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周南市 東郭の世界
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周南市は野犬が沢山発生し、人的被害も出ていて、住民は怖ろしくて困っている状況です。

保健所や周南市にも野犬被害を無くし安心安全な生活を過去数年お願いしていましたが、

昨日、捕獲檻が設置されたことを紹介いたしました。そして、その晩、早速、野犬が捕獲檻に

入りまして、係の人が回収に来ました。

でも、未だ、4・5匹いますので、注意は必要です。檻に入ったのは、野犬のリーダー格で

はありません。人に被害を与えたのは、恐らく黒っぽい巨大な犬と、その側近の黒い犬だと

思われます。何故なら、吠えかかって来る犬は決まって、この2匹だと付近の人は周知して

いるからです。
                           《2019.1.30 周南市 東郭》


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      昨日、野犬捕獲檻が設置されたとき、立てられた注意パネルです。







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野犬





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設置されたその晩(午前2時半頃)、急に犬の吠える声が聞こえて来たので、檻に入ったのだ

と直感しました。それから一晩中吠えていましたが、夜が明ける頃には、静かになりました。

疲れたのでしょうか?





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      昨日、野犬捕獲檻が設置されたとき、立てられた注意パネルです。







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        8時過ぎに保健所か市の係員が、野良犬を回収に来ました。

        聞くと、電話が2本あったのだという事でした。

     



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                 野犬回収作業


未だ、4・5匹の野犬は残っています。昨年子犬も産まれたのですが、あれは大きくなったの

でしょうか。不思議ではないのかも知れませんが、他の野犬はまったく姿を見せません。

一匹だけでも、捕獲が成功したのは、この方式が有用なのでしょう。でも、人を襲った野犬は

まだ、残っていますので、これからも注意が必要です。


野犬が通行人に吠えかかったり、怪我を負わせて問題になっている周南市久米地区に、昨日、

捕獲檻が設置されました。

しかし、今朝その檻を見ると、野犬は捕まって居ませんでした。

現在も、此処の休耕田には5・6匹の野犬がたむろして、通行人を威嚇して来ます。

昨年も少なくとも3人に怪我を負わせていますが、お年寄りのご婦人などは吠えかかられると

かなり慌てて逃げ出すと後ろから追っています。ご婦人も精一杯走りますが、充分遅くて

転んで怪我でもしないかとみる方が冷や冷やします。

自治会などの会合でも、その野犬に怖ろしい目にあった話ばかりです。

手ごろな棒を持って歩くと、吠えても近寄って来ないので、通行する人はこれが常識に

なっています。

でも、偶々来たという老人の散歩者は、そんなことはご存じないので、襲い掛かられると

命からがら逃げます。野犬の不思議は、逃げる者を追っかける習性があるようです。

もう、こんな光景を数年はみておりますが、当局は捕虫網を持って昆虫でも捕るように

追っていました。勿論、そんな事では野犬は捕まる筈もなく、苦情を申し立てると、

只のパフォーマンスで、無駄なことを繰り返しているとしか思えませんでした。

実は、昨年もここではないのですが、捕獲檻が取り付けられました。

でも、野犬は相変わらずたむろしている状況は変わりませんでした。

今回は、効果があるといゝのですが。

                          《2019.1.29 周南市 東郭》


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野犬






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今回設置の捕獲檻






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1月21日の野犬


今日の雪(周南市)

今日、周南市の沿岸部も久しぶりに雪が降りました。

大きな牡丹雪が降っては止み降っては止みしています。

時折、太陽も顔を出しているので積雪はありません。

しかし、周南市も奥になると、もう、かなりの積雪があります。

河内峠や栃山などは、真っ白で朝から車の轍がみえるだけでした。

                          《2019.1.26 周南市 東郭》


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太華山も雪化粧







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自宅周りの雪模様(9:30′)






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自宅周りの雪模様(9:30′)







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自宅周りの雪模様(9:30′)








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自宅周りの雪模様(9:30′)







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西光寺川の雪(9:30′)
山口県周南市の八代盆地は、ナベヅルの渡来地として特別天然記念物を指定を受けています。

でも、近年渡来するナベヅルは、一桁台です。

飛来数は、1940年355羽が最高で、1977年106羽からは、二桁台となりました。ところが、

1990年は46羽となり以後二桁と言っても50羽を割って来て、2006年9羽飛来してからは、

一桁台で推移しています。(但し、2014年11羽、2016年10羽)

今年、平成31年(2109年)1月19日第4陣が3羽渡来して計7羽となり、喜んで見学に行きまし

た。

                           《2019.1.25 周南市 東郭》


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野鶴監視所に掲げられている「只今ツル7羽」のパネル

野鶴監視所の前方約150mの田んぼにナベヅル2羽がいました。

毎年、見るナベヅルの風景です。





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ナベヅル

このツル見学は、1月23日(水)でしたが、次から次へツル見学者が来ます。

新しく3羽が飛来して7羽になったニュースで、ひっきりなしに見学者が来ているのですが、

見れるのは、この2羽だけです。




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ナベヅルとダイサギとカラス


毎年のことですが、此処には2羽しか現れません。他の5羽も家族ごと山や別の田んぼに居る

ものと思われます。水田にドジョウなどいますが、このナベヅル2羽とダイサギ・カラスも

来ていました。ツルも渡来数が少なくなると、縄張りを主張するようになります。

ことしは、ミヤマカラスは来たのでしょうか?カラスは例年に比べると少ないです。



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山の方でノスリ2羽が見られました。







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ナベヅル

2羽でも仲良くしている姿を見ると心が癒されます。

昨日、鹿児島の出水では、マナヅルの北帰行が始まりましたね。計35羽ということですが、

これから順次、帰っていくそうです。

出水平野の飛来数は、平成31113日(日)第6回羽数調査で合計 13,645

内( ナベヅル10,572羽 マナヅル3,057羽 クロヅル10羽 カナダヅル4羽 ナベクロヅル

2羽)となっているそうです。

ちょっと羨ましいのですが、よく数えますね。



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ナベヅル
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昨年、伊都国の王都を探るという伊都国歴史博物館の催しを見学したとき、この地方の

歴史の深さを知り、奈良などの古墳と同様、日本史においても重要な地方であると認識を

深めた。勿論その根拠となるのは、魏志倭人伝に書かれた内容を検証し、当時の倭国の概要

を推量るというものである。ところが、この文書も魏の国政を有利に反映する意図も覗われ

或いは誇張も含まれるという科学的に根拠のない部分もある。邪馬台国の時代の日本人が

書いた文書(史書)が無いのが、原因ではあるが、糸島という地方には無数の古墳が

あり、其処から発掘される埋葬品や古墳スタイルによって当時の年代・国・民族・文化は

比定されるのは、素晴らしいことである。何分、学説も様々な角度から提唱され、どれも

正しい筈ではあるが、あくまで古代ロマンの域を出ないといったら学者に怒られるかも知れな

い。まあ、それらは専門家に任せるとして、伊都国の秘密は、素人の私にも充分興味深い

ものである。

《2019.1.19 周南市 東郭》


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伊都国歴史博物館(糸島市)

前から糸島の糸は、伊都国の伊都のことではないかと思っていたが、学芸員に聞くと

まさに、その通りで、おまけに隣に志摩国があったという事から糸島市という名前になった

そうです。もっとも、昔は、筑前国怡土郡(いとぐん)であり、吉備真備が768年築城した

怡土城もありますので、この三者はなんらかの繋がりがあったと思います。また、此処の

糸島富士と呼ばれる可也山も朝鮮の伽耶国・伽耶山と同じ読みであり、なんらかの繋がり

があるのではないでしょうか?当時、朝鮮半島の一部は倭人が住んでいましたし、邪馬台国

と交易などしていましたから、伽耶国に住んでいた倭人たちが、此処、伊都国へ来て可也山

と呼んだのかも知れません。此処に有名なゴルフ場「芥屋」がありますが、ケヤは韓国語

でもそう呼ぶみたいです。まあ、歴史ロマンみたいな話ですけど。



魏志倭人伝の話

魏志倭人伝(ぎしわじんでん)は、中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称。当時、日本列島にいた民族・住民の倭人(日本人)の習俗や地理などについて書かれている。『三国志』は、西晋の陳寿により3世紀末(280年(呉の滅亡)- 297年(陳寿の没年)の間)に書かれ、陳寿の死後、中国では正史として重んじられた。
 
当時の倭(後の日本)に、女王の都する邪馬台国(邪馬壹国)を中心とした国が存在し、また女王に属さない国も存在していたことが記されており、その位置・官名、生活様式についての記述が見られる。また、本書には当時の倭人の風習や動植物の様子が記述されていて、3世紀の日本を知る史料となっている。

しかし、必ずしも当時の日本の状況を正確に伝えているとは限らないことから、邪馬台国に関する論争の原因になっている。また一方で、岡田英弘など『魏志倭人伝』の史料としての価値に疑念を投げかける研究者もいる。岡田は位置関係や里程にズレが大きく信頼性に欠ける点を根拠として挙げている。渡邉義浩は『魏志倭人伝』には「卑弥呼が使者を派遣した当時の曹魏の内政・外交や史家の世界観に起因する、多くの偏向(歪んだ記述)が含まれている」と指摘している。《出典:Wikipedia》



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魏志倭人伝の最初の部分が掲げられていました。漢字(中文)が面白く、訳してみましたが

信頼性に欠けるので、Wikiを参照しました。

倭人在帶方東南大海之中、依山㠀爲國邑。舊百餘國、漢時有朝見者。今使譯所通三十國。
倭人は帯方郡の東南の大海の中に在り、山島に依って国邑とし、もとは百余国で、漢の頃から大陸への朝貢があり、記述の時点では30箇国が使者を通わせている。

從郡至倭、循海岸水行、歷韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里。
帯方郡から倭国に至るには、水行で海岸を循って韓国を経て南へ、東へ、7000余里で〔倭の〕北岸の狗邪韓国(こやかんこく)に到着する。

始度一海千餘里、至對馬國、其大官曰卑狗、副曰卑奴母離、所居絶㠀、方可四百餘里。土地山險、多深林、道路如禽鹿徑。有千餘戸。無良田、食海物自活、乗船南北市糴。       
始めて海を1000余里渡ると、対馬国に至る。大官は卑狗(ひこ)、副官は卑奴母離(ひなもり)。絶島で400余里四方の広さ。1000余戸が有る。山は険しく、道は獣道のようで、林は深く、良い田畑がなく、海産物で自活。船で南北岸の市へいく。

又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國。官亦曰卑狗、副曰卑奴母離。方可三百里。多竹木叢林。有三千許家。差有田地、耕田猶不足食、亦南北市糴。         
また南に瀚海と呼ばれる海を1000余里渡ると一大国に至る。官は対馬国と同じ。300余里四方。竹、木、草むら、林が多い。3000許(ばか)りの家が有る。田畑は有るが田を耕すが食糧には足りず、南北から市へいく。

又渡一海千餘里、至末廬國。有四千餘戸、濱山海居。草木茂盛、行不見前人。好捕魚鰒、水無深淺、皆沈没取之。 
また海を1000余里渡ると、末廬国に至る。4000余戸が有り、山海に沿って住む。草木が茂り、前を行く人が見えない。魚やアワビを捕るのを好み、皆が潜る。

東南陸行五百里、到伊都國。官曰爾支、副曰泄謨觚・柄渠觚。有千餘戸。丗有王、皆統屬女王國。郡使往來常所駐。            
東南に陸行し、500里で伊都国に到着する。長官は爾支(にき)、副官は泄謨觚(せもこ)と柄渠觚(へくこ)。1000余戸が有る。世、王が居た。皆、女王国に属する。帯方郡の使者の往来では常に駐在する所。

東南至奴國百里。官曰兕馬觚、副曰卑奴母離。有二萬餘戸。         
東南に100里進むと奴国に至る。長官は兕馬觚(しまこ)、副官は卑奴母離(ひなもり)。
2万余戸が有る。

東行至不彌國百里。官曰多模、副曰卑奴母離。有千餘家。             
東へ100里行くと、不弥国に至る。長官は多模(たも)、副官は卑奴母離(ひなもり)。
1000余の家族が有る。

南至投馬國、水行二十曰。官曰彌彌、副曰彌彌那利。可五萬餘戸。
南へ水行20日で、投馬国に至る。長官は彌彌(みみ)、副官は彌彌那利(みみなり)である。推計5万戸余。

南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮。可七萬餘戸。    

南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国に至る。官に伊支馬(いきま)、弥馬升(みましょう)、弥馬獲支(みまかくき)、奴佳鞮(なかてい)があり、推計7万余戸。

自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。 次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國
女王国の以北は、其の戸数・道里を略載することが可能だが、其の他の傍国は遠く絶(へだ)たっていて、詳(つまびらか)に得ることができない。斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国

※距離の古代中国の1里は、75m〜80m(短里)と言われています。

※伊都国は、当時、巍国も認める整った国だった(学芸員の話)ようで、倭人伝にも其風俗
 不淫。有屋室、父母兄弟臥息異處。其死、有棺無槨、封土作冢。始死停喪十餘曰。
 當時不食肉、喪主哭泣、婦人不淫、不妒忌。不盗竊、少諍訟。と書いてあります。
   風俗は淫らでない、家屋があり、父母兄弟は違ったところで寝る、死んだら棺桶に入れ
 土で封じた塚を作る、10日あまり喪に服す、そのとき肉は食べず、喪主は泣く、婦人は  慎み深く嫉妬しない、盗みは争論も少ないという儒教の国から見ても、尊敬するに値する
 国だったようです。
 


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”ありがとうございました!”

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