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ひろしの旅日記
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マチュピチュへの道

インカ帝国の全盛期は今のエクアドルからチリ、アルゼンチンにまで及び、南米最大の大帝国でした。

しかし1532年、フランシスコ・ピサロ率いる200人にも満たないスペイン軍によって

インカ帝国はもろくも崩壊してしまったのです。しかしインカの抵抗は細々と続いており、

スペイン人達の手の届かない所に秘密の年を建設していたのです。

1911年7月、アメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムはこの辺りを調査中に地元の人達の噂を聞きつ

け、山の頂上に草で覆われた遺跡を発見しました。

こうしてマチュピチュは400年を超える長い眠りから目覚めたのでした。



マチュピチュへの行き方

マチュピチュへはクスコから列車に乗って行くのが一般的です。バスで行く道路はありません。

列車はウルバンバ川沿いに走り、両側は切り立ったアンデス山脈の山々が素晴らしい眺めで

時間にして4時間弱の行程ですが、素晴らしい山々を眺めていると、あっという間に過ぎてしまいます。

最近は列車でマチュピチュまで行かず、手前の駅で降りて、そこから古いインカ道をトレッキング

しながらマチュピチュへ向かうというコースも欧米人を中心に、人気があります。

只このコースには1つ問題があります。
ウルバンバ川沿いを走る列車は、川が氾濫すると走れなくなり、マチュピチュは孤立します。
特に最近の異常気象で、思わぬ時期に大雨が降り列車が運休するということがあるそうです。

私がペルーから帰った直後にも大雨が降り、マチュピチュに取り残された観光客を救出するのに
ヘリコプターが出動したというニュースを見ました。
でも幸いなことに、数年前にマチュピチュに1軒のホテルができ、そこで救出を待つことができます。


さて列車が終着駅のマチュピチュに着いても、そこからだ大変です。
何しろ遺跡は山の頂上にあり、列車は川沿いに走り、山の麓の駅で終わり。高度差は400mあります。
付近は切り立った急な山々に囲まれており、どうして登るのか?と見ていたら
何とこの切り立った山肌に九十九折れの道が作られており、そこをバスがうなりをあげながら
一気に20分かけて、乗客を押し上げるのです。本当にスリルがありました。

余談になりますが、ここには有名な「グッバイ・ボーイ」がいて、バスが九十九折れで降りている時
少年は直下降の細い道を走り降り、バスの先々で待っていて「グッバイ」と言っては又走るという
離れ業をやっていたということを聞いたことがあります。

マチュピチュまで乗った列車

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途中の駅ではインディオ達が色々なおみやげ物を売りにきます

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遺跡近くから見た谷底のウルバンバ川、あの川沿いを列車が走ります

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マチュピチュ遺跡の背後にそびえるワイナビチュは登ることもできます、そしてそこからは九十九折れのバス道が見えます

写真は小さいですが、友人からもらいました。
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オリャンタイタンボ遺跡はインカ時代の要塞の跡とも言われています。

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この遺跡の見物は、この段々畑の横の階段を300段以上登ることから始まります。

そして頂上の広場に着くと、
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この大きな6個の巨石がありました。
申し訳ないですが、しんどい目をして登った割りに、あれ!これだけ!という遺跡でした。

ペルー中何処へ行っても同じですが、ちょっとした観光地があると、必ず露店が出ています。
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ピサックの朝市

初日のクスコの観光は軽い高山病のために本当にしんどい1日でした。

そこで宿泊はクスコから少し離れた、海抜の低いユカイという小さな町で宿泊。
ここへ来るとやっと自由に息ができるという感じで助かりました。

ところでクスコからユカイへ向かう途中で峠を越えるのですが、ここが素晴らしい景色だったので
ちょっと止まって写真を撮りました。
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さてあくる日は宿泊地から少し行った所のピサックという町で朝市があるというので行きました。

ピサックの朝市

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もともとこの朝市は食料品や、日用品を売る店が主でしたが、最近は観光客目当ての民芸を売る

店の方が多くなっています。

ここでは、珍しい色々な色をしたトウモロコシを売っていました。

クスコ

標高3360mのクスコに着くと何となく空気が薄いな・・と感じます。

クスコ、そうです、昔ここはインカ帝国の首都だったのです


16世紀、スペイン人の征服者達によって、インカは山奥へと追いやられました。


サント・ドミンゴ教会

現在サント・ドミンゴ教会となっているこの場所は、インカ時代にはコリカンチャと呼ばれる太陽の神殿
でした。
スペイン人は黄金で一杯だった神殿から全てのものを取り出し、建物を壊して教会を建てました。
神殿を壊す際に、土台の部分が非常に丈夫だったため、壊すのを諦めて内部に残したまま教会を建てました。
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教会内に残された石組みを見て、本当に驚きました。これが有名な

カミソリの刃1枚通すことが出来ない石組みです

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未だ鉄器というものを知らなかったインカ人がどのようにしてこの石を削りだしたのでしょう?

この石組みの精巧さについては有名な話があります。
昔クスコに大地震があった際に、この教会は無残に崩れ落ちたのですが、インカ時代の石組みは
ひずみひとつ起こさなかったと言う話です。





12画の石

「カミソリの刃1枚すら通さない」という評判で有名なインカの石材建築は、クスコの町を歩いていると
あちこちで見ることができます。
その中でも有名なのがこの「12画の石」で、わざわざこの複雑な形をした石を四角くしないで
そのまま石壁にピッタリとはめ込んだ技術には驚かされます。
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アルマス広場

クスコの町の観光の中止地。
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サクサイワマン

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クスコを守る堅牢な要塞後。
スペイン人に反逆を企てた2万のインカ兵が陣取りましたが、
1536年、夜は戦わないインカ兵の隙をつかれ、スペイン軍に敗れてしまいました。




世界遺産の町クスコ

サクサイワマンの遺跡は丁度クスコの町を見下ろせる高台にあり、ここから見るクスコの町は絶景です。
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アルマス広場のあたりを望遠で撮りました。

リマ

ペルーの旅の書庫は、ブログ開始直後に簡単に作成しましたが、あまりにも物足りないので
写真と説明を追加し、充実していきたいとおもいます。

それでは最初はペルーの首都であるリマです。

リマの主な見所としましては、旧市街にあるアルマス広場が中心で、主な建物はこの広場の近くに
集中しています。又この広場は市民の憩いの場所として親しまれています。

アルマス広場

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アルマス広場に面して建つカテドラル

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サン・フランシスコ教会とその前の風船売り

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市内のインディアン・マーケット

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