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かってロンドンを始発としたオリエント急行はイスタンブールのスィルケジ駅が終着駅でした。 かっては上流階級の人々で賑わったことでしょう。 レンガ造りの建物は往時のまま残っていますので、オリエント急行の名にちなんだカフェで、チャイでも飲みながら昔を想像してみられては如何ですか? オリエント急行の終着駅、スィルケジ駅 最後に可愛いトルコの子供達を紹介しておきます。 |

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こんにちは、ゲストさん
トルコの旅
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かってロンドンを始発としたオリエント急行はイスタンブールのスィルケジ駅が終着駅でした。 かっては上流階級の人々で賑わったことでしょう。 レンガ造りの建物は往時のまま残っていますので、オリエント急行の名にちなんだカフェで、チャイでも飲みながら昔を想像してみられては如何ですか? オリエント急行の終着駅、スィルケジ駅 最後に可愛いトルコの子供達を紹介しておきます。 |
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黒海とエーゲ海との間には二つの大きな海峡があります。 黒海からイスタンブールの市内を貫くボスポラス海峡を経てマルマラ海に入り そこからダーダネルス海峡を経てエーゲ海へと繋がっています。 今回はイスタンブールの市内を貫くボスポラス海峡クルーズを紹介します。 ボスポラス海峡の長さは30km、幅は一番狭い所で700mですから、船でクルーズ していると両岸がはっきり見えます。 このボスポラス海峡には大きな橋が二つ架かっており、ボスポラス大橋(第一大橋)と ファーティフ・メフメット大橋(第二大橋)です。 特に第二大橋は日本の企業が建設したことで有名でです。 私達はこの海峡を貸切のクルーズ船で約1時間クルーズし、黒海が見える街で昼食を取り 帰りはバスで帰ってきました。 |
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トルコの一大景勝地の一つであるパムッカレの直ぐ近くにこの遺跡はあります。 紀元前190年に始まった都市の遺跡で、この時代のものとしては最も内陸部にある ことで有名です。 ベルガモン王エウメネス2世によって建造されました。 ヒエラポリスはローマ、ビザンティン時代まで、長きに渡り繁栄しましたが セルジューク朝により街は滅ぼされてしまいました。 パムッカレの全景 ヒエラポリス遺跡 |
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聖母マリアの家はエフェソスの遺跡から少し離れた山の中にあります。 【聖母マリアの家】 聖母マリアの最後の場所は長い間謎とされてきました。 18世紀の末にアンナ・カテリーナという尼僧が、訪れたことの無いエフェソスの 石造りの家のことを語りだしました。 その後マリアの家探しが始まり、アンナの語ったとおりの家を探しあてました。 彼女の話では聖母マリアは64歳で亡くなったとされています。 1967年にはローマ法王パウロ6世がここでミサを行い 1979年にはヨハネ・パオロ2世もここを訪れています。 マリアの家は山の中にある小さな家で、現在は教会になっています。 しかしこの家はキリスト教信者にとっては有名らしく、本当に沢山の人達が訪れていて びっくりしました。 中は撮影禁止だったので、家を出た所を撮ってみました。 家を出て階段を下がった所には病が治ると伝えられている聖水が湧いており その横には沢山の白い布を結びつける所があります。 そこに白い布を巻きつけておくと幸せな結婚が出来ると言われています。 お心当たりの人は行った時に必ず結び付けておいてください。 |
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荒涼とした砂漠の真ん中にできた大都市コンヤから今度は険しい山並みが続く トーラス山脈越えです。 でも山並みの間には綺麗な湖が沢山あり景色も堪能できましたが、何しろ今にも がけ崩れがありそうな山道をバスがあえぎながら登るので心配でたまりません。 そして長い時間を掛けて辿り着いたのは地中海に面したリゾート地、アンタルヤ 此処にはシーズン中はヨーロッパから(特にドイツ)沢山のリゾート客がやってきます。 私が行った時はシーズン外れだったので大きなホテルは空いてました。 アンタルヤで泊まったホテル 街の起源はトロイ戦争後に移住してきたギリシャ人によって建設された都市で 紀元前4世紀にアレキサンダー大王のマケドニア領土として歴史に登場し ローマ時代を通じて繁栄した街ですが、はっきりしたことはわかりません。 |
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