ
facebookばっかりで、ブログにご無沙汰していて、コメントに気がつくのが遅くなりごめんなさい。
歌は世につれ、と言いますが、子供の毬つき唄も年々変化していくのですね。私の小学生時代は昭和20年代でした。終戦直後、なにも遊ぶ道具のない時代、ゴムまりはほんとに大事な大事なおもちゃでした。ななやことうの毬つき唄はなかなかいい唄だとおもうのですが茨木市に住んでいた子どもの間だけで唄われていたせいか、知る人が少なく、わらべ歌の本やネットを探しても見つかりません。消えていくには惜しい唄だと思います。なんとか、この唄を残していくことはできないでしょうかねえ。
懐かしいコメントありがとうございました。
2017/4/16(日) 午前 0:16
私は小学6年生まで摂津市に住んでいて、よく休み時間になると廊下に出て友達数人と手毬をしていました。私が覚えているのは、ななひゃことななひゃこにななひょこサンドイッチ。う〜めにうぐいすと〜をうぐいすに〜いうぐいすさんどいっち。おばけがで〜たで〜たすっぽんだ。たけちゃんのお嫁入〜いお嫁入。イチジクランランらっきょくってスイスイすいか喰ってキャッキャきゃべつでほい。その他かに歌の続きがあったのかなかったのか知りたかったので調べていたらこの記事をみつけました。ずっと気になっていたので他にも知っている人がいてうれしかったです。私の小学生時代は40年代です。
2018/10/19(金) 午前 0:03 [ 縁側で日向ぼっこ ]
ななやこと ななやこに ななやこサンドイッチ
うめにうぐいす とーうぐいす にーうぐいすサンドイッチ
おばけが でんでた でんでた でんでた でんでた すっこんだ でした。
茨木市の春日神社の近所に住んでいました。昭和40年代後半です。
2018/11/30(金) 午前 9:05 [ きゅう ]
とらねこさん、お返事有難うございました。私はお察しの通り貴女より少し年下のようです。小学校入学は昭和35年です。
他の方は40年代で、歌も少しずつ変わっていったのですね。面白く拝見しました。
私の頃も毎日鞠つきをしていました。狭い所でできるし、下手でも上手でも一緒に楽しめる良い遊びでした。
後、あんたがたどこさ や
てんてんてまり や
伊勢、伊勢、伊勢、と言って一回ずつ足をくぐらせるのから始まり、新潟、新潟、伊勢新潟と2回、堺、堺、伊勢新潟堺と3回、、、最後東京は10回足をくぐらせるのもありました。
40年代まであったのに、いつからなくなったのでしょう。今は全く聞きませんね。
まりも売ってないみたいで残念です。
今の子達にも是非知ってほしい遊びです。
2019/1/25(金) 午後 11:41 [ キーコ ]
私も、このまりつき遊びは大好きでした。
学校から帰ると近所の友達数人が集まり
代わる代わる順番にまりつきをしました。
それから、うたにあわせてするごむとびもしました
いま、昔の子供の遊びを少し勉強しようかなと思っています。
2019/7/28(日) 午後 11:18 [ 節子 ]