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いつもこの書庫にはわが夫を冷やかし半分、面白半分で記事を書いていた、
しかし、今回は面白半分ではいられないことが起きた。
5月7日のことだった。日帰りの夫は写生旅行に参加していた。今まで何度も出かけているのだけれど、遅くとも5時過ぎには帰ってくる。
畑で水やりや草取りをして家に帰ると6時過ぎていた。おや、まだ帰っていない。今日は遅いなあ、と思い始めたときだった。
電話のベルが鳴った。「城崎消防署の救急隊です」
「えーっ」
「ご主人がトンネルの中で横転事故をされまして」
「えーっ」顔から血の気が引いていくのがわかった。
「ご心配はいりません。軽傷です。意識もはっきりしておられます。先ほど豊岡病院に搬入し、今治療中です。服を全部鋏で切って脱がせましたので、服を持って病院に行ってください」
受話器を置くと、今度はものものしく胸当てやヘルメットを付けた警官が二人玄関に現れた。
「ご主人が」
「あ、今、救急隊から電話がありました。どうしたんでしょう。どんな状況ですか。相手の車があるのでしょうか」
「いや、単独事故です。あまり怪我はないようですよ。縁石に乗り上げて横転し、反対車線まで滑っていったので、しばらく交通遮断していましたが、もう終わりました。病院はおわかりですね。気をつけて慎重に運転していってください」
急いで下着やシャツ、ズボンなど着替えの服を紙袋に詰め込んで、保険証を持ち、車に飛び乗った。慌てちゃいけない。パニックになってはいけない、と自分に言い聞かす。それにしてもなぜ横転するほど縁石にぶっつかったのか。それもトンネルの中で……。
のっていたのはおんぼろの軽の箱形のバン。数日前にはミッションオイルが漏れだし、パイプを交換したところだった。修理を頼んだ車屋さんは、車検まで持つかなあ、と心細いことをいっていた。突然車の具合が悪くなったのだろうか、それとも……。
夫は若いときから血圧が高い。忙しかった現役の頃など200を超えることもしばしばあり、検診に訪れた病院で強い降圧剤や精神安定剤をのまされて、血圧が落ちついてから帰宅することも何度かあった。今は意識がはっきりしているようだが、脳虚血障害でも起こしたのか。
病院に着くと、救急の受付で、警察とレッカー車の会社の電話番号を渡され、すぐに連絡してくださいといわれた。夫は?ときくと、頭のCTも取りましたが、異常はありません。大丈夫です。今、安静にしていますからしばらくお待ち下さいとかなりそっけない。ベッドを除いてみると、夫はよく眠っていた。のちになって聞くと、救急隊が到着した頃からむやみに眠くなったという。外のベンチで待ってくださいと追い出される。
レッカー車の会社はよく見るといつも車検や修理を依頼する工場だった。なんとなくほっとして電話した。警察は事故証明を取りに来てくださいという連絡だけ、工場もよく知っているところだけに、災難でしたなあ、落ちついてから係のものをよこします。と。
少し落ちつくとむやみに喉が渇いてきた。ちょうど阪神大震災のとき、家じゅうのひっくり返った家具をかき分けて外に出て避難所に到着したときと同じ渇き方だった。いつもは自販機でお茶しか買わないが、エネルギーになるものが欲しくなり、バナナミルクを買って一息に飲み干した。
8時過ぎ、服を着替えてお帰り下さいといわれ、夫のところへ行く。服を手渡すと、しばらくさわっていたが、いっこうに着る気配がない。「ほら、着て」とシャツを手渡すがどうしていいかわからない風情だ。後ろから着せ掛け、「ほら、手を通して」と子どもに着せるように手伝うとようやく着た。ボタンもはめて、ズボンも脚一本ずつはかせる。立たせると、ちゃんと立つのだが歩こうとしない。
「こっちが出口よ」と導こうとするが、反対の方を向いて二三歩歩き、そのまま立っている。
(これはいけない。なにか異常がある)心配になって、どうしたの?大丈夫?と聞くと、うん、と返事をするものの歩かない。慌てて看護師さんを呼び、なにかヘンです。先生にもう一度見て貰えませんか。とたのんだ。
ちょっと待ってください。とどうやら主任のような先生を呼んだようだった。しばらく待つとTシャツを着た先生が来て、夫に掌を上に向けて、目を瞑らせ、前へならえのような格好をさせた。左手がずっと下がっている。何度か繰り返すが同じことだ。左手に力が入らないようですね。もうしばらく休んでから、帰って、明日、神経内科を受診してくださいといわれた。
10時頃までベッドに寝かせて貰っていたが、そろそろ帰ってくださいといわれ、連れて帰ろうとしたが、状態はあまり変わっていない。歩きにくそうですね、と看護師さんが車いすをもってきてくれた。看護師さんはひどく忙しそうで、あちらからもこちらからも呼ばれている。ちょっと待っていてくださいね。直ぐ車いすに乗せますから、といわれたが、あまりにも忙しそうで気の毒になり、いいですよ。自分で乗せて帰りますから、と、一人で夫を車いすに乗せ、駐車場まで連れて行った。
父や母を車いすに乗せたことは何度もあるので、大丈夫と思ったが、夫は意外なほど重かった。それでもわたしの自動車まで車椅子でつれていくと、なんとか乗り込んだ。
「身体が思うように動かない」と夫は言う。高見盛になったみたいや。脚がぎくしゃくしている。という。ことばや喋りかたにはあまり異常がない。二階のベッドで寝られるだろうか。6畳の部屋を片づけてふとんを敷こうか、というと、いや、ソファで寝るという。12時頃トイレに行ったのをきっかけに、二階に上がるという。病院にいた頃よりもいくらか動きが滑らかになってきたようにも思う。後ろから支えるようにして二階の寝室にたどりつき、ようやく寝た。
一晩、なんとなく心配で何度も起きて夫の様子を窺う。
翌朝、無事に二階から降りて、朝食をとった。もう外見からは異常が感じられない。ほっとして再び豊岡病院に向かった。神経内科を受診する。昨日のよりもくわしくCTをとり、私も一緒に説明を聞いた。
やはり、右の脳の一部に翳りが見られる。MRIを取りたいが、満員で、20日まで待ってほしいといわれた。どうやらそれが事故の原因であるらしい。事故が派手だった割に、他人を巻き添えにせず、たいした怪我もなく、脳梗塞が疑われていても、自分で動作にぎこちなさを感じるだけでさほどのことがなかったのは本当によかった。
最近の日本の地方病院と豊岡病院も同じく、医師不足、近隣の病院の閉鎖、診療科目縮小で、この地方の中核病院である豊岡病院はひどく忙しい。36時間連続勤務などはザラで、先生方はみなフラフラになっていると聞く。MRIの検査が少々遅くなるくらいは仕方がないだろう。
結局22日にMRIの結果について先生の説明を聞いた。頭の右側に10円玉くらいの梗塞がある。写真にはっきりと写っていた。運動野の近くなので、左側に車が行ってしまったのだろう。もう、異常がないということはこの梗塞についてはこれ以上は進行しないと言うことであるらしい。しかし、確率的には再発の可能性は小さいとは云えない。特に動脈硬化がはっきりと血管の写真に現れており、動脈硬化の程度を大、中、小でいえば、明らかに大です。といわれた。煙草はやめろとは言わないが、再発の危険性を増すことは確率的にはっきりしています。何度か梗塞が起きるたびに身体機能は階段を下りるように下がってきます。血圧の管理、ストレスを避ける、肥満を解消することが大事です。やめろとは言いませんが、煙草も危険因子です。
夫の日常生活は元に戻っている。車はしばらく見合わせようと思う。もし、万一、また運転中に再発したら、今度のような運のいい事故(!)は期待できないだろう。自分自身については自己責任で仕方がないかも知れないが、他人を巻き添えにすることがあってはいけない。
田舎では車が足だ。ちょっとしたものを買うのにも車で10キロほど走らなければならない。歩けば2時間くらいかかりそうだ。夫は不便さを身にしみているし、わたしも新しい仕事が加わって、ちょっとたいへん。
今度の事故で、つくづく年令というものを感じた。普段、実年齢には関係なく、自分のことを主観的には30代か40代くらいだと思ってきた。去年は一人で信州まで車で往復したし、大阪、神戸まで3時間ほどの距離を車で行くのはなんとも思っていない。夫も少なくとも自分自身を50代くらいの感覚でいただろうと思う。わたしまでもが車に乗れなくなったとき、どうしたらいいのか。地方財政の窮乏化でバス路線も風前の灯火だ。本当にどうしたものだろうと考え込んでしまう。京都から郷里のこの地に移り住んだ近所の友人と、年を取ってからの田舎暮らしはいいようだけど、困ることも多いね。と話し合った。
自分の身にこんな大事件が降りかかるなんて、思っても見なかった。とりあえずブログには当たり障りのないことを書いて気持ちを落ち着けてきたけれど、ようやく今、落ちついてブログにも書いてみようという気持ちになれた。4月から持ち越していた仕事の最後の仕上げを病院の待合室でせっせとした。振り返ってみると3月ごろから5月25日頃まで、全力疾走をしていたような気がする。第四コーナーを回ったあたりで夫の事故と病気や、ゴミ処理場問題が降って湧いて、まったく訳のわからない日々だった。
ほんとにいろんなことがある。明日、なにが起きるかだれもわからない。
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