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周南市 東郭の世界
9/2日本時間 6:00 周南23℃東京25℃ 奈良23℃台湾25℃上海25℃ “ゆうぜんとしてほろ酔へば雑草そよぐ”

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伊予灘の国道376号線で長浜町付近でミサゴに出逢いました。

ミサゴが何処に止まるかがその時の最大の関心事です。

やがて、一つの赤い鳥居に止まりました。

すぐ、駐車スペースへ降りてミサゴを撮っている間に、由緒書きには、天平時代のことを

述べてある。

                           《2019.7.13 周南市 東郭》


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網掛岩三島神社


まるで、ミサゴが案内してくれたとしか考えられない貴重な岩でありました。




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網掛け岩の位置は、愛媛県大洲市長浜市







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網掛岩三島神社








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網掛岩の由来

神社名    三島神社

神社主祭神            大山積神(おほやまつみのかみ)
         雷公神(いかづちのかみ)
         高龗神(たかおかみのかみ)

神社境内社            若宮神社

神社由緒  天平12年(西暦740年)現在の北九州の役人藤原広嗣が反乱を起こしたときに、伊予の国(愛媛県)の領主だった越智玉澄が反乱を鎮めに行く途中突風にあい、櫛生の浜に船を留めた。そのときのともづなを掛けた岩を「網掛け岩」といいます。上陸して三ツ岩の地に三島大明神の祠を建て、海上安全と武運長久を祈願された後西国へくだられた。討伐軍の勝利の後越智玉澄が帰陣のさい、再び櫛生に立寄って現在の大峯に神社を建てられた。その後今から(平成21年)290年あまり前に現在地に遷宮した。
神社鎮座地            大洲市長浜町櫛生乙89






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網掛岩三島神社

越智(河野)玉澄とは?

河野 玉澄(こうの たますみ)は、飛鳥時代の人物。越智守興の子。兄に矢野玉守(伊予橘氏)がいる(『予章記』「矢野系図」)。物部姓越智氏一門河野氏の祖とする。

略歴
天智天皇2年(663年)に起こった白村江の戦いの時、伊予水軍を率いて出陣した越智守興と、戦地の唐の武将の娘との間に生まれた子が玉守・玉澄兄弟とされている。
その後、伊予国風早郡河野郷(現在の愛媛県松山市)に居を構えたことから河野玉澄(こうのたますみ)と名乗り、河野(こうの)を名乗った初代とされている。
本人のものと伝承されている墓は愛媛県今治市の小泉にある。



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伊予灘


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