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周南市 東郭の世界
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坂本龍馬


   ”日本を今一度せんたくいたし申候”

文久3年6月29日、坂本龍馬が姉の乙女に送った手紙の中に書かれている言葉です。

意味は、日本をもう一度洗濯するという物騒なことですが、時代背景は公武合体で皇女和宮様

の降嫁が文久2年2月11日、8月1日には京都守護職に会津藩主松平容保就任、文久3年将軍徳川

家茂が上洛、孝明天皇に5月10日をもって攘夷実行を約束させられる。長州藩は5月10日に

下関で外国商船を砲撃します。8月18日には、世に8月18日の政変という、長州藩と七卿が

京都追われます。これに対し攘夷派の志士たちは、幕府官吏が諸外国と内通して、下関戦争で

被害を受けた外国船を江戸で修復したりする ”あきれはてたること” を洗濯しなければ、日本

という国は成り立たないと覚悟を認めたのです。

坂本龍馬の姉宛手紙(一部)

然ニ誠になげくべき事ハながとの国に軍初り、後月より六度の戦に日本甚利すくなく、あきれはてたる事ハ、其長州でたゝかいたる船を江戸でしふくいたし又長州でたゝかい申候。

是皆姦吏の夷人と内通いたし候ものニて候。右の姦吏などハよほど勢もこれあり、大勢ニて候へども、龍馬二三家の大名とやくそくをかたくし、同志をつのり、朝廷より先ヅ神州をたもつの大本をたて、夫より江戸の同志はたもと大名其余段々と心を合セ、右申所の姦吏を一事に軍いたし打殺、日本を今一度せんたくいたし申候事ニいたすべくとの神願ニて候。

此思付を大藩にもすこむる同意して、使者を内下サルヽ事両度。然ニ龍馬すこしもつかへをもとめず。実に天下に人ぶつのなき事これを以てしるべく、なげくべし。

州藩では前年の元治2年(1864年)12月に高杉晋作が挙兵して、恭順派政権を倒して再び尊攘派が政権を掌握していた(功山寺挙兵)。亀山社中の成立は商業活動の儲けによって利潤を上げることの外に、当時、水火の如き関係にあった薩長両藩和解の目的も含まれており、後の薩長同盟成立に貢献することになる。
坂本龍馬の功績は、薩摩と長州を引き合わせ、薩長同盟を成立させ、長州に武器を、薩摩に米
を仲介しました。亀山社中の本来的な仕事でもあった訳ですが、この瞬間に日本の運命と目的
は、決まったも同然でした。しかし、慶応3年11月15日近江屋で中岡慎太郎と共に暗殺されて
しまいます。
しかし、明治維新を成し遂げた幕末の尊皇攘夷の志士たちの中でも龍馬という人は、常に明るく夢のある人だったように思います。他の志士のような悲壮感は感じられません。勝海舟に
出逢った時から海軍操練所などの仕事をしてますし、蝦夷地の開拓もしたかったようです。
龍馬が考えたという船中八策を見ていると、早く、日本を洗濯して清らかな神州として、
海の向こうの自由な世界相手に仕事をしたいという感じを受けます。長州藩や薩摩藩などの
志士と違い藩主との忠義など拘らず、早くから脱藩し藩主への忠義などより、新しい世界を
求めていたのでしょう。そういう意味では、他の志士たちと一味違う英雄でありました。
                                   《記:東郭》

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