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周南市 東郭の世界
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大照院の左手の山に萩藩主毛利家の墓所があります。

現在、この右手の大照院伽藍や小川の石垣などが整備されて立ち入り禁止ですが、工事の

人に話を聞くと、年内には入ることが出来そうなので、大照院から、すぐ、墓所まで参拝

出来るようになります。改修中の本堂などは、来年の3月28日までの工期となっていましたの

で、その後、落慶法要が営まれるものと思います。

この工事をされている方々は、流石に礼儀正しく、仕事中にも係わらず私達参拝する者に

挨拶をしてくれて、こちらが恐縮するほどです。

                           《2017.10.13 周南市 東郭》


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参道を上り左手に墓所があります。







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大きな杉木立の間から墓所が見えて参ります。







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萩藩主 毛利家 大照院墓所 配置図


毛利家藩主の墓所を大照院と東光寺に歴代偶数・奇数に寄って分けて祀られている不思議?

【昭穆(しょうぼく)制】

中国の宗廟(そうびょう)での霊位の席次。太祖を中央とし、向かって右に2世・4世・6世など

を並べて昭とよび、左に3世・5世・7世などを並べて穆とよぶ。



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大照院墓所入り口門







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萩藩主毛利家墓所の場合

山口毛利家の墓地は、二地に分けられています。初代と偶数代藩主の墓は、萩市内の大照院にあります。また三代以後の藩主の墓は同市内の東光寺にあります。

こうした分け方は、中国の儒式墓葬の形式を取り入れたものです。昭穆制といものがあり、これは宗廟における太祖以下代々の配置を述べたものです。太祖の廟を中央に造り、二代・四代・六代・・・・という偶数代は太祖廟を背にして左側に廟を造り、三代・五代・七代・・・・という奇数代は同じく右側に廟を造ります。偶数代を昭といい、奇数代を穆といいます。廟には木主(位牌)を安置します。周代の制度とされますが、実際は戦国時代以後に整備され今議論される形になったものです。

以上の廟制を墓地に表現したのが山口毛利家だということになります。太祖と昭を大照院に、また穆を東光寺に埋葬したということです。

大照院の墓石は巨大な五輪塔で、墓前碑の趺石は亀趺ではありません。

東光寺の墓石は笠つきの角柱形で、墓前碑が亀趺碑になっています。

東光寺の山門をくぐり、本堂の裏手にすすみ、参道をすこし行くと広く整地された場所に出ます。その奥に代々の昭の藩主の墓石が並び、その前に亀趺碑が建てられ、その前におびただしい数の灯籠が建てられ参道が造られています。墓石は、藩主と正妻のものが並んで建てられています。五代世子の墓石が亀趺碑となっており、同じ敷地内に造られています。

菩提寺の裏に墓地がある、ということですから仏式ですが、亀趺碑や昭穆制など加味された儒式も目立つものになっています。

亀趺は亀首・獣首いずれもあります。《出典:不詳》




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“昭穆制度”,就是古代宗的排列次序。据《周礼·春官· 小余伯》“辨祧之昭穆。


注曰:“自始祖之后,父昭,子 穆。”也就是,始祖在宗中居中,以下子排列左


右两列, 左昭,右穆。始祖之子昭,始祖之孙则为穆;始祖之子又 昭,始祖


穆。这样一来,在昭穆的排列中,父子始异列, 祖孙则同列。另外在墓地的葬位也


以此准分左右次序。 在祭祀,子也要按照这样定来排列次序,用以分宗族


内部 的分。正如《礼·祭》所“夫祭有昭穆,昭穆者,所以父 子、近、幼、


疏之序而无乱也。

中文では、”夫れ、祭(さい)は昭穆(しょうぼく)に有り、昭穆は、父子、遠近、長幼、親疎

の序を別け、而して、乱を無くする所以なり” というような訳で、秩序を重んじることが、

乱れを無くすると考えていたです。孔子が周公旦の治世に憧れて、乱世の秩序を取り戻そうと

儒学を開いたのですが、その考えを萩の毛利家も用いたということでしょうか。





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この墓所には、7代の藩主が祀られ、600基の燈籠が整然と並んでいます。

同じ藩主の墓所(奇数代)東光寺には、500基の燈籠が有りますが、いずれも藩士が寄進した

ものです。初代藩主 秀就公は輝元公の子で関ケ原の戦い後、萩に削封された時の藩主です。

藩主秀就は、懸命に藩政を整え、江戸時代の萩藩基礎を築きました。

57歳で逝去された折には、藩主の後を追って殉死者が出ました。広島時代から一緒に萩に

移って苦労した小姓達には、そういう気持ちが起きたのです。今も8人の殉死者墓が藩主墓の

傍に建てられて、忠義を尽くしています。



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藩主の墓の前には石の鳥居があるのも、神仏習合時代ならではでしょう。

     萩・万灯会は、この墓参道や燈籠にろうそくを灯します。

   大照院では、迎え火として8月13日、東光寺では送り火として8月15日に行われます。     


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十代藩主の墓







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大照院の墓所は、大きく5群に分かれている。墓所内の墓の数は52基で、藩主の墓7基を

除いた45基は、藩主室、一族、殉死者等のものである。墓標は、改葬墓1基、新墓2基を

除いて、花崗岩製の五輪塔型で統一され、水輪に普の字を、地輪の表には法号、その裏に没

年月日を刻むのを原則としている。墓の大きさも藩主夫妻と一族等の2種類に分けてほぼ統

一され、藩主夫妻のそれはとくに大型である(総高約4.5メートル)。墓の周囲には玄武

岩製の石柱玉垣がめぐらされており、藩主の玉垣の内側と外側には青栗石が敷きつめられて

いる。藩主墓の参道にはそれぞれ鳥居(計7基)が建っていることも特徴である。

                          《出典:文化遺産オンライン》







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巨大な墓石






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       高さ4.5mある五輪塔型式の墓石で非常に大型です。






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墓石から参道方面の鳥居と灯篭






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