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周南市 東郭の世界
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奈良興福寺-1 東金堂

奈良の興福寺に参拝して来ました。

所謂、奈良公園と呼ばれる若草山山麓の660haの都市公園だそうですが、そのなかに興福寺、

東大寺、春日大社、奈良国立博物館などが在ります。興福寺は、西の端に位置しており、

近鉄奈良駅の隣と云ってもいいほどの近さです。

猿沢の池の横を上ると境内となります。現在、伽藍の中央の中金堂は再建中であり、

ネットが掛けてありましたが、今年の10月7日〜11日に落慶法要が行われて10月20日から

は一般参拝も出来るようになるということです。
 
                           《2018.6.10 周南市 東郭》


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東金堂正面



興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗

の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原

鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて

強大な勢力を誇った。南円堂は西国三十三所第9番札所である。「古都奈良の文化財」の一部

として世界遺産に登録されている。《出典:Wikipedia




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東金堂


興福寺
 
所在地         奈良県奈良市登大路町48番地
宗派          法相宗
寺格          大本山

本尊          釈迦如来

創建年         天智天皇8年(669年)

開基          藤原不比等

札所等         西国三十三所9番(南円堂)
南都七大寺2
西国薬師四十九霊場4番(東金堂)
神仏霊場巡拝の道16
大和北部八十八ヶ所霊場 62番(菩提院)

文化財         五重塔・木造弥勒仏坐像・乾漆八部衆像ほか(国宝)
南円堂・木造薬王菩薩・薬上菩薩立像ほか(重要文化財)
世界遺産

 




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東金堂


創建

藤原鎌足夫人の鏡大王が夫の病気平癒を願い、鎌足発願の釈迦三尊像を本尊として、天智天皇8年(669年)山背国山階(現京都府京都市山科区)に創建した山階寺(やましなでら)が当寺の起源である。壬申の乱のあった天武天皇元年(672年)、山階寺は藤原京に移り、地名の高市郡厩坂をとって厩坂寺(うまやさかでら)と称した。

和銅3年(710年)の平城遷都に際し、鎌足の子不比等は厩坂寺を平城京左京の現在地に移転し「興福寺」と名付けた。この710年が実質的な興福寺の創建年といえる。中金堂の建築は平城遷都後まもなく開始されたものと見られる。

その後も、天皇や皇后、また藤原家によって堂塔が建てられ整備が進められた。不比等が没した養老4年(720年)には「造興福寺仏殿司」という役所が設けられ、元来、藤原氏の私寺である興福寺の造営は国家の手で進められるようになった。





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東金堂

東金堂
 
現存する興福寺東金堂は、 室町時代中期・応永33年(1426年)の再建。平面は桁行七間、梁間四間。屋根は一重、寄棟造、本瓦葺である。1897年(明治30年)1228日、当時の古社寺保存法に基づく特別保護建造物(文化財保護法における「重要文化財」に相当)に指定。1952年(昭和27年)329日、文化財保護法に基づく国宝に指定されている。

興福寺東金堂は、神亀3年(726年)、聖武天皇が伯母にあたる元正天皇の病気平癒を祈願し、薬師三尊を安置する堂として創建した。治承4年(1180年)の兵火による焼失後、文治3年(1187年)、興福寺の僧兵は飛鳥の山田寺(現・奈良県桜井市)講堂本尊の薬師三尊像を強奪してきて、東金堂本尊に据えた。東金堂はその後応永18年(1411年)に五重塔とともに焼け、現在の建物は応永22年(1415年)の再建の室町時代の建築である。様式は、唐招提寺金堂を参考にした天平様式。平面規模は、創建時の堂に準じている。堂内には以下の諸仏を安置する。

銅造薬師三尊像(重文)−中尊は応永18年(1411年)の火災後の再興像で室町時代の作。脇侍の日光菩薩像・月光菩薩像は応永の火災の際に救出されたもので、奈良時代の作である。
木造維摩居士坐像(国宝)−本尊薬師如来の向かって左に安置。鎌倉時代、建久7年(1196年)、定慶の作。維摩は大乗仏教の重要経典の一つである「維摩詰所説経(維摩経)」に登場する伝説上の人物で、在家仏教徒の理想像とされる。興福寺では山階寺の創建直後に藤原鎌足が維摩経を講賛・供養する維摩会を始めさせ、以後、最重要の法会の一つとして現在に至るまで毎年10月に執り行われている。その経緯などから維摩は藤原氏の篤い信仰を集め、また興福寺においても特に重要な存在と見なされている。実在の老人のようにリアルに表現されている。

木造文殊菩薩坐像(国宝)−本尊薬師如来の向かって右に安置され、上記維摩居士像と対を成す。作者は不明だが、維摩像と同じ頃、定慶の手になるものと推定される。維摩経のクライマックスにあたる文殊と維摩の問答の場面を表現したものである。
木造四天王立像(国宝)−堂内四隅に安置。堂内の他の像より古く、平安時代前期の重厚な作風の像。
木造十二神将立像(国宝)−薬師如来を守護する12の眷属の像。鎌倉時代、建永2年(1207年)頃の作。各像のダイナミックな姿勢と12体の個性を彫り分けた群像表現が見所である。                                《出典:Wikipedia
 
 

 
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東金堂





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弘法大師空海のお手植えの松で「花の松」と言って1200年間親しまれたようですが、

昭和12年枯れてしまったそうです。




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    歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)

    読み通すには一頑張りが必要かも。
    読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
    ネット小説も面白いです。 削除

    [ omachi ]

    2018/6/10(日) 午後 8:37

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