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周南市 東郭の世界
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碑文】


 僕は死ぬまで進歩する積りで居る 夏目漱石 
  



【中文】

  至死追及进步
 




【作者】

夏目 漱石(なつめ そうせき、186729日(慶応315日) - 1916年(大正5年)129日)は、日本の小説家、評論家、英文学者。本名、夏目 金之助(なつめ きんのすけ)。
江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)出身。俳号は愚陀仏。

大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学ぶ。帝国大学(後の東京帝国大学、現在の東京大学)英文科卒業後、松山で愛媛県尋常中学校教師、熊本で第五高等学校教授などを務めた後、イギリスへ留学。帰国後、東京帝国大学講師として英文学を講じながら、「吾輩は猫である」を雑誌『ホトトギス』に発表。これが評判になり「坊っちゃん」「倫敦塔」などを書く。

その後朝日新聞社に入社し、「虞美人草」「三四郎」などを掲載。当初は余裕派と呼ばれた。「修善寺の大患」後は、『行人』『こゝろ』『硝子戸の中』などを執筆。「則天去私(そくてんきょし)」の境地に達したといわれる。晩年は胃潰瘍に悩まされ、「明暗」が絶筆となった。《出典:Wikipedia


夏目漱石については、皆さんの方が詳しいと想いますので、深く話すのは勉強して
からにします。兎に角、僕は死ぬまで勉強する積りでいるので、漱石のこの言葉も
素直に受け入れられます。漱石の側面はいろいろありますが、下記、漢詩について
の漱石のことがありましたので、転記します。


漢詩
日本人が作った漢詩の中には平仄が合っていても中国語での声調まで意識していないものもあるため、中国語で吟じられた場合には優れた漢詩とされにくい場合がある。しかし、漱石の漢詩は中国語で吟じられても美しいとされ、2006年(平成17年)には『中国語で聞く 夏目漱石漢詩選』(耕文社)というCDつきの書籍も出版されている。

漱石の漢詩についての先駆的研究書としては、吉川幸次郎『漱石詩注』(1967年(昭和42年))があるが、これは漱石の造詣が深かった禅の用語などに関しては注釈が無いなどの不備があるとされている(『週刊読書人』勝又浩)。またそれに先立ち、1946年(昭和21年)、娘婿の松岡讓が『漱石の漢詩』を出版している。2008年(平成20年)に作家古井由吉により『漱石の漢詩』が発表された。禅の観点から注釈されたものとしては飯田利行『新訳漱石詩集』がある。ほかに和田利男『漱石の漢詩』がある。2016125日に二松学舎大が、漱石直筆の漢詩文屏風を古書店から購入したと発表した。屏風は2枚折り1対、1枚が

1m62、横80cm。内容は「禅林句集」から春夏秋冬の場面が選ばれていた。
                                《出典:Wikipedia


こんばんわ!

今日、国道315号線を通っていたら鹿野大潮のところで、ソバの花とコスモスの花が咲いて

いるのを見ました。初秋の代表的な花です。

逆に言えば、花で季節を感じることが出来ると申しましょうか?

昭和20年頃の生まれた人間は、一般的に、このような花が好きだと思います。

何故って言われても、なにか郷愁を感じるとしか言いようがありません。

昔、我が家もソバを植えたことがありました。母親が植えたので手伝っただけなのですが、

ソバの実が熟れると、鎌で刈って天日で干します。そして、脱穀もしました。昔ながらの

方法で、そば粉までにして、母がソバを打って食べたことがあります。

本業ではなく、減反かなにかで一時的に趣味程度のものでしたが、この白い花と赤褐色の茎は

よく覚えています。今は、まだ、緑の葉と白い花ですが、これが熟れると茶色になります。

ソバの実は三角形で、あの殻が、そば殻と云って枕へ入れていました。

いま、ソバガラ枕は、また、見直されていますが、熱がこもらないので、睡眠にとってもいい

ですね。

普通 ソバを食べると、茶色っぽい色をしていますが、製粉する時、精製過程でソバガラを

剥がす程度によります。勿論、好みですが、完全に製粉にすると、そば粉は真っ白です。

よく、新そばと言って、真っ白いソバがありますが、年内には食べることが出来ます。

まあ、ソバはいろいろな食べ方がありますが、いずれも健康食品です。

コスモスの方も懐かしいですねぇ〜

私になかのコスモスは、おの淡いピンク系の花と白い花です。

コスモスも昔は、どこのご家庭も植えてありました。それが、この写真のコスモスです。

風にそよいで、揺れるコスモスは、いかにも可憐であります。

まだ、コスモスは、これからだと思いますので、またの機会に、お話させて戴きます。


                            《2018.9.7 周南市 東郭》



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ソバの花







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ソバの花








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ソバの花







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コスモス








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コスモス








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百日草








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コスモス







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コスモス







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コスモス








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ソバの花







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コスモス







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今日、山口線の徳佐宇津根踏切に行ってキハ40気動車を撮って来ました。

此処、山口市阿東は穀倉地帯で、まさに今が稲の刈り入れ時期です。

黄金色の稲穂の向こうを走る列車の撮影が目的だったのです。

JR西日本の在来線は、西日本豪雨の被災で、岡山や広島・山口でも徐々に復旧し、運転再開

も次々されていますが、まだ、全面再開とは行きません。

山口県内でも、山陽本線の一部と岩徳線一部が運転見合わせ中です。そのため、SLやまぐち号

の蒸気機関車(C571・D51-200)が回送出来ず、現在、山口線のSLやまぐち号は、運転され

ていません。本来なら、黄金の波を蒸気機関車が疾走する雄姿を写真にするのが理想ですが、

運転再開が9月29日とあっては、もう、稲も刈り入れが終わっています。

でも、贅沢を云っている場合ではありません。稲穂と列車の写真は、この時季この1〜2週間

しかありませんので、チャンスをものにしたく、行ったわけです。

                             《2018.9.7 周南市 東郭》


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キハ40-2045

12:27′ 津和野方面から朱色キハ40-2045が宇津根踏切にやってきました。







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キハ40-2045








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指差し呼称する運転士さん







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キハ40-2045


阿東徳佐の黄金色の稲とキハ40-2045気動車です。





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キハ40-2045







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キハ40-2045

夏の終わり、室積海水浴場に行きました。

山口県光市の白砂青松のビーチは、此処と虹ケ浜海水浴場の2ヶ所が在り、西日本随一と云われ

ています。真夏は、海水浴客で賑わっていた筈なのにお盆を過ぎた今は人ひとり居ません。

砂浜の大きな松林の中で休息していると、静かに風が流れて来て、打ち寄せる波の音が一定

間隔で ”ザァ〜ザァ〜” と聞こえて参ります。

左側の峨峨嵋山で有名な室積半島は、陸繋島で象鼻ヶ岬に囲まれた御手洗湾(室積湾)が

在ります。古来より、瀬戸内海航路の潮待ち港として栄え、江戸時代までは北前船などの

海上交通の中継港でしたので、普賢市や早長八幡宮の山車鉾巡幸などの歴史的文化が今も

続いています。近代文明の鉄道敷設や工業製品の船舶輸送などで置いて行かれたとの解釈も

ありますが、そこには昔から変わらぬ風光明媚な自然が残っています。

                            《2018.9.7 周南市 東郭》


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大水無瀬島







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光市フィッシングパークの釣り桟橋







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西側の工業地帯、笠戸島、大島半島(太華山)と連なる。

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