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ひろしの旅日記
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ホーチミンとその周辺

ホチミン市とその周辺の写真で未発表のものを少しばかり

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ホーチミン市での夕食はサイゴン川のディナークルーズです

ディナークルーズではテーブルの上に簡易コンロをおいてのお鍋でした。

これが美味しかったのでつい調子に乗り、のん兵衛の友人数人とベトナムの焼酎をボトルで買い

おおいに飲んだので酔っぱらってしまってこの後の写真はお見せ出来ません(笑)

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メコンデルタ訪問

メコンデルタのミト市とメコン川に浮かぶ島タイソン島を訪れました。。

ここでは小舟に乗ってのジャングルクルーズがあるのですが、それは過去記事で見て下さい。

タイソン島で紅茶とフルーツでの休憩
フルーツはモンキーバナナ、パパイヤ、マンゴー、サポジウ、ジャクフルーツを食べました。
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ガイドさんが見せてくれたのがジャックフルーツの切断面です
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これは昼食の時に出た「象の耳」と言う名のメコン河名物の魚です。これをライスペーパーで包んで食べるのですが、美味しかったです。
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メコンデルタよりの帰路、田んぼで稲刈りをしてましたので撮りました
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ベン・タイン市場

ホーチミンの台所、ベン・タイン市場

1919年の開所以来、市民の衣食を満たしてきたホーチミン最大の市場です。

巨大な建物の中には珍しい食料品だけでなく、ちょっとしたお土産になりそうな品もあります。

それでは狭い通路で、混み合っている市場の中に入って行きましょう。

市場の入口
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お菓子類が売っているコーナー
写真中央部下が薄暗くなっているのは、フードを付けたままフラシュを炊いたからです(失敗)
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雑貨類のコーナー
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奥にはちょっとした食事ができるコーナーもありました
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市場の中を歩いて見て、人々の活気には圧倒されます。

でも庶民の生活の様子が分かる市場は大変面白いです、是非とも立ち寄りたい場所の一つですね。

(どおしても私のような年寄りにはホーチミン市をサイゴンと言ってしまう)

ダナン

ダナンと言えば、私のような年寄りにはどうしてもベトナム戦争のことが思い出されます。

そこでちょっとだけ思い出話も交えて現状を書かしていただきます。

ダナンと言えばベトナム戦争当時、ここには大規模なアメリカ軍基地がありました。


今でも当時の米軍の滑走路はダナン国際空港の滑走路として使われています。グーグルアースで地図を載せておきますね
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&geocode=&q=%E3%83%80%E3%83%8A%E3%83%B3&sll=16.034512,108.240223&sspn=0.056424,0.053215&ie=UTF8&ll=16.046308,108.20529&spn=0.056421,0.053215&t=h&z=14&iwloc=H

こおして地図で見るとその大きさが分からないですが、とてつもなく大きいです。

地図よりピックアップした写真を一部紹介しますと。

空港横を走る道路から見た、米軍の駐機場の屋根。私もしっかりと見て来ました。
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ここも元は駐機場でしたが、分厚いコンクリートの舗装を取り除いて水田に変わってました。しかも殆ど人力で開墾です。私もこの広い水田をビデオで延々と感慨深く撮ってあります。
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ここは米軍専用のプライベートビーチでした。今はリゾート地として開発されています。
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1968年から75年まで続いたベトナム戦争の中でも、68年のダナンでのテト攻勢は激戦として有名ですね。その時を思い出しながら、ベトナム人の底力をつくづく感じるひとこまでした。

ベトナム戦争当時の1972年に私は民間機でベトナムの上を飛んだ経験があります。

戦争中なのにこんな上を飛んでも良いの?と思いながら窓の外を必死で眺めました。

飛行機がベトナムの領域に入った途端、緑が全く無い赤茶けた大地。

建物も上空からでは殆ど見えませんでした。この下ではどんな光景が繰り広げられているのだろうと

考えながら必死で見ていた記憶があります。2度と見たくない光景でした。


さて此処からは明るい話題です。

ダナンと言えば、旅行中に見たこの光景は忘れられません。

ダナンでは市の中心部の通りに面したホテルに泊まったのですが、

朝、散歩に出ようとホテルの前に行くと物凄い数の自転車に女学生が乗って通学しているところでした。

制服はアオザイです。これは何もダナンに限った事では無く全国同じです。

そのアオザイの何ともなまめかしい姿に見とれてずっとビデオで撮ってました。

残念ながら写真はこの2枚で、しかも少ない人数しか映ってませんが、本当はもっと多いです。

無論この光景はベトナムのどこでも見られる光景でしょうが、ダナンで泊まったホテルの位置と私が見た時間が丁度良かったので非常に印象に残った場面でした。

皆様にはビデオを紹介出来ないのが残念です。

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五行山(ダナン)

聖なる山、五行山

ダナン近郊に巨大な岩山が見えます、それが地元の人々から聖山として厚い信仰を受けている五行山です

【五行山とは】
古くからホイアン・ダナン近海を行く船の目印として知られる五行山は、海岸沿いの平地に切り立った6つの山の総称だ。今から約200年前、ミンマン(Minh Mang)帝により、それぞれ木山・陽火山・陰火山・土山・金山・水山と陰陽五行説にちなみ名づけられ、良質の大理石の産地としても名を馳せている。なお、五行山観光は、最も大きな水山(Nui Thuy Son)を訪れるのが一般的だ。

さて、その一番大きな水山に登るのですが、急な石段や薄暗い洞窟内を懐中電灯を持って登るのですが

何とも険しく本当に苦労しました。

しかし頂上の展望台からの眺めは抜群で疲れが一気に取れました。

水山の頂上から他の山を眺める。このように突き出た岩山が六つあります
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頂上から眺めて東シナ海
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ホアギエム洞窟

水山には大きな洞窟があり。大きな仏像が祀られていました。

洞窟の中は真っ暗ですから普通は仏像の写真など撮れないのですが、何とベトナム戦争当時

洞窟の天井に爆弾が落ち大きな穴が空いており、そこから差し込む光が何とも神々しく

その光で何とか写真を撮ってみました(今のデジカメならもっと綺麗に撮れるでしょうが)

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ハイヴァン峠の思い出

古都フエからベトナム中部の都市ダナンに向かったのですが、

その途中には交通の難所「ハイヴァン峠」が待ち受けています。

1000m級の山々が連なるこの峠は常にがけ崩れが発生しておりバスはのろのろとその間を

通り抜けて行くのでした。しかしそのハイヴァン峠からの東シナ海の眺めは本当に素晴らしかったです。

ハイヴァン峠からの東シナ海の眺めの記事は下記にあります。

http://blogs.yahoo.co.jp/h726m/20722718.html

私はこの綺麗な景色を眺めながら、バスの中でガイドが説明してくれた話を思い出し
その話と幕末の会津若松藩の白虎隊の話がだぶって思い出され感慨深いものがありました。

此処からはガイドの説明と私の妄想が重なっているものとして読んで下さい。

現地ガイドの説明:
時はベトナム戦争当時、南ベトナム最北の街であったフエは真っ先に北ベトナムの攻撃を受けました。
そして戦況が不利になった時点でフエ市民は隣町ダナンに向けてこの難所であるハイヴァン峠を越えて逃げて行ったのです。
当時ダナンには大きな米軍基地があり、ここなら安心と市民は思って逃げたのです。

此処からが私の妄想です:
逃げのびるフエ市民はハイヴァン峠から振り返って自分の街であるフエを見たことでしょう。
そしてどのような思いで燃え盛るフエ市と綺麗な海を見たのでしょうか・・・考えると涙が出ます。

幕末の会津藩は新政府軍に包囲され、その中を白虎隊は城を出て戦ったのです。
しかし、ふと飯盛山から見た会津、若松城は燃え盛る火の海。
白虎隊はもうこれまでと覚悟を決め自決した事は有名です。

私はガイドの説明を聞きながら、ふとこの二つの話をダブらせて一人感慨にふけっていました。

現在のハイヴァン峠のお話

現在はこの交通の難所であるハイヴァン峠には何とトンネルが出来ています。
2000年8月から日本のODA開発援助を受けて東南アジア最長の6280mのトンネルに着手

そして2005年6月に開通。3時間以上かかった今までの工程がたった40分に短縮されたそうです。

ですから今ではハイヴァン峠からの美しい東シナ海の眺めは見ることができません。

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