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周南市 東郭の世界
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平城京朱雀門-1

平城京朱雀門ひろばへ行って来ました。

全体的には平城宮跡歴史公園というのだそうですが、2018年3月24日朱雀ひろばが開園しまし

た。3年前に二条町の方から第一次太極殿(2010年復原)を参観したときは、広大な敷地ばか

りでしたが、近鉄奈良線が敷地を通過し、その南に朱雀広場が出来ていました。広さは9haだ

そうですが、展示館や食堂などがあっても、まだ、広い敷地空間が広がり、1300年まえの都

の偉容を偲ばせます。

《2018.4.14 周南市 東郭》


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平城宮跡歴史公園








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朱雀門ひろばへ







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遣唐使船(復元)







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遣唐使船(復元)







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遣唐使船復元展示

   【遣唐使船諸元】
 

    全長 30m
    全幅 9.6m
    排水量 300トン
    積載荷重 150トン





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遣唐使船復元展示







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天平うまし館 レストラン・コーヒー







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天平みつき館から天平うまし館へ回廊







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平城宮いざない館







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平城宮いざない館







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朱雀門

平城宮跡歴史公園

平城宮跡歴史公園は、奈良市内に広がる特別史跡平城宮跡を計画地とした国営公園です。世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産の一つでもあり、我が国を代表する歴史・文化資産である平城宮跡の一層の保存・活用を図る目的で、平成20年度に事業化されました。現在、同年度に策定した公園基本計画をもとに事業を進めています。

特別史跡平城宮跡の国有地を中心に、史跡平城京朱雀大路跡とその東側を加え、国営公園の区域にするとともにその周辺において、奈良県が中心となり国営公園と連携した整備を行う区域を合わせ一体的な公園整備を行っています。(国営公園区域約122ha、その他区域約10ha 合計で約132ha)。

 国営公園としての全体開園はこれからですが、2018324日、朱雀大路を中心に観光拠点ゾーンとして整備していた「朱雀門ひろば」が一部開園。今後も、発掘調査の実施や景観、アクセス、現況利用からみた場所の特性に応じ、各ゾーンに見合った施設の整備、ソフトの展開を図っていきます。



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朱雀大路


平城京(へいじょうきょう/へいぜいきょう)は、奈良時代の日本の首都。いわゆる「奈良

の都」である。唐の都「長安」や北魏洛陽城などを模倣して建造されたとされ、現在の奈良

県奈良市及び大和郡山市近辺に位置していた。《出典:Wikipedia




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朱雀門


歴史

藤原京から平城京への遷都は文武天皇在世中の707年(慶雲4年)に審議が始まり、708年(和銅元年)には元明天皇により遷都の詔が出された。

しかし、710年(和銅3年)310 (旧暦)に遷都された時には、内裏と大極殿、その他の官舎が整備された程度と考えられており、寺院や邸宅は、山城国の長岡京に遷都するまでの間に、段階的に造営されていったと考えられている。

恭仁京や難波京への遷都によって平城京は一時的に放棄されるが、745年(天平17年)には、再び平城京に遷都され、その後784年(延暦3年)、長岡京に遷都されるまで政治の中心地であった。山城国に遷都したのちは南都(なんと)とも呼ばれた。

810年(弘仁元年)96日、平城上皇によって平安京を廃し平城京へ再び遷都する詔が出された。これに対し嵯峨天皇が迅速に兵を動かし、912日、平城上皇は剃髪した(薬子の変)。これによって平城京への再遷都は実現することはなかった。《出典:Wikipedia
 



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朱雀門


朱雀門広場

平城宮跡の南方に位置する「朱雀門」。朱雀門前の広場は、奈良時代の人々にとってかけがえのない祝祭の場でした。外国使節の送迎や、大勢の人たちが集う歌垣などが行われ、新年には天皇が門まで出向き、新年を祝うこともありました。

「朱雀大路」と「二条大路」の復原整備により、往時の景観を彷彿させるひろば空間が復活して、奈良時代と今をつなぎ、1300年の時を超えて新たなにぎわいの拠点としてよみがえりました。

朱雀大路を挟んで東側は平城宮いざない館、西側は観光交流施設が整備され、古都奈良の魅力を楽しんで頂ける空間となっています。




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                  朱雀門

平城宮の朱雀門


朱雀大路に向かって開く平城宮の正門。
元日や外国使節の送迎の際に儀式が行われたほか、都の男女があつまって、
恋の歌をかけあうのを天皇がみるというイベントもここでおこなわれました。

 

平城京の入り口である羅生門をくぐると、約75mもの幅をもつ朱雀大路がまっすぐ北に向かってのびていました。そしてその4km先には平城宮の正門である朱雀門が建っていたのです。朱雀門の前では外国使節の送迎を行ったり、時には大勢の人が集まって歌垣なども行われました。正月には天皇がこの門まで出向き、新年のお祝いをすることもありました。


朱雀門の左右には高さ6mの築地がめぐり、130haの広さの宮城をとりかこんでいました。 朱雀門は衛士たちによって守られ、常時開いていたわけではありませんが、宮の正門としての権威とともにその勇姿を内外に誇示していたと思われます。






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朱雀門


 朱雀門内側に大極殿が見えます。朱雀門から大極殿までは800mあるそうです。






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朱雀門

朱雀門

平城京の入口の羅生門から、75mもの幅をもつ朱雀大路がまっすぐ北にのび、その4km先に

は平城宮の正門である朱雀門があります。 

いまある朱雀門は、長年の調査と研究により、平成10(1998)、平城宮跡(世界遺産)に

復原されたもので、東西約25m、南北約10m、高さ約20m、朱色に塗られた入母屋二層構造

です。





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棚田嘉十郎翁の銅像






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平城宮いざない館

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