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ひろしの旅日記
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帰国

いよいよ帰国の日が来ました。
今回の張家界(武陵源)の旅は如何でしたか?わずか1週間の旅でしたがお天気にも恵まれ大変楽しい旅となりました。
そして何よりも景色の素晴らしさは想像通りで、お勧めの旅となりました。
武陵源ではインフラも整備されており、オープウエイ、エスカレーター、エレベータが設置されていますので体力に自信の無い方も旅ができる環境になっています。
中国と言えばトイレを心配される方も多いようですが、昔の中国とは違って何処へ行っても日本のパーキングエリアのトイレ同様立派なトイレが数多く設置されていますので長い列で待つことも少なかったです。
帰国時の写真は何時も少ないですが、今回も数枚だけです。

長沙で泊まったホテルの36階の私の部屋から市内を見た写真です。
中国ではどの町へ行っても大きなビルの建設ラッシュで来る度に驚かされます。
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来た時と同じく先ずは長沙から香港へ飛びました。香港着陸前の写真
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右に見える橋はつい最近開通したばかりの世界一長い海上橋で、香港と中国本土を結ぶ長さが55kmの橋です。
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岳麓書院

中国が誇る高鉄で長沙市まで帰ってきました。長沙市には1000年の歴史をもつ世界最古の大学の一つとされる湖南大学があり、昔の建物が残っていて現在は観光地となってますので見物に行きました。

【岳麓(がくろく)書院】
岳麓書院は中国四大書院のひとつで、湖南大学の前身のひとつでもあります。
宋の時代の976年に設立され、世界最古の大学のひとつとされています。
千年あまりの時間を経ても、この書院は国内外で有名で、1926年に湖南大学と改称されました。岳麓(がくろく)山の東麓に位置しており、現在の湖南大学の広大な敷地の奥に位置し、現在は観光地となっています。現存する建物は明、清の時代のものです。

【愛晩亭】
愛晩亭は1792年に設立され、岳麓書院の奥にあります。1952年に湖南大学を修築する時、毛沢東が学長の要請に応じて朱色がかった金の「愛晩亭」の額を書きまいた。この額が掲げられた後、人気の観光スポットとなりました。

それでは最初に愛晩亭から見て行きましょう。
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毛沢東が書いた額です。
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ここでは多くの人が記念写真を撮っていました。
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次に行ったのが岳麓書院です。山門から入りました。
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これは岳麓書院の見取り図ですが、山門は右上の㊶にあたりますが、そこから山を下るように歩き左下①の前門に抜けるコースで見物しました。
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前門を入ると竹が沢山植えられている庭園がありました。途中の細かな建物の説明は省略します。
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向こうの建物の後ろが前門で、見学は終了です。
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岳麓書院を抜け暫く歩くと大きな毛沢東の像がありました。
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そこから更に歩くと現在の湖南大学の建物が見えてきました。
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高鉄で長沙へ

南方長城の観光を終え、バスで懐化市の懐化南駅に向かいました。
懐化駅からは高鉄に乗り長沙市に向かいます。中国の高鉄とは日本の新幹線のようなものです。

懐化南駅の待合室です。列車が到着する直前でないとホームには入れません。駅舎は大きくて立派な建物で、周りには飲食店やお土産物屋さんが並んでいました。
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私が乗った列車ですが、新幹線よりも一回り小さな車体で可愛いです。
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乗ったのは2等車ですが、2席、3席と新幹線と同じで前のシートとのスペースもゆったりしていました。
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表示される最高時速は300km迄で揺れも少なく乗り心地は良かったです。
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途中の駅で見かけた別の車体の高鉄
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我々が最初に中国に入国した街、長沙に到着しました。ここから帰国の便に乗るのですが、その前に少し観光があります。
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南方長城

鳳凰古城での観光も終わり、今日から徐々に帰国へ向かって進んでいきます、でも観光は未だ少し残っています。先ずは鳳凰古城から比較的近い「南方長城」へ行きました。
北には皆さんご存知の「万里の長城」があり、モンゴルからの侵略を防いでいましたが、南にも長城があったのです。

「南方長城」は明代にミャオ族の反乱を防ぐために1554年から建設を始め、清代の1662年完成しました。全長190キロメートルで、城壁の高さは約3メートル、幅が2メートルです。大部分は山の脊梁に沿って建てられて、“シンキョウの万里の壁”と言われ、中国歴史上の大きな土木工事の一つに数えられています。
この長城は明と清の統治者が南の少数民族特に苗(ミャオ)族の農民一揆を防ぐために、城壁に沿って5kmおきに関所、兵営、前哨詰め所が設けられました。
現在は190kmあった南方長城の一部が遊覧区域として残されています。

バスが広い駐車場に到着しましたが、朝が早かったのか殆ど観光客はいませんでした。
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これが一部残された部分の観光地図です。
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「南方長城」という大きな石碑もありました。
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先ず最初に前方に見える200段ほどの階段を上らなくてはいけません。
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階段上の「東門」に着きました。
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東門を抜けると広場になっていて、左に見える建物跡が金勝営と呼ばれる駐屯地が置かれていた場所だそうです。
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広場の右手の山の上を見ると少し城壁が見えます。あそこまで上がるには500段の階段を上らないといけないそうですが、時間の関係で上がりませんでした。
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広場の周りにも城壁があり、そこに上がって広場を見ると世界一大きな囲碁版が見えました。2003年と2005年には中国と韓国の囲碁団体戦が行われたそうです。
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城壁を歩いてみましょう
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広場の奥に長い建物があり、お土産屋さんが入っているそうですが朝が早いのであまり営業はしていないようです。
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開いていた1軒を覗いてみると、主に手工芸品が売られていました。
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再び階段を下りて戻りましょう。東門を内側からみるとこんな感じでした。
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鳳凰古城の夜景観賞

美術館(銀細工の売店)や付近の散策で時間を過ごしている間に辺りはすっかり暗くなってきました。鳳凰古城のもう一つの見所は夜景観賞です。
沱江(だこう)沿いの家々が綺麗に同じ色でライトアップされ、それが水面にも写り綺麗な景色となります。それでは早速見物に行きましょう。

辺りが暗くなって家々に灯りが灯り始めました、夜景観賞に出発です。
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歩いて先ほど遊覧船で下を潜った「虹橋」まできました。この橋の左右に下へ降りる階段がありますので沱江の水辺に行きましょう。
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屋台の間を抜けて水辺にやってきました。綺麗なけしきですが、辺りは写真を撮る観光客で一杯で場所を探すのが大変です。
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水辺に沿った家々の夜景も綺麗です。
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虹橋より少し離れた所が少し人も少なく写真が撮り易かったの移動しました。
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夜景を沢山撮ったので虹橋に戻り橋の上のアーケイド街を撮りました。
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虹橋の入り口から街を撮影するのも綺麗でした。
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虹橋の向こう側を撮影してみました。遠くに万名塔が見えますね。
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そろそろ集合時間となりましたので虹橋の袂に帰ってきました。ここからホテルまではタクシーで帰りました。
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